穢れの軍神と縁の花嫁

 タキを先頭に、みづきたちは屋敷の裏手へ向かっていた。みづきはリツの手を引き、羅刹は鳥の姿で上空を警戒している。
 森へ続く通用門までは、そう遠くない。
 けれど、一歩進むたびに、胸の不安が大きくなっていった。

 通用門を抜ける直前、みづきは思わず振り返った。木々の向こうに、五百森家の屋根が見える。
 つい先ほどまで、あの庭で洗濯物を干していた。夕食になれば、朔哉も食卓へ来るはずだった。帰ってくる場所だと思い始めたばかりなのに。

(また、戻れない場所になってしまうの……?)

「朔哉、大丈夫かな」

 リツが小さな声で呟く。普段の元気はなく、みづきはその手を強く握り返した。

「大丈夫ですよ。朔哉さんは必ずあとから来ますから」

 みづきはリツを安心させるように、そして自分自身へ言い聞かせるように言った。

 ――夕食までには追いつく。

 髪を撫でてくれた手の温もりを思い出す。
 信じなければ。信じたい。

 通用門の鍵を開き、森へ入る。
 木々の間には、昼間とは思えないほど濃い影が落ちていた。少し進んだところで、羅刹が低く鳴く。

「止まれ」

 茂みの向こうに、人影が見えた。
 もうこちらまで包囲されてしまったのか。みづきと紗世がリツを背へ庇い、タキも足を止める。

 人影が、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。

「皆さん、ご無事でしたか」
「……静馬さん……!?」

 現れたのは、静馬だった。
 眼鏡の奥の目は、いつも以上に険しい。

「どうしてここに?」
「今朝から少佐との連絡を断たれ、第一部隊の一部も別室へ拘束されました。嫌な予感がして、軍部を抜けてきたのです」
「いった、何が起きてるんですか?どうしてこんなこと……っ」

 静馬は一瞬だけ黙り、それから低い声で答えた。

「少佐を解任する命令が出ています。同時に、五百森家の捜索と、屋敷にいるあやかしの拘束命令も」

 リツの顔から血の気が引く。

「ぼくたちを、つかまえるの……?」
「いいえ、させませんよ」

 静馬は即答すると、懐から数枚の符を取り出した。

「この先に認識阻害の結界を張ります。中へ入れば、しばらくは追手には見つかりにくくなります」
「静馬さんは?」

 紗世が尋ねる。

「私は五百森少佐の元へ行きます」

 紗世の表情が凍りついた。

「今戻ったら、静馬さんまで危ないじゃないですか」
「承知しています。ですが、私は五百森少佐の部下ですから」

 いつものように淡々としながらも、その言葉には揺るぎない意志があった。

「指揮系統上は、もう少佐の副官ではないのかもしれません。それでも、私自身が少佐の部下であることに変わりはありませんから」
「静馬さん……」

 紗世がなおも何かを言いかけて、静馬の表情を見て言葉をのみ込んだのが、みづきには分かった。
 みんなつらいのだ。大切な人や守りたいものと引き離されていく。

 みづきは、正門へ戻ろうとする静馬を見つめた。

「……静馬さん、私を一緒に連れていってください」

「できません、少佐はあなたたちを逃がすために正門へ向かったのです」
「わかっています。だから、戻りたいんです。ここで戻らなかったら、私はずっと後悔します」

 そう言いながらも、みづきの視線はリツへ向いた。

 朔哉に託された。リツを守ってほしいと。
 自分が戻れば、約束を破ることになる。それでも――

 そんなみづきの迷いを見透かしたように、羅刹が翼を鳴らした。

「狐の子と女たちは、わしが守る」
「羅刹さん……」
「お主が、ただ朔哉のそばへ戻りたいというだけなら止める。だが、あやつの瘴気が暴走すれば、鎮められる可能性があるのはお主だけだ」

 羽倉で、黒い瘴気に吞まれかけた朔哉へ触れた時、自分の手から溢れた白い光を思い出す。

 故郷を追われた。
 どの町でも拒絶され、逃げることしかできなかった。
 けれど朔哉は、みづきを逃げなくていい場所へ連れてきてくれた。

 今度は、自分が朔哉を連れ戻したい。

「私にしかできないことがあるなら、行きたいです」

 静馬は、しばらくみづきを見つめて、やがて重く息を吐いた。

「……少佐には、ひどく叱られそうですね。わかりました。決して、私から離れないと約束してください」
「はい……!」

 リツが、みづきの袖を掴む。

「みづきも、行っちゃうの?」

 不安に揺れる瞳を見て、決心がくじけそうになる。
 みづきは膝をつき、リツと視線を合わせた。

「朔哉さんを迎えに行くだけです」
「戻ってくる?」
「もちろん。朔哉さんと一緒に、必ず戻ってきます」

 その約束を、自分の心にも刻むように言った。

 静馬が符を木の幹へ貼りつけると、淡い光が森へ広がり、タキたちの姿を包み込んだ。

「このまままっすぐ進んでください。結界の外へ出なければ、追手には見つかりません」
「静馬さん」

 紗世が呼び止める。

「静馬さんも、必ず戻ってきてくださいね」

 静馬は一瞬だけ目を見開いた。
 それから、ほんのわずかに表情を和らげた。

「はい」

 短く答え、みづきと静馬はとともに来た道を駆け戻った。