実家の玄関のカギは、当たり前のように開いたままだった。そもそも、この片田舎では数日家を空けない限りは、日中にカギをするようなことはしない。
「ただいま」
と、家の中に向かって声を掛けてみるが、家主がいない現状では返事はない。苦笑いしながら家に上がると、すぐに自分の部屋に向かう。今でも着替えなどが自室にあるはずだからだ。
階段を上がり、2年ぶりに自室の扉を開ける。
部屋の中に一歩足を踏み入れて驚いた、そこは、大学に進学するときに出て行った当時のまま、キレイな状態で維持されていた。埃っぽさも感じられないため、常に掃除されているのだろう。
タンスから着替えを見繕い、それを手にして風呂場に向かう。散々泥水に浸かったため、着替えたとはいっても落ち着かない。脱衣所で着ている衣服とビニール袋に入れていた服をそのまま洗濯機に投げ込み、適当に洗剤を投入するとスタートボタンを押した。
そして、自分の身体も洗い流すために、風呂場に入って頭からシャワーを浴びる。節々にたまった砂や泥を洗い流し、ようやく人心地ついた気がした。とはいえ、まだまだやる事は残っているし、できるだけ早く病院に戻りたいところだ。
洗濯完了まで残り20分余り。母の着替えを分かる範囲で探し、紙袋か何かに入れて持って行く用意をしなければならない。
洗面台にあるタオルを数枚と、開いていない箱ティッシュ等の必要そうな物や旅行用の歯磨きセットも忘れずに袋に入れる。記憶の中の保管場所との齟齬もほとんどなく、短時間で持って行く物の準備は済んだ。
最後に、仏間に移動し、仏壇の前に座ると線香に火を点けて立てた。手を合わせ、記憶の中にいる父親の姿を思い浮かべながら話し掛ける。
「父さん・・・まだ、母さんを連れて行かないでくれ。あと30年は、そっちで単身赴任してもらいたい。まだ親孝行もしていないし、聞いておきたい事も山ほどあるんだよ。
寂しいかも知れないけど、あと30年は我慢して欲しい。頼むよ。だから、それまでは母さんを守っていてくれ」
最後にお鈴を鳴らして、再び手を合わせる。ちょうどその時、家の中に洗濯が終了した合図の音が鳴り響いた。
また戻ってくるため適当な場所に洗濯物を干し、荷物を持って外に出る。今回はきちんと戸締りをし、カギを閉めることは忘れなかった。
庭先に停めてある車に母の着替えや日用品が入ったカバンを乗せていると、大きな女性の声で呼び止められた。
「悠太君、何かあったの!?」
振り返って確認するまでもなく、よく話しに来ていた近所のオバサンだ。母を始めとし、なぜ田舎の女性は40歳を過ぎた辺りから無駄に声が大きくなるのだろうか。
「救急車が入って行ったように見えたから・・・もしかして、お母さんが運ばれたの?」
当然の質問をされ、どう答えたものか考える。
オバサンが知らないということは、倒れる直前に自分で救急車を呼んだようだ。母の性格からして、近所の人たちに入院したことを知られたくはないはずだ。それに、交友関係が広い人だから、大騒ぎになりそうな気がする。
「えっと・・・まだ、詳しい状況が分からなくて。分かったら連絡するので、少しの間伏せてもらってもいいですか?」
家族にこうこう言われてしまっては、頷くこと以外はできないだろう。
オバサンと連絡先の交換を行い、今度こそ実家を後にする。姉から連絡がないところを見ると、急変があった等ということはないだろう。それでも、運転に慣れたということもあり、来た道を少し速いペースで引き返した。
ルームミラーに反射するオレンジ色の夕焼けに目を眇める。高速で移動していた真っ黒い雨雲は、もうどこにも見当たらない。病院近くの海岸線に出ると、まだまだ吹き返しの風は強い。白波が立ち、激しくテトラポットを洗っている。
「台風は波にはじまり、波に終わる」と聞いたことがある。台風は突然来襲するものではなく、数日前から波が大きくなり、通過した後も数日間も高波が続くという意味だ。
左にウインカーを出し、病院の敷地に入る信号を左折する。
母はそろそろ目を覚ましただろうか。
まだ眠ったままなのだろうか。
最初に何て言えばいいのだろうか。
2年ぶりの再会だ。
最初の言葉は「ただいま」だろうか。
それとも「大丈夫?」だろうか。
などという、どうでも良いような事ばかりが頭に浮かぶ。それでも、病院のエントランスから一番近い場所に駐車すると、助手席に置いていたカバンを手にして618号室に急いだ。
エレベーターを降り、ナースステーションの前に設置されている面会申請書を記入して「面会中」の札を首に掛ける。すでに病室の位置は覚えているため、一切迷うこともなく618号室に辿り着いた。
そっと近付き、入口からこっそりと顔を入れる。
母のベッドを覗き込むと、姉が背中の向こう側で母の手を握り締めていた。よく見ると、手を握り締められている母に目は弓なりに開いている。存在に気が付いた母が、こちらを見て微かに笑った。
ベッドに近付きながら最初に口から出た言葉は、自分でも想定の範囲外だった。
「元気そうじゃん」
「ただいま」
と、家の中に向かって声を掛けてみるが、家主がいない現状では返事はない。苦笑いしながら家に上がると、すぐに自分の部屋に向かう。今でも着替えなどが自室にあるはずだからだ。
階段を上がり、2年ぶりに自室の扉を開ける。
部屋の中に一歩足を踏み入れて驚いた、そこは、大学に進学するときに出て行った当時のまま、キレイな状態で維持されていた。埃っぽさも感じられないため、常に掃除されているのだろう。
タンスから着替えを見繕い、それを手にして風呂場に向かう。散々泥水に浸かったため、着替えたとはいっても落ち着かない。脱衣所で着ている衣服とビニール袋に入れていた服をそのまま洗濯機に投げ込み、適当に洗剤を投入するとスタートボタンを押した。
そして、自分の身体も洗い流すために、風呂場に入って頭からシャワーを浴びる。節々にたまった砂や泥を洗い流し、ようやく人心地ついた気がした。とはいえ、まだまだやる事は残っているし、できるだけ早く病院に戻りたいところだ。
洗濯完了まで残り20分余り。母の着替えを分かる範囲で探し、紙袋か何かに入れて持って行く用意をしなければならない。
洗面台にあるタオルを数枚と、開いていない箱ティッシュ等の必要そうな物や旅行用の歯磨きセットも忘れずに袋に入れる。記憶の中の保管場所との齟齬もほとんどなく、短時間で持って行く物の準備は済んだ。
最後に、仏間に移動し、仏壇の前に座ると線香に火を点けて立てた。手を合わせ、記憶の中にいる父親の姿を思い浮かべながら話し掛ける。
「父さん・・・まだ、母さんを連れて行かないでくれ。あと30年は、そっちで単身赴任してもらいたい。まだ親孝行もしていないし、聞いておきたい事も山ほどあるんだよ。
寂しいかも知れないけど、あと30年は我慢して欲しい。頼むよ。だから、それまでは母さんを守っていてくれ」
最後にお鈴を鳴らして、再び手を合わせる。ちょうどその時、家の中に洗濯が終了した合図の音が鳴り響いた。
また戻ってくるため適当な場所に洗濯物を干し、荷物を持って外に出る。今回はきちんと戸締りをし、カギを閉めることは忘れなかった。
庭先に停めてある車に母の着替えや日用品が入ったカバンを乗せていると、大きな女性の声で呼び止められた。
「悠太君、何かあったの!?」
振り返って確認するまでもなく、よく話しに来ていた近所のオバサンだ。母を始めとし、なぜ田舎の女性は40歳を過ぎた辺りから無駄に声が大きくなるのだろうか。
「救急車が入って行ったように見えたから・・・もしかして、お母さんが運ばれたの?」
当然の質問をされ、どう答えたものか考える。
オバサンが知らないということは、倒れる直前に自分で救急車を呼んだようだ。母の性格からして、近所の人たちに入院したことを知られたくはないはずだ。それに、交友関係が広い人だから、大騒ぎになりそうな気がする。
「えっと・・・まだ、詳しい状況が分からなくて。分かったら連絡するので、少しの間伏せてもらってもいいですか?」
家族にこうこう言われてしまっては、頷くこと以外はできないだろう。
オバサンと連絡先の交換を行い、今度こそ実家を後にする。姉から連絡がないところを見ると、急変があった等ということはないだろう。それでも、運転に慣れたということもあり、来た道を少し速いペースで引き返した。
ルームミラーに反射するオレンジ色の夕焼けに目を眇める。高速で移動していた真っ黒い雨雲は、もうどこにも見当たらない。病院近くの海岸線に出ると、まだまだ吹き返しの風は強い。白波が立ち、激しくテトラポットを洗っている。
「台風は波にはじまり、波に終わる」と聞いたことがある。台風は突然来襲するものではなく、数日前から波が大きくなり、通過した後も数日間も高波が続くという意味だ。
左にウインカーを出し、病院の敷地に入る信号を左折する。
母はそろそろ目を覚ましただろうか。
まだ眠ったままなのだろうか。
最初に何て言えばいいのだろうか。
2年ぶりの再会だ。
最初の言葉は「ただいま」だろうか。
それとも「大丈夫?」だろうか。
などという、どうでも良いような事ばかりが頭に浮かぶ。それでも、病院のエントランスから一番近い場所に駐車すると、助手席に置いていたカバンを手にして618号室に急いだ。
エレベーターを降り、ナースステーションの前に設置されている面会申請書を記入して「面会中」の札を首に掛ける。すでに病室の位置は覚えているため、一切迷うこともなく618号室に辿り着いた。
そっと近付き、入口からこっそりと顔を入れる。
母のベッドを覗き込むと、姉が背中の向こう側で母の手を握り締めていた。よく見ると、手を握り締められている母に目は弓なりに開いている。存在に気が付いた母が、こちらを見て微かに笑った。
ベッドに近付きながら最初に口から出た言葉は、自分でも想定の範囲外だった。
「元気そうじゃん」



