『今、電話してもいい?』
夏休みも中盤に差し掛かったその日、いつものように煌輝からそんなメッセージが届いた。煌輝とのメッセージの画面はこのメッセージと『音声通話』、それから『おやすみ』『おはよう』の挨拶で、ここ最近は随分やりとりが多くなっていた。
煌輝のメッセージに『いいよ』と返すと、すぐにスマホが着信を告げる。萌が出ると、煌輝が、昨日ぶり、と優しく話し始めた。電話は毎日していて、会えなくても言葉が重なっていく分、煌輝との距離は縮んでいる気がした。
萌は自室のベッドに座り込み、うん、と答えてスマホを耳に近づけた。
『配信、見たよ。曲作り進んでるんだな』
今日は主に作曲するためのソフトやアプリの使用感を萌なりに話した雑談回だった。以前、曲を作ると宣言していたので、進捗を聞かせられない分、どうやって作っているかを話した。リスナーにまだ聞かせられない理由はひとつだけだ。
「うん……もうすぐできるから、一番に聞いてほしい」
『嬉しいな……待ってる』
「うん。待っててほしい」
萌が立ち上がり、防音室へと入る。立ち上げたままのPC画面には五線譜が映っている。それはもうすぐ完成する曲だった。萌がそっと画面に触れて、もうすぐだから、と言葉を繋ぐ。
『……やっぱり会いたいな、萌』
耳元で少し震えた声が響く。え、と返すと、煌輝はそのまま話し始めた。
『萌の声が聞けるのは嬉しいし、リスナーとして首から下は見れるけど……ちゃんと萌の顔が見たい。今、どんな顔して『待ってて』って言ってるのか知りたい。少しの時間でいい、デート、できない?』
「煌輝……」
萌がPC前の椅子に座り、画面を見つめる。萌だって会いたい。だからこそ、この曲ができている。正直、気持ちは揺れていた。
その瞬間、萌の喉がきゅっと締まるような苦しさを覚えた。忘れられない、女子更衣室の鍵が掛けられる重い音が鼓膜の内側で響いた気がした。
萌は一度唇を噛んでから、口を開いた。
「……ごめん。二人では無理、かな……」
『……分かった。じゃあ、俺の友達と一緒ならどうかな? 萌を絶対傷つけない奴らだから。それなら、二人で、じゃないよ』
萌の声の揺れに気づいたのだろうか。煌輝がそんな提案をする。煌輝の友達は、学校での一軍しか見たことがないので、そんな人たちだったらどうしようと思う気持ちもあった。でも萌の答えはもちろん決まっていた。
「行く……行きたい」
『やった……! 明日、二時までバイトだよな? その時間に店に迎えに行く。いい?』
少し弾んだ煌輝の声が早口に告げる。萌はそれに小さく笑ってから、うん、と答えた。
「楽しみにしてる」
『……うん、俺も。久々にちゃんと会える』
いつもよりも柔らかな声が萌の耳元で響く。
「また、明日ね」
そう言えたことに胸の温かさを感じたまま、萌はゆっくりと煌輝との通話を切った。
翌日のドーナツ店は、土曜日ということもあり、比較的混んでいた。午後一時半を過ぎた店内の時計を見て、萌が大きく息を吐く。あと三十分ほどで煌輝が友達を連れてここに来る。不安と期待が混ざる鼓動を感じながら、萌はショーケースにドーナツを運ぶ。カウンターには河下が立っていた。
「萌くん、少しレジ入れる? 二番レジ開けてくれないかな?」
萌くん、と呼ばれる違和感はあったが、カウンター前に客が列を作っているのを見て、萌はすぐに河下の隣のレジを開け、客を誘導した。
二人で対応すれば列はすぐに解消された。ほっと息を吐いていると、河下が、ありがとう、とこちらに笑顔を見せた。
「いえ……僕じゃなくても、呼んでくれれば誰か来たと思いますし……」
「ううん、萌くんは仕事丁寧だから、君が来てくれて助かったよ。ねえ、今日上がり時間一緒だよね? よかったら、ランチ奢らせてくれない?」
河下が萌の手に触れようとした、その時だった。カウンターの向こうから、萌、と自分を呼ぶ柔らかい声がして、萌がそちらに顔を上げる。そこには久しぶりに会う煌輝がいた。
その瞬間、萌の体温が上がったみたいに身体全体が熱くなる。
「煌輝……」
「少し早いけど、働いてる萌が見たくて来ちゃった」
眉を下げて微笑む煌輝に萌が、大丈夫だよ、と同じように微笑む。それから煌輝の後ろにいる二人の男性に視線を向けた。
煌輝と並んでいても見劣りしない見目の整った二人だった。
「あ、先に紹介しておくよ。俺の幼馴染みの充と翔吾。充は高校一緒だよ」
紹介された二人が萌に視線を合わせる。黙っていると、整いすぎた顔のせいか少し怖く見えるが、表情を緩めるとどこか煌輝に雰囲気が似ていた。
「おれは、天羽くんのこと知ってるよ。話すのは初めてだけど」
よろしく、と充に言われ萌が、よろしく、と頷く。翔吾もそれに乗っかって、よろしく、と人懐こい笑顔でこちらを見つめるので、萌の警戒心はほとんどなくなり、笑顔で頷いた。
それから隣に河下がいることを思い出した萌が隣に向きを変える。
「あの、僕、この後彼らと約束してて……すみません」
萌が頭を下げると、そっか、といつもの河下の明るい声が聞こえ、萌がほっとして顔を上げる。
「残念だけど仕方ないね。今度また、必ず誘うから」
上がる時間だね、と河下が微笑み、肩を掴む。そのままカウンターから離され、煌輝に背中を向ける体勢になってしまった。
「僕と天羽くん、上がる時間だから、カウンターよろしく。お先です」
河下が厨房に声を掛けながら、萌の背中を押す。強い力に抵抗できないまま萌が振り返ると、鋭く目を眇める煌輝が見えて萌はすぐに視線を逸らした。煌輝のあんな険しい表情は見たことがなくて、萌は知らないうちに強くなる鼓動を感じて足を速めた。
「お疲れさまでした! お先に失礼します!」
萌が河下の手から離れ、ロッカールームへと駆けこむ。煌輝の表情の意味が分からなくて、萌は大きく呼吸を繰り返してから着替え始めた。


