母に手を振る姉の後ろに続き、病室を後にする。
あの時より大人になったからなのか、親の見舞いに来ていることに対して恐怖心も羞恥心もない。主治医から説明をどうすれば分からなくなっていたが、重症ではないという検査結果がその大半を打ち消した。それでも、将来に対する漠然とした不安は心の片隅に残ったままだ。
自分でどうにかすることができなくても、母がどうにかしていくれる。普段は自覚をしていなくても、そういう思いがあったことは否めない。今回は、それが完全に無くなった。
最終的に相談できる相手がいなくなる。
無条件に味方をしてくれる人がいなくなる。
すべての責任が自分の肩に圧し掛かる。
家のことなど考えたこともなかった。ずっと誰かがやってきたし、自分には関係ないことだと、どこか他人事のように思っていた。今回は事なきを得たけど、もし、母が長期入院ということにでもなれば、自分がどうにかしなければならなくなる。入院費の問題もそうだけど、何がどうなっているのか微塵も知らない。毎月何の支払いがあるのか。水道光熱費や税金、生活費がいくら必要で、どこから支払われているのか分からない。固定資産税っていくらなんだ?いつ請求がきて、どうやって支払うのだろうか。入院費の支払いは、いつ請求されるのだろうか。それに、そろそろ稲刈りもしなければならない。コンバインの動かし方なんか知らない。乾燥機の使い方なんか分からない。草刈機の燃料しか分からない。
胸が苦しくなる。
母が倒れるほど弱っていることを知らなかった。
でも、知っていたとしても、何もしなかったに違いない。
何も聞いてこなかったからだ。
関心を示すこともせず、自分の役割ではないと勝手に決めて無関心だったからだ。
きっと、父親が亡くなったとき、母も同じ気持ちだったに違いない。
前後左右、上も下も真っ暗な中で、頼ることができる人もいなくて、手探りで必死で前に進んだに違いない。
今なら少しは分かる。
子どもを2人抱え、簡単な手伝い程度しかしこなかった田畑を託され、夫を失った哀しみを感じる暇もなく、暗闇の中で歯を食い縛ったのだろう。
「コンビにで弁当買って帰らないとね。台風が直撃したし、何も無い可能性があるけどさ」
考え事をしながら前を向いていると、姉がウインカーを出しながらコンビニの駐車場に入る。
「何も無いじゃん!!ああ、もう!! はあ、仕方ないから冷凍パスタとプリンで我慢するわ。あんたはどうするの?」
「同じでいいよ」
姉がフラグを立てたとおり、台風の直撃により配送ルートが止まっているらしい。徐々に回復しているようではあったが、次の予定は深夜に12時頃だとか。当然のことながら、そこまで待てるはずがない。
夕食を確保し、それ以上は寄り道もすることなく帰宅した。
「ただいま」
姉が玄関のカギを開けて中に入る。誰もいないと分かっているにも関わらず声を掛けるのは習慣なのか、それとも防犯なのか。理由はともかく、自分とまったく同じ行動をしていることに、少し笑ってしまう。
姉はお腹が空いていたのか、持たされているコンビニ袋を一瞥して台所に直行する。その態度は暗に「それを持ってついてきなさい」という指示なのだろう。
電子レンジは昔からずっと「回ってチン!」のタイプだ。今どきこんな初期型の製品を現役で使用しているのは我が家だけではなかろうか。2度目のチンの音が鳴り、食卓に2つの冷凍パスタが並んだ。先に食べていいと言ったのだが、姉は首を縦に振らなかった。
元々は4人用であったため、2人では少し広く感じる食卓に座る。
「「いただきます」」
父親は必ず自宅で晩御飯を食べていた。両親の仕事や姉の塾、自分の部活動もあり夕食の時間は21時前後になることが多かった。それでも、自然に21時には家族全員が食卓に着席するようになっていた。
「こうやって2人で一緒に御飯食べるのって久し振りよね。昔はさ、家族全員で一緒に食べていたのにね。御飯を食べながら口喧嘩したりしてたけど、今みたいに家族と一緒にいることが息苦しいとは思わなかった」
冷凍パスタの解凍に納得がいかないのか、再度フタを閉めて左右に振りながら姉が続ける。
「今回、母さんが入院することになって、本当によく分かった。もっと話しをしないとダメだ。私には・・・私たちには何も分からない。何をどうすればいいのか分からなくて、自分で決めなければならないと思ったら不安しかない」
姉の言葉を聞き、解凍が納得いかない冷凍パスタを左右に振りながら会話を引き継ぐ。
「自分がこだわっていた事は、本当に小さいことだった。大人になる、ひとり立ちする、家族と対等に付き合う。それは、自分の言動に責任を持てることが大前提だ。今回のことで思い知ったよ。自分には覚悟と責任感がまったく無かった」
―――――思い出したよ。
父親のガンが発覚する3ヶ月くらい前、肩を抱かれて耳元で告げられた。
「母さんと雛乃を頼むぞ。母さんは、ちょっと気が強くて、口うるさくて、我がままだけど、誰よりも家族を愛している。オマエは煩わしいとか思わずに、寛大な心で受け止めてやってくれ。いちいち言い返して、喧嘩なんかするんじゃないぞ。
雛乃は少々プライドが高いが、他人の何倍も努力する頑張り屋さんだ。自分の目標を決めたら、真っ直ぐに突き進むことしかできないタイプだ。そして、いつも家族のことを気に掛けている優しい子だ。だから、姉弟で協力してやっていくんだぞ。オマエたちよりも父さんや母さんの方が先に逝くんだから。ああ、気が強いのは母さん譲りだから諦めろ」
「ふん、悠太のくせに生意気よ」
姉はようやくパスタを口に運び始めた。
台風の様子を確認しようとテレビをつけると、ちょうどニュース番組が流れてきた。この地域を速度を上げながら通過した後、すでにかなり遠ざかっていた。吹き返しの風による波が打ち寄るかも知れないが、少しずつ落ち着きを取り戻すに違いない。
あの時より大人になったからなのか、親の見舞いに来ていることに対して恐怖心も羞恥心もない。主治医から説明をどうすれば分からなくなっていたが、重症ではないという検査結果がその大半を打ち消した。それでも、将来に対する漠然とした不安は心の片隅に残ったままだ。
自分でどうにかすることができなくても、母がどうにかしていくれる。普段は自覚をしていなくても、そういう思いがあったことは否めない。今回は、それが完全に無くなった。
最終的に相談できる相手がいなくなる。
無条件に味方をしてくれる人がいなくなる。
すべての責任が自分の肩に圧し掛かる。
家のことなど考えたこともなかった。ずっと誰かがやってきたし、自分には関係ないことだと、どこか他人事のように思っていた。今回は事なきを得たけど、もし、母が長期入院ということにでもなれば、自分がどうにかしなければならなくなる。入院費の問題もそうだけど、何がどうなっているのか微塵も知らない。毎月何の支払いがあるのか。水道光熱費や税金、生活費がいくら必要で、どこから支払われているのか分からない。固定資産税っていくらなんだ?いつ請求がきて、どうやって支払うのだろうか。入院費の支払いは、いつ請求されるのだろうか。それに、そろそろ稲刈りもしなければならない。コンバインの動かし方なんか知らない。乾燥機の使い方なんか分からない。草刈機の燃料しか分からない。
胸が苦しくなる。
母が倒れるほど弱っていることを知らなかった。
でも、知っていたとしても、何もしなかったに違いない。
何も聞いてこなかったからだ。
関心を示すこともせず、自分の役割ではないと勝手に決めて無関心だったからだ。
きっと、父親が亡くなったとき、母も同じ気持ちだったに違いない。
前後左右、上も下も真っ暗な中で、頼ることができる人もいなくて、手探りで必死で前に進んだに違いない。
今なら少しは分かる。
子どもを2人抱え、簡単な手伝い程度しかしこなかった田畑を託され、夫を失った哀しみを感じる暇もなく、暗闇の中で歯を食い縛ったのだろう。
「コンビにで弁当買って帰らないとね。台風が直撃したし、何も無い可能性があるけどさ」
考え事をしながら前を向いていると、姉がウインカーを出しながらコンビニの駐車場に入る。
「何も無いじゃん!!ああ、もう!! はあ、仕方ないから冷凍パスタとプリンで我慢するわ。あんたはどうするの?」
「同じでいいよ」
姉がフラグを立てたとおり、台風の直撃により配送ルートが止まっているらしい。徐々に回復しているようではあったが、次の予定は深夜に12時頃だとか。当然のことながら、そこまで待てるはずがない。
夕食を確保し、それ以上は寄り道もすることなく帰宅した。
「ただいま」
姉が玄関のカギを開けて中に入る。誰もいないと分かっているにも関わらず声を掛けるのは習慣なのか、それとも防犯なのか。理由はともかく、自分とまったく同じ行動をしていることに、少し笑ってしまう。
姉はお腹が空いていたのか、持たされているコンビニ袋を一瞥して台所に直行する。その態度は暗に「それを持ってついてきなさい」という指示なのだろう。
電子レンジは昔からずっと「回ってチン!」のタイプだ。今どきこんな初期型の製品を現役で使用しているのは我が家だけではなかろうか。2度目のチンの音が鳴り、食卓に2つの冷凍パスタが並んだ。先に食べていいと言ったのだが、姉は首を縦に振らなかった。
元々は4人用であったため、2人では少し広く感じる食卓に座る。
「「いただきます」」
父親は必ず自宅で晩御飯を食べていた。両親の仕事や姉の塾、自分の部活動もあり夕食の時間は21時前後になることが多かった。それでも、自然に21時には家族全員が食卓に着席するようになっていた。
「こうやって2人で一緒に御飯食べるのって久し振りよね。昔はさ、家族全員で一緒に食べていたのにね。御飯を食べながら口喧嘩したりしてたけど、今みたいに家族と一緒にいることが息苦しいとは思わなかった」
冷凍パスタの解凍に納得がいかないのか、再度フタを閉めて左右に振りながら姉が続ける。
「今回、母さんが入院することになって、本当によく分かった。もっと話しをしないとダメだ。私には・・・私たちには何も分からない。何をどうすればいいのか分からなくて、自分で決めなければならないと思ったら不安しかない」
姉の言葉を聞き、解凍が納得いかない冷凍パスタを左右に振りながら会話を引き継ぐ。
「自分がこだわっていた事は、本当に小さいことだった。大人になる、ひとり立ちする、家族と対等に付き合う。それは、自分の言動に責任を持てることが大前提だ。今回のことで思い知ったよ。自分には覚悟と責任感がまったく無かった」
―――――思い出したよ。
父親のガンが発覚する3ヶ月くらい前、肩を抱かれて耳元で告げられた。
「母さんと雛乃を頼むぞ。母さんは、ちょっと気が強くて、口うるさくて、我がままだけど、誰よりも家族を愛している。オマエは煩わしいとか思わずに、寛大な心で受け止めてやってくれ。いちいち言い返して、喧嘩なんかするんじゃないぞ。
雛乃は少々プライドが高いが、他人の何倍も努力する頑張り屋さんだ。自分の目標を決めたら、真っ直ぐに突き進むことしかできないタイプだ。そして、いつも家族のことを気に掛けている優しい子だ。だから、姉弟で協力してやっていくんだぞ。オマエたちよりも父さんや母さんの方が先に逝くんだから。ああ、気が強いのは母さん譲りだから諦めろ」
「ふん、悠太のくせに生意気よ」
姉はようやくパスタを口に運び始めた。
台風の様子を確認しようとテレビをつけると、ちょうどニュース番組が流れてきた。この地域を速度を上げながら通過した後、すでにかなり遠ざかっていた。吹き返しの風による波が打ち寄るかも知れないが、少しずつ落ち着きを取り戻すに違いない。



