穢れの軍神と縁の花嫁

 今から半年前。その故郷は一晩にして穢野となった。
 不気味な地鳴りとともに山肌が裂け、あやかしが這い出した。村が瘴気に呑まれ、蹂躙されていくのを、みづきはただ見ていることしかできなかった。
 あの日、すべてが変わってしまった。

 父や母、村人たちは、あやかしから放たれる禍々しい瘴気に次々と倒れていった。
 人々も山の動物たちも、花も作物も、すべて死んだ――たったひとり、みづきだけを残して。

 『あやかしを呼び寄せたのはあの娘だ』
 『あやかし憑きだから、生かされたに違いない』

 生き残った理由はみづき自身もわからない。
 それでも、噂はすぐに広まった。怪我ひとつ負わずに生き残ったみづきは、憎悪と恐怖の対象でしかない。行く先々であやかし憑きは出て行けと追い立てられ、一週間前にたどり着いたのがこの羽倉の地だった。

 「ここをうろつかれるだけでも迷惑なのよ、わかったらさっさと出て行きな!」

 女はまるで野良犬でも追い払うように、竹箒を振り下ろした。乾いた音とともに背中へ痛みが走る。

 「っ……!」

 身体を縮こまらせても、女は手を止めなかった。

 誰もがあやかしを恐れている。それは当然のことだった。ひとたびあやかしに蝕まれば、この羽倉の地は住めなくなり、今度は自分たちが流民となってしまうのだから。
 
 バシャッと頭から冷たい水が降り注ぐ。桶の水を浴びせてきたのは、他の穢野から逃れてきた流民たちだ。

 「お前のせいで、俺たちまで白い目で見られるんだよ!」
 「そうよ、こんな化け物と一緒にされちゃたまんないわ!」

 同じ流民でも、あやかし憑きのお前とは違う――次々に飛んでくる罵声と憎悪の目に、みづきはただ俯いて泥水にまみれる。

 欲しかったのはほんの少しの水と、ただ生きていていいという居場所だけだった。でも、それすらも叶わないのだと思い知らされる。

 (もう、ここにもいられない――)

 「……ごめんなさい、ごめんなさい」

 地面に額を擦りつけたその上から、二度、三度と竹箒が叩きつけられる。唇を噛み締めながら痛みに耐えて、ただ時が過ぎるのを待つことしかできない。

 「おいおい、そんなに責めてやるな」

 低く野太い声の主は、上等な着物を纏い何人もの用心棒を従えた恰幅の良い男だった。
 この羽倉一帯を治める領主、堂島源蔵《どうじまげんぞう》。途端に、周囲に引きつったざわめきが広がる。

 「領主様だ……!!」
 「おい、道を開けろ!」

 自然と人垣が左右に割れ、井戸端にいた人々が慌てて頭を下げる。男はそれを当然のように受け流しながら、みづきの前で足を止めた。

 「お前が噂のあやかし憑きの娘か。全滅した村でひとり生き残ったっていう」

 堂島はみづきの前にしゃがむと、泥に汚れた顎を乱暴に掴み、無理やり上を向かせる。

 「そんなに怯えなくていい。俺はお前を追い出したりしない」

 優しい物言いとは裏腹に、ねっとりとした視線が水に濡れて肌に張り付いた着物をいやらしく這う。舌なめずりする音が、やけに近くで聞こえた。

 「よく見りゃ、なかなかそそる顔してるじゃねえか。あやかし憑きなんて気味の悪い女、本当なら叩き出すところだが……俺は慈悲深いからな。特別に俺の屋敷で飼ってやる」

 「……っ、」

 その下卑た笑みに、本能的な恐怖が全身を駆け巡った。そんな扱いを受けるくらいなら、ここで罵倒され泥水にまみれたままの方がましだ。けれど、蛇に睨まれた蛙のように声が出せない。

 みづきの絶望をよそに、周囲から感嘆の声が上がった。

 「さすが領主様だ、なんてお優しい……」
 「堂島様に囲ってもらえるなんて光栄じゃないか」

 囃し立てるような屈辱的な声。耳を塞ぎたい。けれど、水に濡れた寒さと恐怖で足元がガタガタと震えて、身体がいうことを聞いてくれない。

 「嬉しくて声も出ないか?ん?今日から毎晩可愛がってやるからな」

 周囲のつられた笑い声と視線が肌にまとわりつく。まるで見世物小屋に放り込まれたような感覚。けれど、もうみづきには抗う気力すら残っていなかった。

(どこへ行っても同じなんだ……)

 あやかし憑きと罵る人も、水を浴びせる人も、自分をニヤニヤと見下ろすこの男も。
 誰も、自分を同じ人間としては見てくれない。

 涙で視界が歪む。もう、疲れた。
 いっそこのまま心が消えてしまえばいいのに――

 そう思った、その時――大気が震えた。