晴るはじめの明日を


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 大学に入学してひと月のうちに青音(はると)が得た最たる学びは、大学生というのが如何にいい加減な生き物かということだった。

 必修に加えて取得可能単位数限界まで熱心に授業を受ける奴がいれば、ひたすらに遊び惚けている奴もいる。大学へ来たかと思えばサークル棟に入り浸っていたり、朝から晩までバイトに明け暮れ、いつ見てもやつれていたり。最初に挙げたタイプ以外の彼らには、大抵留年という言葉が禁句らしかった。

 中でも悪名高いのは、年中理由をつけ宴を開いては男女交流を楽しむ一派。彼らは妙な行動力を持つだけでなく、古代ギリシャ人も驚くほどリビドーの探求に熱心だった。
 不本意ながら、青音が高校時代の延長として何気なしに加入したバドミントンサークルも、それらの類に属した。平たく言えば飲みサーである。


 飲みサーに在籍する大学生は、基本的に未成年飲酒という法律を知らない。青音は入学直後にして、安居酒屋でほぼ発泡酒のビールと薄いレモンサワーに揉まれた。そしてまた飲酒1年生の例に漏れず、しばしば自分の許容量を見誤った。

 せめてもの救いは、青音の入った飲みサーにいた面々の多くが、酒と貞操にだらしないばかりで常識は破綻していなかった点である。
 勧められるがまま酒を飲み、陽気に喜んでいたかと思えば堂々爆睡しだすルックスの良い新入生は、瞬く間に先輩たちから可愛がられた。少なからぬ人数にお持ち帰りを狙われながらも、青音はただ平和に潰れるばかりで済んだ。

「ゆーたろー!」
「…お前いい加減にしろよ」

 そして新入生歓迎コンパにて支離滅裂な電話で呼び出したのをきっかけに、前後不覚に陥った時の青音には妙な癖ができた。自力で帰れないような場合には、祐太郎を頼るのだ。
 よく青音を迎えに来る謎のイケメンとして、サークルの中で祐太郎はちょっとした有名人だった。青音が百戦錬磨の女性陣に食い散らかされなくて済んだのは、この珍名物見たさもあったのかもしれない。

 ならば青音の生活は肉欲的には清廉なのかというと、そこは些か疑問が残る。

「ん……、ぁ…まだ…」

 泥酔して部屋へ辿り着いた後、大概青音と祐太郎は闇雲なキスに没頭した。大学へ入るまでのあの微妙な慎ましさは何だったのか。青音は二日酔いの朝に時々頭を抱えた。
 箍が外れたように食らい合うそれは、明らかに性的欲求を満たす為の接触だ。


 飲みゲーもコールも、先輩の熱心な指導のおかげですぐに一通りマスターした。口移しでゲロをプレゼントし祐太郎に24時間口を利いてもらえなくなった事件以降、自分で飲酒量を調整することも覚えた。
 ミディアムまで伸びた髪を明るく染め、ピアスを開け、そうして夏が来る頃には、青音も前頭前野にヘリウムを溜め込んだチャラい大学生へと立派な進化を遂げていた。
 母親は帰省早々悲鳴を上げた。



 サークル方面こそ乱れに乱れた惨状の一方で、青音はモラトリアムを正しく活用もした。授業を無意味に欠席することなどなかった。むしろ成績は優等である。遊ぶ金欲しさとはいえ無理のない範囲でバイトをし、その他の余暇はひたすら文化的なものに触れた。

 高校までの統一規格による教育から解放された大学では、自分がいかに物を知らないのかということをまずはじめに突きつけられる。
 その焦りと堕落的なサークル生活への負い目により、青音は名作と呼ばれる文学や映画へ片っ端から手を出し始めた。

 ほとんどはまるで内容など解さなかった。ただ浴びるように貪った。
 夏目漱石やドストエフスキーすら碌に触ったことがなく、辛うじてタランティーノなら見たことがあるという程度だった青音は、半年後には佳人之奇遇とファノンの地に呪われたる者を読み比べ国家を論じるようになった。切腹や座頭市に唸り、フェリーニに惑溺した。

 青音と繁く部屋を行き来していた祐太郎も、必然的に趣味が似通う。

 ネットで見つけたどこの誰とも知らない自称マニアの評価を真に受け、読む価値見る価値のある作品を選別していた時点で、メディアの広告商法へ鯉の如く食いつく大衆と何ら変わりはない。なにせ古いと言うだけで青音には2割増しで輝いて見える。

 それでも、聞いたことすらなかった作家の一篇が心に染み入った日、それを薦めてきた祐太郎と満足ゆえの沈黙に浸る時間、青音は高揚した。流行りのアニメ映画や皆の見ているハリウッドアクションではなく、配信サブスクとは一生縁の無さそうなトーキーや、眠らずいるのが修行かと錯覚するほど退屈な長尺映画について2人だけで語り合うのが、何よりも楽しかった。

 殊更熱中したのはやはり名盤の数々だった。
 ある時何気なく立ち寄ったタワレコで試聴したレアグルーヴの復刻アルバムに、青音は鳥肌が立つほどの衝撃を受けた。既知のロックバンドと間違え手に取ったのが、ジャズファンクの金字塔と名高い大傑作だったのだ。この時ほど青音がジャケット写真に感謝したことはない。

 以降フュージョンの世界にのめり込んだ。祐太郎の熱意は青音ほどでこそなかったものの、いよいよバグを起こすようになってきたウォークマンによるいつもの鑑賞習慣は続いていたので、やはり影響は受ける。
 石川晶&カウント・バッファローズの貴重な廃盤を中古販売店で見つけた週末、青音と祐太郎はリユースショップを十数軒はしごしてレコードプレイヤーとDACを手に入れた。
 気分はロトの剣を手に入れた勇者さながら。人生初のアナログサウンドで半日は悦に浸り、胸の高鳴るまま意気揚々とPCに取り込んだ。折角なので最高音質を目指し、レコードの録音にはDSD形式をも用いた。

 いよいよプレイヤーへ曲を入れようという時、しかしPCを操作していた祐太郎は狼狽も露わに青音を呼んだ。
 簡単なことである。DSD音源の暴力的なファイルサイズにヴィンテージな青音の愛器が耐えられるわけもなかった。

 呆然と大の字になってイヤホンを共有し、青音と祐太郎は初めてこの貧弱旧世代ウォークマンを捨ててしまおうか迷った。