晴るはじめの明日を





 酒が入って余興も挟み、施設側の厚意で引き延ばしてもらった時間いっぱい、会場は学生時代を懐かしむ大人たちで盛り上がった。
 昼過ぎから始まった同窓会も夕方には一旦終了を迎える。エントランスへ出た後、陽気な顔で二次会からが本番だと気炎を上げる一団に絡まれた青音(はると)は、大人しく参加を表明した。
 本業のタスクが詰まっていない時などなく、特に今回は帰国中に必ず済ませたい用事もある。しかしまあ、今更急ぐこともないはずだ。

 がやがやと弾んだ雰囲気に紛れ元同級生らと共に外に出れば、風がジャケットの裾を巻いて過ぎる。
 通りにはヘッドライトをつけた車とそうでない車が半々に入り交じり、ビルの角へ三日月が顔を出していた。
 青音は胸いっぱいにゆっくり空気を吸い込んだ。夏は暑く冬は寒いこの国の、一年で最も過ごしやすい時季は短い。

 ふと、何かえも言われぬ予感に誘われた気がした。
 瞼を持ち上げる。無意識に視線を向けたのは来た時にちらりと確かめた桜の方だった。低い位置からライトアップされた花々が、ため息の出そうな風情で佇む。
 その足下、背の低い柵の傍に男がいた。

 休日だというのに仕立ての良いスーツを纏っている。骨格の特徴からして抜群にスーツの似合う日本人というのは珍しいが、彼は爪先まで一部の違和感もない。短髪を額上で分けて流すスタイリングの適度に無造作な加減すら、如何にも仕事のできそうな印象に一役買っていた。

 青音が視線を向けた時には、男は既にこちらを見ていた。
 足を止めた。
 はじめに掛ける言葉について、数百でも利かない数を考え巡らしたように思うが、青音はただ静かにその瞬間を受け止める。
 動転したのでも言葉に詰まったのでもない。声のやり取りをするには少しばかり距離があった。

古渡(こわたり)?どうしたの…って、え!」
「え、あれ、高橋君っ?」

 気づいた者が喜色の滲んだ歓声を上げる。
 花の下―――高橋(たかはし)祐太郎(ゆうたろう)は、三十を過ぎて男前に磨きがかかっていることを除き、かつてと何ら変わりなく春の中に立っていた。



 学生時代から、祐太郎は一目置かれるという形容がぴたりと合う人間である。仕事が思いのほか早く終わったので、会に参加できないまでも顔を出しに来たと話す彼に、集まった面々は頬を紅潮させて再会を祝った。当然の結果ながら、ややもすると強引に二次会参加者の増員が決定する。
 華やぐ面々を、青音は外周の方で談笑しながら見守った。陽気なほろ酔い集団の中では、学生時代常に共にいた2人が話さないことに違和感を覚える者もいない。

 幹事周りの友人グループは抜かりなく二次会の会場も予約していた。さほど歩かず到着したバルでは、気の利く者がいたのか、席に着いた瞬間人数分の飲み物が運ばれてくる。

「乾杯ー!」

 あまり飲まない青音にも分かるほどビールの美味い店だ。同窓会そのものより更に砕けたムードで、始まって1時間も経つ頃には、数人ずつ自由にまとまり、会話を楽しむ場が出来上がっていた。

「アハハハ!はー、ん?古渡どこ行くの」
「タバコ」
「えーっ!古渡君吸うのー?意外」
「でも似合うかも」
「俺も行こうかな。ちょっくらイケメン野郎の吐いた煙を吸いに」
「来んな来んな」

 笑い声を背に手を振り、席を離れる。店の入っているビルは全面禁煙の張り紙があった。年季の入ったエレベーターで1階に降り、エントランスをくぐる。来た時に、ビルの入り口脇へ灰皿が置いてあるのを見つけていた。
 外に出れば幾分冷たい風が肌を撫で、酒と熱気で火照った体に心地よい。トラウザーズのポケットにボックスタバコを収めたまま、青音は夜の喧噪に耳を澄ませた。

 待つ時間はほんの一瞬に感じた。ビルの自動ドアが開き現れた男を青音は見つめる。会わなくなって久しいはずなのに、奇妙にもまるで昨夜別れたばかりの相手と対面している感覚に襲われた。
 感慨深さを壊すことを恐れるような沈黙が続き、それから音にもならないため息を置いたのは、ほとんど同時のことだった。

「抜けるか」
「ん、そうしよう。金は?」
「2人分多めに置いてきた」

 青音は安心した。
 完全に連絡を絶つ前、まだ付き合いのあった最後の数年も含め、ようやく祐太郎とちゃんと会話ができた気がする。




 静かで落ち着けて、でも静かすぎないところがいい。
 青音も祐太郎も既にこの街を離れた身であり、入れ替わりの激しい飲食店の情報にはまるで不案内だ。スマホと睨み合い店を探す面倒を厭うた結果、2人は青音の今晩の宿へ行くことにした。ミドルクラスのシティホテルには評判のいいバーが設えられている。

「綺麗なホテルだな。お前とまともな宿泊施設に入れる日が来るとは」
「まだ根に持ってんのかよ」

 長い時間一緒にいたのだ、泊りがけで出かけたのも一度や二度ではない。
 毎回、宿の予約は準備期間にテンションのピークが来る青音の担当で、極力経済的かつ少しばかり冒険に走った選定のために祐太郎はいつもダメ出しに忙しかった。
 特に熱烈なフィードバックを受けたのは、モロッコのマラケシュで泊まった2人一泊1000円のドミトリーだろうか。大学の卒業旅行ということもあり多くの観光地を回ったはずなのだが、鬼気迫る形相でルームツアーを敢行する祐太郎について回り、腹が痛くなるほど笑ったあの時間が青音の中では旅行のハイライトとなってしまっている。

「まあ、ある意味得難い経験だったと言えなくもない」
「貧乏学生には、排水口がゴキブリハウスの冷水シャワー付きドミトリーくらいがちょうどいいよ」
「改めて聞いても最悪だな」

 バーは程々の客入りで、2人はカウンターの端へ通された。

 祐太郎はアルコール自体にあまり興味のない男だが、大学時代スコッチにはまった青音が散々付き合わせた甲斐あってか、こうしたところにも慣れた様子だった。バーテンダーへ合図の視線を送る微かな仕草でさえ、厭味なほど無駄なく洗練されている。

「ジンリッキーを」
「響のジャパニーズハーモニーを。ストレートで」
「チェイサーもお願いします」
「かしこまりました」

 バーテンダーがにこやかに離れたのち、祐太郎はからかうように青音へ横目を寄越した。

「随分素直なチョイスだな。アイラモルト以外のウイスキーは水だと豪語してた奴はどこへ行った」
「初心者はみんな通ぶりたがる」

 肩を竦めてみせる。祐太郎が笑う代わりに零した吐息には、さりげないエロティシズムが匂った。
 バーテンダーの小気味良い仕事ぶりを眺める青音の、腹の奥がじくりと疼く。


 10年程度で変わったものだと懐かしむのも戯れめいている。だが、青音は確かに思うのだ。
 あの頃の自分は本当に、愛おしくなるほど何もかも幼かった。