大通りから一本裏の道に入り、ひとつのビルに入ると、そのまま地下へと続く階段を降りていく。階段の前には『レンタルスタジオ』の文字があった。
「いつもここで兄貴たちと練習してるんだ」
萌の一歩先を行く煌輝が一瞬こちらを振り返る。その笑顔は明るくて、ここに来ることが煌輝にとっても楽しいことだと分かった。
受付を抜けると、その先にいくつかのドアが並んでいる。あちこちから楽器の音がかすかに漏れ聞こえていて萌はその音に耳を傾けた。
「いろんな音がする……」
「やっぱり天羽は耳が良いね。俺はこのいろんな音がする感じ、嫌いじゃないけど、うるさい?」
萌が追いつくのを待って立ち止まってくれた煌輝が萌を見やる。萌はそれに首を振った。
「僕も嫌いじゃない」
萌が答えると、良かった、と煌輝が笑ってひとつの部屋のドアを開けた。
「お、来たな、煌輝」
その部屋に居たのは、男性が三人だった。みんな萌よりも年上だとすぐに分かる。知らない顔ぶれが三人という状況は萌には少しハードルが高くて、萌は一歩下がって煌輝の後ろに少しだけ隠れる。
「兄貴、圧強いって。天羽、脅かさないで」
「脅かしてないだろ。てか、連れてくるって言ってたの、その子なんだ」
煌輝が『兄貴』と呼んだ、ギターを抱えた男性は、よく見ると少し煌輝と目の感じが似ている。
「うん、天羽っていうんだ。えっと……俺の彼氏?」
煌輝が疑問形で答えて萌に視線を向ける。
彼氏。そう聞かれると、関係としてはその通りだ。ただ、まだ自分の気持ちが迷子で、煌輝からも『付き合って欲しい』と言われただけだ。
萌は少し視線を泳がせてから煌輝を見上げ、小さく頷いた。
「あ、兄貴たちは俺が……その、ゲイだって知ってるんだ」
萌はその部分を気にして曖昧な返事になったわけではないのだが、煌輝はそう思ったようだ。萌に付き合って欲しいと言ったくらいなのだから、性別にこだわりはないのだろうとは思っていたが、その事実は知らなかったので萌はすぐに言葉が出なかった。
「天羽に付き合ってなんて言った時点で分かってるかと思ってたけど、その顔は知らなかったって感じ?」
煌輝が眉を下げて笑う。萌は頷きながら、でも、と言葉を返した。
「別に、それがどうとか、思ってないから……井瀬は、井瀬だ」
萌は、今度はまっすぐに煌輝を見つめ返して告げた。それを受け、煌輝の目が見開き、それから視線を逸らして、うん、と頷いた。
「煌輝、天羽くんカッコいいな。お前、負けてるんじゃない? 大丈夫?」
そんなんじゃ他の誰かに持っていかれちゃうよ、と、それまで二人の様子を見ていた煌輝の兄が笑う。煌輝は赤い顔をしたまま、うるさいな、とそんな兄に眇めた目を向けた。
「これからカッコいいとこ見せるんだよ。この間ライブでやったボカロのカバーやろ」
煌輝が壁際に置いていたマイクスタンドを掴んでドラムセットの前に置く。マイクのコードをアンプに繋ぎ、電源を入れると、マイク越しの煌輝の声が聞こえた。いつもと声の質は変わらないのに、部屋に響いたそれはなんだか別の人の声のように聞こえた。
「天羽、さっきの約束、今から守るから」
『今度こそカッコいい俺を見せてあげる』――その言葉のことだとすぐに分かり、萌は頷いた。マイクを持つ煌輝は学校にいる時とは少し雰囲気が違って大人っぽいけれど、どちらの煌輝も正直見た目はカッコいいと思う。でもきっと煌輝の言う『カッコいい』はその容姿だけではないのだろう。
ドラムのカウントが始まり、そこに一斉にギターとベースの音が注がれる。音の洪水が起きて、それは一気に萌を包み込んだ。
溺れてしまいそうな衝撃に息が出来ないまま煌輝を見つめていると、その唇が開き、萌に向かって柔らかな声を届けてくれた。耳から優しく包まれて、萌の呼吸が元に戻る。とても有名なボーカロイドが歌う、有名な作曲者の曲は、萌も歌ったことがあるが、有名であるからこそ、難しい。カバーなのだと意識すれば原曲とかけ離れるし、音を忠実に拾えばモノマネになってしまう。煌輝の歌声はそのどちらにも偏らない、煌輝の道があって、そこをまっすぐに歩いているような感じだった。
羨ましい、とさえ、思った。
やがて音が止み、耳の中で響いていた煌輝の声がゆっくりと消えていく。けれどその声から届いた煌輝の熱は萌の中にとどまって胸の奥をくすぐっていた。
「約束、守れた?」
マイクを通さない、いつもの煌輝の声で問われ、萌が煌輝を見つめる。知らぬ間にぐっと結んでいた唇を解き、萌は大きく頷いた。
「カッコ、よかった……」
胸の奥の騒めきが止まらないくらい。同じ『歌を歌う者』として嫉妬してしまうくらい。言いたいことはたくさんあったけれど何から話せばいいか分からなくて上手く言葉にならなかった。
「はー、良かった」
萌の言葉を聞いた煌輝が大きく息を吐きながらその場にしゃがみ込む。それから顔を上げて笑顔を作ると、萌を見上げた。
「嬉しい」
まだ少し頬が赤いのは歌って体温が上がったからなのか、煌輝が照れているからなのか分からなかったけれど、その優しい笑顔は萌の中に温かい気持ちを広げていった。
「ねえ、天羽……次の曲一緒に歌わない?」


