穢れの軍神と縁の花嫁

 兵士たちは武器を構えたまま、誰ひとりとして前へ出ようとはしなかった。

 朔哉の右手には、抜き放たれた軍刀がある。
 切っ先は低く下げられている。自分から斬りかかるつもりはないと示すような構えだった。それでも、門前に立つ姿には一分の隙もない。
 これまで幾度も、彼らは朔哉の背を追って戦場を駆けてきた。
 誰よりも前へ出て、誰よりも強いあやかしを斬り、それでも部下をひとりでも多く生きて帰そうとした男。

 軍神と呼ばれる理由を、この場にいる誰もが知っている。その刃が、もし今こちらへ向けられたら。
 そう考えただけで、兵士たちの足は地面へ縫い止められたように動かなかった。

 「何をしている!討伐対象は目の前だ。早く拘束しろ!」

 朔哉は軍刀を構えたまま、部下たちを静かに見渡した。

 「武器を下ろせ。俺は、お前たちと戦いたくない」

 何人かの軍刀が、わずかに下がる。

 「この腰抜けどもが!たったひとりを前にして、何を怯えている!」

 鷲宮が苛立たしげに吐き捨てると、背後に控えていた術師へ視線を送った。
 術師が小さく頷き、懐から一枚の黒い符を取り出す。

 その色を見た瞬間、朔哉の背筋を嫌な予感が走った。
 
 「鷲宮中将、何をするおつもりですか」
 「国に害をなすものの、本性を暴くだけだ」

 鷲宮が指先で符を掲げる。
 黒い紙の表面に、赤紫色の文字が浮かび上がった。

 朔哉は、その術式を知っていた。
 人の内に蓄積した瘴気を、外側から強制的に活性化させる禁術。

 「やめろ……!」

 朔哉が踏み出す。

 鷲宮は、符を宙へ放った。
 黒い紙が空中で燃え上がる。

 炎ではない。闇そのものが形を得たような、黒紫の光。
 朔哉の足元へ、複雑な術式が広がった。

 「ぐっ……!」

 左腕の奥で、何かが弾けた。
 骨を内側から砕かれるような痛み。
 血管の中へ煮えたぎった鉛を流し込まれるような熱。

 朔哉は左腕を押さえ、その場へ膝をついた。

 「少佐!」

 兵士のひとりが声を上げる。

 「近づくな!」

 朔哉は叫んだ。
 左腕の包帯が、内側から裂ける。

 黒い鱗があらわになり、肘から肩へ向かって急速に広がっていく。

 「う、あ……っ」

 視界が赤く染まる。耳に届く兵士たちの息遣い。心臓の音。皮膚の下を流れる血の匂い。
 すべてが、耐えがたいほど鮮明になっていく。
 獣の本能が、喉の奥で唸り声を上げた。

 喰らえ。引き裂け。
 目の前にいるものを、すべてを――