『今日、用がなかったら遊びに行かない?』
昼休みにも会ったのに、五時間目の授業が終わった時にそんなメッセージが煌輝から届いて、萌は一人で小さく笑ってしまった。
メッセージを送った本人はすぐそこで、いつもの一軍メンバーと他愛もない会話をして笑っている。景色に溶け込んだ萌にこんなメッセージを送っているなんて誰も気づかないだろう。
『いいよ。どこに行く?』と萌が自身のスマホの画面に文字を打ち込む。煌輝となら、また映画を観てもいいし、カラオケも楽しいかもしれないと思ってメッセージを送信しようとした、その時だった。
「天羽、これ、池田から」
クラスメイトの男子が萌の傍に来て、一枚の紙を差し出した。
「池田、さん?」
池田はいつも煌輝にくっついている一軍の女子だ。以前、ドーナツ店でも煌輝の隣の席にいて、萌に鋭い視線を向けてきた人だった。そんな人が萌なんかに何かを渡すことなんかないはずで、間違いではないかとクラスメイトを見上げる。
「おれは頼まれただけだから」
萌の怪訝な表情を見て、クラスメイトは困ったように眉を下げてから萌の机に紙を置いた。それから、確かに渡したよ、と言ってその場を離れていった。
しばらくそのノートの切れ端のような紙を眺めてからそっと手を伸ばした。広げると『放課後すぐに第二音楽室前に来て』と書かれていた。宛名も差出人の名前もない。悪い予感しかしないその呼び出しの手紙に萌は小さなため息を吹きかけた。
ホームルームが終わり、生徒たちが教室から解放されて廊下を歩く中、萌は玄関とは反対の方向へと歩いていた。第二音楽室は萌たち二年の教室のある階の一番奥にあり、そこに用事がなければあまり立ち入らない場所だ。
背中を冷たい汗が落ちていく感覚がしたところで、萌の視界に女子生徒が二人入ってきた。萌は視線を足元に下げ、彼女たちに近づく。
「……まず勘違いしないでよ。呼び出したのは告る為とかじゃないから」
煌輝と話す時の二オクターブは低くなっているだろう声で池田が先制するように言い放つ。それは萌も分かり切ってここに来ているので、分かってる、と頷いた。
「でも……僕なんかに用はないだろ? ただのいたずらなら、正直やめて欲しい……」
萌は体温の抜けていく指先をぎゅっと握って、思っていることを口にした。池田たちの顔を見ることはできないけれど、今の萌は中学の時とは違う。
「ねえ、煌輝とどういう関係? こっそり会ってるの、知ってるんだよ」
その言葉を聞いて、どうして、と言いそうになって萌は唇を強く結んだ。煌輝とは本当にひっそりと会っている。いくら煌輝にくっついているとはいえ、学校の友人たちには気づかれていないはずだ。
「ぼ、くが……井瀬と、なんて……」
声が掠れてしまうのを抑えながら萌が少しだけ顔を上げた。池田の鋭い目と視線が合い、萌が再び俯く。
「私、中学の時から煌輝が好きなの。何回も告白した。高校も追いかけて、今ようやく名前を覚えてもらえて、グループで遊べるようになったのに、最近……煌輝がそこから抜けるようになって……あんたのせいでしょう?」
震える声で言いながら、池田が自身のスマホの画面をこちらに見せた。萌がそれに視線を向ける。え、と思わず声が出て、萌は視線を泳がせた。
その画面には確かに煌輝と萌がいた。おそらく数日前のバイトの帰り道、煌輝が迎えに来てくれた日の画像だろう。どうしてこんな画像を池田が持っているのか、そもそもこの画像は誰が撮ったのか、それすらも分からなくて萌がそっと顔を上げて池田に視線を向ける。
「……そっちが言い寄ってんだよね? 普通じゃないんでしょ?」
池田が眉根を寄せて萌を見やる。まるで汚いものを見るかのような表情をされ、萌は首を振った。
「そんなんじゃ……」
「じゃあ、言いふらしてもいいんだよね?」
萌の言葉を遮ったのは池田の隣にいる女子生徒だった。他のクラスなのだろう、萌に見覚えはなかった。池田の援護射撃に参加しているらしい彼女は萌を見下すような眼差しをしている。
「何、を?」
「写真と一緒に、天羽はゲイだって拡散するの」
ふふ、と笑う彼女から視線を外し、萌が唇を噛み締めた。萌の頭の中に暗い記憶が浮かんで、肌がぞわりと震える。
ゲイだと拡散する、というのはただ事実を述べるわけではなくて、萌を笑いものにしたいのだろう。だからもちろん怖い。また苛めに発展したらと思うと今でも足が震えそうだ。
でもそれ以上に煌輝にそんな思いをして欲しくなかった。
「……分かった。どうすればいい?」
萌が顔を上げてまっすぐに池田を見つめる。それまで友人に任せていた池田が驚いたようにこちらに視線を向ける。しばらく萌を見つめた後、その視線を外してから、会わないで、と言葉を返した。
「煌輝と、もう二人で会わないで」
池田が手にしていたスマホを見つめてからぐっと唇を結ぶ。それから静かに歩き出した。
「それだけだから」
萌の傍をすり抜ける瞬間、そう告げて池田が廊下を歩き去っていく。その半歩後ろを歩く友人がこちらを振り返った。
「井瀬があんたを好きになるはずないよ」
捨て台詞のように笑いながら言われ、萌は二人の後ろ姿が消えるまでぐっと息を詰めていた。彼女たちが廊下を曲がっていって、ようやく萌が大きく息を吐く。
「……好きになるはずない、か……」
萌はその場にしゃがみ込んでポケットからスマホを取り出した。煌輝とのメッセージの画面を開くと、送信していないメッセージが残っていた。
『いいよ。どこに行く?』という文字を消し、代わりに文字を打ち込んでいく。送信のボタンが押せなくて、萌は大きく息を吸い込んでからその勢いのままボタンを押して、すぐにスマホをしまい込んだ。
『ごめん。しばらく配信に集中したいから会えない』
受け取った煌輝はどんな反応をしたのか、今は知りたくなかった。


