穢れの軍神と縁の花嫁

 参謀本部は、討伐軍本部と渡り廊下でつながった煉瓦造りの建物にある。
 軍の作戦立案と人事を担う場所であり、重い扉の向こうでは、日々多くの命の行方が決められていた。

 案内された最上階の一室の扉を叩くと、中から低い声が返ってくる。

 「入れ」
 「失礼します」

 広い執務室の奥で、一人の男が窓を背にして立っていた。

 鷲宮玄一郎中将。白髪交じりの髪を後ろへ撫でつけ、軍服にはいくつもの勲章が並んでいる。年齢は五十を過ぎているはずだが、背筋は伸び、その眼光には衰えがない。

 「よく来たな。五百森少佐」
 「ご用件は何でしょうか」
 「最近、腕の調子はどうだ?」

 挨拶もそこそこに、鷲宮は尋ねた。

 「特に変わりはありません」
 
 鷲宮の目が、朔哉の左腕へ落ちると、次の瞬間、鷲宮は何の断りもなくその腕を強く掴んだ。

 包帯の下にある異形の形を確かめるように指が食い込む。
 いつ壊れるか分からない武器を検分するような目線に、朔哉は歯を食いしばって耐えた。

 「ほう……まだ保っているようだな」

 鷲宮は包帯越しに腕を撫で、口元を歪めた。

 「もう十分でしょう」

 朔哉は腕を引き、鷲宮の手を振り払った。
 軍服の袖を下ろす。鷲宮は気分を害した様子もなくむしろ面白そうに眺めている。

 「討伐者は国の宝だ。だからこそ、管理せねばならん」

 鷲宮は執務机の前へ戻り、椅子へ腰を下ろした。

 「強大な力は、正しく使われてこそ価値がある。己の立場は理解しているな?」

 国の宝。その言葉が、心からの敬意でないことくらい分かっている。
 
 討伐者が瘴気を蓄積し、やがてあやかし化することを、軍上層部は知っている。だからこそ、軍から見れば重要な戦力であると同時に、危険な監視対象でもあった。使えるうちは使い危険になれば監視する。それが、国にとっての討伐者という存在だ。

 「そういえば、最近、妙な娘を屋敷に囲っているそうだな」

 朔哉はゆっくり振り返った。
 鷲宮は机の上で指を組み、こちらの反応を窺っている。

 「村を滅ぼされ、たったひとり生き残ったという……あやかし憑きだったか?」
 「……彼女は、軍の調査対象でもあります。俺の屋敷で保護することに問題はないはずです」

 鷲宮は低く笑った。

 「化け物が化け物を拾ったというわけか」

 その一言を聞いた瞬間、朔哉の中から温度が消えた。

 化け物――みづきが、どれだけその言葉に傷つけられてきたのか。
 水を求めても拒絶され、泥水を浴びせられ、生きているだけで災いだと責められた。自分の存在を否定され続けた少女が、ようやく笑うようになった。

 この場にみづきはいない。
 だとしても、二度と彼女へ向けさせたくない言葉だった。

 「彼女は化け物ではありません」

 鷲宮は眉を上げ、意外そうな顔をする。

 「随分と肩を持つではないか。お前ほどの男が、あやかし憑きの娘に惑わされるとはな」
 「事実を言っているだけです」

 鷲宮は椅子へ深く腰掛け、朔哉を観察するように目を細める。

 「馬鹿なことを」
 「ご用件がそれだけでしたら、失礼します」

 返事を待たずに踵を返すと、扉を開け廊下へ出た。

 静まり返った廊下をひとり歩きながら、朔哉は左腕を押さえた。
 鷲宮に掴まれた感触が、まだ包帯の上に残っているようで不快だった。

 早く屋敷へ帰りたいと思った。
 みづきの顔が見たい。

 そこまで考えてから、朔哉は足を止めた。

 ――恋煩いか。

 昨夜の羅刹の言葉が、はっきりと脳裏に浮かぶ。

 「……否定できないな」

 誰もいない廊下で、朔哉は小さく息をついた。