波にはじまり、波におわる。

 しかし、実際に母は元気だった。肝臓の数値云々はよく分からないが、受ける印象はこれまでと全く変わりがなかった。ここが病院のベッドでなければ、体調が悪いことにも気付かないほどだった。
 余談ではあるが、無理して購入したシュークリームは、発見されて看護師に没収された。


「悠太」
 自分の存在に気付いた母が名前を口にする。同時に姉も振り返った。
「着替えは持って来た?」
「ここにある」
 カバンを差し出して姉に手渡した。姉はカバンを受け取ると、ベッドの端に置いて中身を確認する。
「まあ、合格。あんたにしては、良い感じに一式揃ってる」
 上から目線での評価に思わずムッとした表情になってしまったのか、母がタイミング良く口を挟んだ。
「ありがうとね。たぶん、すぐに退院するとはおもうけど。足りない分は雛乃に買ってきてもらうから」
「あ、うん」
 これまで通りの素っ気無い返事をしてしまう。でも、それは仕方ないと思って頂きたい。分かったことも多かったけど、いきなりデレる訳にはいかない。
「それはそうと、ぶつけなかったでしょうね?」
 腕組みをしながら問い掛けてくる姉に、ポケットから車のキーを渡しながら答える。
「大丈夫。というかさ、久し振りに車に乗ったら、バイクより全然楽だな。バイトで金を貯めて、安いのでいいから買うかな」
「はあ?あんたねえ、ガソリン代もバカにならないし、税金は払わないといけないし、保険にだって入らないといけないのよ。維持費が結構かかるんだからね!!」
「マジ?」
 すると、2人の会話を聞いていた母が再び口を挟んできた。
「まあ、車検代と任意保険料、それと税金は払ってあげてもいいけど」
 その言葉に対し、姉が母の方に振り返って両手をクロスさせた。
「ダメ、ダメ。そうやって甘やかすから、こんな反抗期のまま進歩がない大学生になってしまったのよ。学費はお母さんが出しているんだし、車なんていう贅沢品は自分で買って、自分で維持すればいいのよ。バイクがあるし、普段の移動手段には困ってないんだから!!」
 余計なことを言うなよ、と思いながら姉を横目で睨む。しかし、本当にその通りであるため、反論することができない。


 囲んでいる物は食卓ではなくベッドではあるが、こうして家族3人が揃って会話をするのは、父親が亡くなって以降では初めてかも知れない。

 父親は必ず自宅で夕食を摂る人だった。飲み歩くことはしなかったし、今のご時勢、パワハラを恐れて会社の飲み会はほとんどない。もしかするとあったのかも知れないが、外食して帰宅したとしても追加で晩御飯を食べる、そんな感じだった。結果的に、家族全員が揃っての夕食が必然になった。だから、常に家族間で情報の共有はされていたし、どんなことでも話し難いという感覚はなかった。

 何かのアニメで、「魔女は血で飛ぶ」というセリフがあった。努力で飛べるようになる訳ではなく、血縁で飛ぶのだ。競馬の育成ゲームをしていると、父親と母親の相性や血縁によって生まれてくる仔馬の能力値が決定されるようになっている。リアルの競馬でも同様に血統によって能力も、価格にさえ格差が生じる。
 「結局は血なのか」と思ってしまう。血が家族の証であり、決定的な繋がりなのだと。

 でも、父親が亡くなってからの7年間、希薄になった母と姉との関係はそれだけでは説明することができない。やはり、家族とはいえ、一緒に食卓を囲み、今日あった他愛もない出来事を話し、人気の芸能人の噂話をし、姉を彼氏の話で煽り、意思の疎通をしなければダメだ。
 空を飛ぶ必要もなければ、速く走る能力もいらない。魔女でもなければサラブレッドでもない。別に、後世に血を残そうとしている訳ではない。それでも、家族で助け合って生きていくためだとしても、努力が必要だ。血が繋がっているというだけでは家族とは言えない。

 お互いに、精一杯手を伸ばす。
 相手が何を考えているのか分からない。
 何に困っているのかも分からない。
 何が好きなのかも分からない。
 言葉を交わさなければならない。
 意見をぶつけ合わなければ分からない。
 最終的には赦し合わなければならない。
 また、一家団欒から始めよう。
 1年に何回かは3人で一緒に御飯を食べよう。


 3人が揃ってから2時間余りが過ぎ、面会時間の終了が迫ってきた。ずっと点滴は続いていたが、母の容態はすでに安定していた。もう、急を要する状態にはない。
「明日は休みをもらったし、ひとまず今日はこっちの家に帰ることにするわ。路面状態がよく分からないし、夜に山越えとかしたくないしね。面会時間11時からだっけ?お昼間頃に様子を見に来るから」
 姉の言葉に母が頷く。いつもなら「私はいいから会社に行け」などと言いそうなところであるが、今日はそんなことは口にしない。
「大学は少々休んでも大丈夫だし、姉ちゃんのところにバイクを置いたままだから、電車が動いていたら朝一で取りに行ってくるよ。足が無いと不便だしね」
 そう言うと、母は表情を曇らせながら頷いた。
「気を付けなさいよ。バイクなんて引っ繰り返ったらすぐに死んでしまうんだから」
「はいはい、分かってるよ」

 このままだとキリがないため、姉がぶっつりと会話を切った。

「じゃあ、また明日ね」