初雪みたいな、恋だった

「私より、ゲームが強い奴としか、付き合わない」
 いつからだろう。そんな風に、告白を断るようになったのは。


「体の良い断り文句じゃね? 北海道最強のプロゲーマーじゃん、ナオミ」
 親友のミコは、呆れたように笑う。いつものように私――ナオミの部屋にだべりにきて、制服のままクッションにごろーんとなっている。
 ぬくぬくした部屋と、防寒ガラスを隔てて、外は道路も建物も真っ白な雪。ただ、最近少しずつ、根雪は溶け始めている。溶けなくていいのに。
「ただの断り文句じゃ、ないし。私より強い奴くらい、東京にはいっぱい」
「あー、”お兄ちゃん”とか、ね?」

 部屋に散らかった、古いゲーム雑誌の表紙を、ミコが指した。
 映っているのは、ジョー。日本トップクラスの、天才プロゲーマー。
 自他共に認める十人並みの容姿の、少しだけ疲れた、年上の男。だけど、私の目には誰よりも格好良く映る。

「刷り込みってやつじゃね? 結婚間近の彼女、いるんでしょ? 諦めろとまでは言えないけどさ……かるーく、他の男子とも付き合ってみても、バチはあたらんと思うけど?」
「結婚は……まだ……しないかもって」
 正確には、ジョーは『春の大会で優勝したら、プロポーズする』と、言っていたのだ。そして、その大会でのジョーの優勝が、ほぼ確実であることを、私は誰よ知っている。
 そう、誰よりも。


 最初にジョーのプレイを見たのは、私が8歳かそこらの頃。
 『地元・北海道旭川に、プロのゲーマーがいる』と聞いて、何気なく覗いたURL。
 鮮やかな早業に圧倒され、すぐに貪るように配信動画を見るようになった。
 早熟だった私は、徐々に『そんな前から、そこを狙ってたの?!』と言いたくなるような、頭脳戦にも、圧倒されるようになった。
 周りの年上のゲーマーたちは、派手なプレイに目を奪われて、緻密に張り巡らされたジョーの戦略と戦術に、まるで気づいていないようだった。

(私だけが、この人を理解できる)
(私だけが、この人に近づける)

 子どもらしい一途な思い込みも手伝って、ジョーのプレイするゲームを、親に頼み込んで、ほぼ全て(子どもは出来ないゲームは除いて)片っ端から追いかけた。
 プレイスタイルも、攻略法も。全てジョーのマネをして。私はぐんぐんと腕を上げ、年齢制限のないゲーム大会で、上位に食い込むようになった。

 たしか、あるシューティングゲームの大会会場だった。勝ち進んだ先で、初めてジョーに会えた。最高のトロフィだった。でも。

 私は緊張と嬉しさで、何を言っていいか分からなくなっていた。
「ジョーさん、街の本屋さんの近くに住んでますよね? 私、旭ヶ丘のスープカレー屋さんの横に住んでます」
 意味不明なセリフしか出てこなかった。ジョーさんは最初面食らって、でも
「あー、カレーのニシヤマ? 俺、あのエビっぽい味、すごい好き」
 と笑ってくれた。
 違う。地元トークやカレー談義がしたいんじゃない。もっとなんかこう、深淵まで落ちるような深い、ゲームの話がしたかったはずなのに。

 けれども、中学生になるころには、私はとうとう本人を『ジョー兄』と呼んで、プライベートで遊べるようになり。周囲からも、『ジョーの後継者』と目されるまでのゲーマーに、なっていた。

 優しくて面倒見のいいジョー兄。
 自分には出来ない神業を、さらりとこなしてみせるジョー兄。
 それがただの才能の結果ではなくて、たゆまぬ努力に裏付けされたプレイなのだと知ってから。私にはもう、ジョー以外の男など、目に入らなくなっていた。
 何度も『好きだ』と、『付き合って』と、言い募ったけれど……『ナオミは可愛いから、俺よりいいヤツがいると思うよ。同級生とかさ』なんて、5才年上のジョー兄は、困った顔で笑うだけだった。
 ジョー兄は、自覚はないけどモテるから。妹分の特権で、何度近づいてくる女たちを邪魔したことか。

 ジョー兄が高校を卒業して、拠点を北海道旭川から東京に移した時は、泣いた。泣きに泣いた。どうせ、東京のイケてる女と、さらっとお付き合いとか、しちゃうんだ。大人なんて嫌いだ。
 「絶対に追いつくから、東京で待っていて!」と、あの零下20℃の旭川駅で、叫んだのに。

――ジョー兄は、待っていて、くれなかった。

 数年後、ジョーは事故で手を怪我して、一度引退した。
 私も、引退を考えた。だって、どうやって進んだら、良い? ずっとずっと、目指して、追いかけてきた背中が消えたのに。
 ジョー兄の両親に、『ゲーム関連の方々は、今はそっとしておいてほしい』と言われ、断腸の思いで、連絡も控えた。ジョー兄が旭川に戻ってきたと知って、どれほど会いたかったか。

 さらに1年が経って、『マンボウなる、顔出し無しのゲーム配信者のプレイスタイルが、ジョーに似ている』と聞いて、ふと気になった。マンボウ……ネットミームでは、海中で最弱と言われる、メンタルの弱い魚とされている。
 ジョー兄も、決してメンタルの強いほうではなくて。だから少し、期待して、シューティングゲームの配信を観た。
 ――圧巻だった。鮮やかな神業。戦術を尽くした、一網打尽。
 見間違えるはずがなかった。……多分、まだ指が本調子ではないのだろう。少し、反応が遅い時がある。けれど、アーカイブを全部見直していたら、着実に改善しているのが見てとれた。

 ジョー兄だ。この画面の向こうに、ジョー兄がいる。
 嬉しくて、嬉しくて。つい、コメントに書き込んだ。
[マンボウって、ジョー兄?]
 返事はなく、配信は途切れてしまった。

(逃がすもんか!)

 過去の配信動画に映り込んだ、窓の外の風景のから、配信場所を割り出した。予想通り、旭川近郊。
 居ても立っても居られなくて、翌日、高校の授業が終わるや否や、その場所に直行した。ジョー兄が好きだった店のケーキを、久しぶりに買って。
 足元がフワフワしていて、雪の降る道で、何度も滑りそうになった。

……なのに。

 ジョー兄の家に、犬がいるのは知っていた。でも、まさか女がいるなんて。
 しかも美人で、ジョー兄の性格も、手の状態も、よく理解していた。作業療法士? とかいう職業で、ジョー兄の手の治療だかリハビリだかを、ずっと一緒にしていたらしい。

 私が大会復帰を誘うと、ジョー兄は、「まだ早い、彼女と相談して決める」なんて答えやがった。

(なんだ、なんで……私が一番、ジョー兄の近くにいるんじゃ、なかったんだ)

 悔しくて、悲しくて。酷いセリフをいっぱい、ジョー兄に言った。
「あんなに強かった、あんなに憧れた、私のお兄ちゃんを、返してよ!」と叫んだ時、ジョー兄は、無言で下を向いた。
 ジョー兄を傷つけたかと思ったら、怖くなって、私はジョー兄の家を、飛び出した。
 粉雪のなかを、逃げ出した。

 ジョー兄は、コートも着ずに追いかけてきた。冬の北海道だよ死ぬって。
 すぐに追い付かれて、公園で肩をつかまれた。ジョー兄は、何故だか突然、謝りだした。
「ごめん。ナオミが目指してくれた、昔の俺でいられなくて、ごめん」
 悪いのはジョー兄じゃないのに、私のほうなのに。私は素直になれなくて。
「復帰を約束したら、許す」
 偉そうに、宣言した。
 ジョー兄は、唇をぐっと引き結んで、怪我した左手を何回か動かして。
「約束する……ただ、春の大会でな」って、笑った。
 いつしか粉雪は止んでいた。夕陽が木々に積もった雪を、茜色に煌めかせていた。
 透き通った冷たい空の下、急いで一緒に、ジョー兄の家に戻った。

 久しぶりにジョー兄と、シューティングゲームをプレイした。
 春が来るまで、何度もジョー兄の家に押し掛けて、特訓メニューに付き合わせた。嫌だったけど、嫌だったけど、ジョー兄の彼女とも、仲良くしながら。

 手の痛みに耐えながら、1日数時間もリハビリをしているジョー兄。
 ドジな彼女のことを、優しくフォローして、愛おしいって目で見つめているジョー兄。
 そして、どんどん強くなっていくジョー兄。
 (ああ、もう。カッコ良すぎ)
 止めたいのに、止まらないんだ。私の胸には、今のジョー兄への想いが、新しい雪の層みたいに積もっていった。

 雪解けの足音が、近づく頃。
 ジョー兄が、プロゲーマーとして復帰を決めて。ゲーム業界は大騒ぎになった。
 雑誌インタビューなんかでもジョー兄は、『大会復帰を悩んでいた時期に、後輩ゲーマーのナオミが発破をかけてくれたお陰で、戻ってこれました』とか、言ってるけどでも。

――私を好きになっては、くれなかった。


 長いような短いような昔話を、ミコは静かに聞いてくれた。
 涙が、後から、後から、溢れた。

(春が来たら、春が来たら)

 10年間、追いかけ続けたーー淡く儚く、降り積もった初恋が、消えるから。
 だから今は、あと少しだけ。

「私より、強い奴としか、付き合わない」