翌日。まだ祭りの余韻がまだどこか身体に残っているような気がしたが、討伐軍本部へ足を踏み入れれば、いつもの張り詰めた空気が朔哉を現実へ引き戻した。
佐官に与えられる執務室で、朔哉は部屋にやってきた静馬の前に腰を下ろしていた。軍服の上着を脱ぎ、左腕の袖を肘の上までまくり上げる。
机の上には外した包帯と、数枚の符が並んでいる。正面に座る静馬は、あらわになった左腕へ手をかざし、静かに目を閉じていた。青白い光が指先から広がり、黒い鱗の表面を滑っていく。
「かなり瘴気が落ち着いていますね」
腕の一部へ指を近づけ、術式の反応を確かめる。
「ここ最近では、一番安定しているかもしれません。鱗の侵食も進んでいない。むしろ、わずかですが境目が薄くなっているようにも見えます」
「そうか」
「やはり、みづきさんの影響でしょうか」
その名を聞いた途端、昨夜の寝顔が頭に浮かんだ。月明かりに照らされた頬。髪へ触れた時の柔らかさ。
――君が隣にいたからかもしれないな。
自分で口にした言葉まで蘇り、朔哉はわずかに視線を逸らした。
「少佐?」
「ああ、なんだ」
「先ほどから、どこか上の空でしたので」
「そんなことはない」
「みづきさんのことを考えていましたか?」
あまりにもまっすぐに尋ねられ、朔哉は思わず静馬を見返した。
「……なぜそう思う」
「みづきさんの名前を出した途端、表情が変わりました」
「特に変わっていないはずだが」
「そうでしょうか」
静馬はいたって真面目な顔をしている。
他人の感情にはこれほど鋭いくせに、紗世の気持ちには一向に気づかない。
『……君がそういう事情には疎いかと思っていた』
『私だって、それくらいのことはわかりますっ』
誰かによく似ている――と、昨日のことを思い出し、朔哉は小さく苦笑した。
「最近のみづきさんは、よく笑うようになりましたね」
静馬が新しい包帯を手に取りながら言う。
「ああ。彼女が笑うのは、いいことだ」
「なるほど。ですから、少佐も嬉しそうなのですね」
朔哉はわずかに眉を上げた。
「俺が?」
「はい。少佐も、以前よりよく笑うようになりました」
朔哉は返す言葉を失い、わずかに視線を逸らした。
静馬は何ごともなかったかのように、包帯を巻き始める。みづきの巻き方よりも早く、そして少しだけ窮屈だ。万が一にも解けないための処置だとは分かっているが、どうにも落ち着かない。丁寧に何度も確かめながら慎重に巻いていくみづきの指先を、つい思い出してしまう。
「少佐」
「今度はなんだ」
「よければ、相談に乗りますよ」
「何の」
「みづきさんのことです」
朔哉はしばらく静馬を見つめた。本人は至って本気で言っているらしい。
「気持ちだけ受け取っておくよ」
「そうですか。男女の機微については、私も詳しいわけではありませんが」
「自覚はあるんだな」
紗世が聞けば、また頭を抱えそうな発言だった。
朔哉が言葉を返す前に、扉を叩く音がした。静馬が包帯の端をきっちりと留め、朔哉の袖を下ろす。
「はい、どうぞ」
扉が開いて若い軍人が姿勢を正し、敬礼をした。
「五百森少佐。参謀本部よりお呼び出しです」
「誰から?」
「鷲宮中将閣下です」
一瞬、室内の空気が変わった。静馬が眼鏡の奥で目を細める。
朔哉は立ち上がり、軍服の袖口を整えた。
「分かった。すぐに行く」
佐官に与えられる執務室で、朔哉は部屋にやってきた静馬の前に腰を下ろしていた。軍服の上着を脱ぎ、左腕の袖を肘の上までまくり上げる。
机の上には外した包帯と、数枚の符が並んでいる。正面に座る静馬は、あらわになった左腕へ手をかざし、静かに目を閉じていた。青白い光が指先から広がり、黒い鱗の表面を滑っていく。
「かなり瘴気が落ち着いていますね」
腕の一部へ指を近づけ、術式の反応を確かめる。
「ここ最近では、一番安定しているかもしれません。鱗の侵食も進んでいない。むしろ、わずかですが境目が薄くなっているようにも見えます」
「そうか」
「やはり、みづきさんの影響でしょうか」
その名を聞いた途端、昨夜の寝顔が頭に浮かんだ。月明かりに照らされた頬。髪へ触れた時の柔らかさ。
――君が隣にいたからかもしれないな。
自分で口にした言葉まで蘇り、朔哉はわずかに視線を逸らした。
「少佐?」
「ああ、なんだ」
「先ほどから、どこか上の空でしたので」
「そんなことはない」
「みづきさんのことを考えていましたか?」
あまりにもまっすぐに尋ねられ、朔哉は思わず静馬を見返した。
「……なぜそう思う」
「みづきさんの名前を出した途端、表情が変わりました」
「特に変わっていないはずだが」
「そうでしょうか」
静馬はいたって真面目な顔をしている。
他人の感情にはこれほど鋭いくせに、紗世の気持ちには一向に気づかない。
『……君がそういう事情には疎いかと思っていた』
『私だって、それくらいのことはわかりますっ』
誰かによく似ている――と、昨日のことを思い出し、朔哉は小さく苦笑した。
「最近のみづきさんは、よく笑うようになりましたね」
静馬が新しい包帯を手に取りながら言う。
「ああ。彼女が笑うのは、いいことだ」
「なるほど。ですから、少佐も嬉しそうなのですね」
朔哉はわずかに眉を上げた。
「俺が?」
「はい。少佐も、以前よりよく笑うようになりました」
朔哉は返す言葉を失い、わずかに視線を逸らした。
静馬は何ごともなかったかのように、包帯を巻き始める。みづきの巻き方よりも早く、そして少しだけ窮屈だ。万が一にも解けないための処置だとは分かっているが、どうにも落ち着かない。丁寧に何度も確かめながら慎重に巻いていくみづきの指先を、つい思い出してしまう。
「少佐」
「今度はなんだ」
「よければ、相談に乗りますよ」
「何の」
「みづきさんのことです」
朔哉はしばらく静馬を見つめた。本人は至って本気で言っているらしい。
「気持ちだけ受け取っておくよ」
「そうですか。男女の機微については、私も詳しいわけではありませんが」
「自覚はあるんだな」
紗世が聞けば、また頭を抱えそうな発言だった。
朔哉が言葉を返す前に、扉を叩く音がした。静馬が包帯の端をきっちりと留め、朔哉の袖を下ろす。
「はい、どうぞ」
扉が開いて若い軍人が姿勢を正し、敬礼をした。
「五百森少佐。参謀本部よりお呼び出しです」
「誰から?」
「鷲宮中将閣下です」
一瞬、室内の空気が変わった。静馬が眼鏡の奥で目を細める。
朔哉は立ち上がり、軍服の袖口を整えた。
「分かった。すぐに行く」

