穢れの軍神と縁の花嫁

 「後悔はしていない。あの力があったから、守れた命がある」
 
 これまで討伐してきたあやかしの数は、もう覚えていない。救った町も、守った人も。すべての顔を覚えてはいない。それでも、選んだ道を後悔したことはなかった。
 自分の身体がいずれ壊れるとしても、その分だけ誰かが生きられるのなら、それでいいと思っていた。
 みづきに出会うまでは。
 
 「ただ……」
 
 言葉が止まった。
 屋敷の中では、みづきとリツが眠っている。明日の朝になれば、また同じ食卓を囲むだろう。みづきは朔哉の顔を見て、おはようございますと笑う。
 そんな光景を思い浮かべるだけで、胸が温かくなる。
 同時に、失うことが怖くなる。
 
 「もう少しだけ、このままでいたいと思ってしまう」
 
 この腕が、まだ腕であるうちに。
 自分がまだ自分として、みづきの隣にいられるうちに。
 
 「愚かなことだと分かっているけれど」
 
 朔哉が自嘲するように言うと、羅刹は鼻を鳴らした。
 
 「人の恋など、元より愚かなものよ」
 「否定しないんだな」
 「否定する必要があるか?」
 
 羅刹は石から立ち上がり、朔哉の横を通り過ぎる。
 
 「長く生きておると分かる。先のことばかり考え、今ある縁を手放す者ほど愚かなものはない」
 
 朔哉は振り返った。老人の姿をした羅刹が、月明かりの下で足を止める。
 
 「縁は永遠ではない。ゆえに、結ばれた時を大切にするのだ」
 
 それだけ告げると、羅刹の姿は黒い羽へと変わった。大きく翼を広げ、夜空へ飛び立っていく。
 残された朔哉は、しばらくその影を見送った。
 やがて、静かに左手を握り締める。包帯の下で、黒い指が動く。
 もう少しだけ。
 その願いが許されるのなら——みづきの笑顔を、そばで見ていたかった。