キモミ先輩



「ひっでぇ顔してんな、どーした」

 一時間目、現代文。模範解答を後ろに回してきたテルが、藤丸の顔を見てぎょっとした。藤丸は誤魔化すような笑みを浮かべながら、テルから受け取った紙を一枚取ると、残りを後ろの席の祐樹へと回す。

「俺も朝から気になってた」受け取った祐樹も言う。「変なもんでも食った?」

「ただの睡眠不足だよ」

 そう答えれば、さして気にしているわけではなかったのか「ふーん」と、二人は適当な相槌を打った。

 模範解答を見るふりをして、自分の腕を抱く。今朝から寒気が絶えない。いや、あの少年を目にしてから、ずっと何かに見られている気がする。
 家から最寄り駅までの道のりも、満員電車に揺られている間も――。視線を感じる先に、何度振り向いてみても、そこにはいつもの日常が広がっているだけだ。
いっそのこと、見えてしまえばいいのに。
 見える恐怖よりも、見えない恐怖のほうが、精神をどんどん蝕んでいく。

 結局、その日の授業はほとんど聞き流してしまった。とはいえ、ほとんどの科目がテスト返却の時間にあてられていたので、それほど支障はなかったと思う。

 ただ心配なのが、放課後の部活動だ。睡眠不足で、午後の授業からは頭がふらふらだった。
 部活動開始まで三十分はある。ほかの一年生には申し訳ないが、練習開始ぎりぎりまで睡眠をとることにしよう。藤丸は閑散とし始めた教室の中で、机の上に鞄を置き、それを枕代わりにそっと目を閉じた。

「藤丸」

 しかし、まどろむ暇もなく、頭上から声が降ってくる。重い頭を起こして見上げると、そこには千代田が立っていた。手には、何やら雑誌を持っている。

「……何」

「調べてきた」

 昨日と同じように、千代田がテルの席に腰を掛けた。藤丸は思わずため息を漏らすと、そのまま机に突っ伏す。

「千代田のしたいようにすればいいよ。俺にいちいち報告なんかしなくていいから」

「だから、したいようにしてる」

 鞄の上に顎を乗せ、千代田を見上げた。

「藤丸に話したいから、話してる」

「……どうして」

「このクラスの中だったら、藤丸が一番信頼できるから」

 信頼、か――。

 ふと鼻で笑った藤丸を、千代田が凝視する。

「信頼ってゆーか、一番害がなさそうだからだろ。何を言っても、嫌な顔せずにイエスって言うから、厄介なことしても平気って思ってるだけで……」

 そこまで言って、言葉を止めた。
 ひどく惨めに思えたからだ。

 普段、自分とは関係のない場所で生きている千代田に、自分が選択した居場所で蓄積された鬱憤をぶつけてしまった。
 しかし、千代田はそんな藤丸を非難することなく「よくわかんないけどさ」と前置きをして言う。

「話、聞いてくれない?」

 本当は部活まで睡眠を取りたいとこだったが、ここは汚名返上すべきだ。見かけによらず、千代田が噂好きの可能性も捨てきれない。あいつにこんなことを言われた、なんてことを言いふらされては、自分の今の地位が危ぶまれる。

「……わかった」

「じゃあ、早速なんだけど」

 千代田が持っていた雑誌が、藤丸の眼前に差し出された。机の上に置いていた鞄を机横のフックに掛け、代わりに受け取った雑誌を置く。
 赤い表紙に、黒字で【月刊 怪談現代】と書かれているそれは、いまや片手で数えられるほどしかないオカルト誌のようだ。フリー素材で手に入りそうな恐怖心を掻き立てるフォント、イラストや写真などの挿画もないシンプルすぎる表紙からは、胡散臭さしか感じられない。しかし、背表紙下部に印刷されている出版社名は、普段本を読まない藤丸でも聞いたことがあるほどの大手だった。

「一三〇ページ開いて」

 言われた通り、そのページを開く。
 読者投稿ページのようだ。小さい枠が何個も並んでいて、その中に体験談と思しき恐怖エピソードが記されている。作り話としか思えない話から、現実味のある話まで、多種多様だ。読者が多いのか、送られてきた体験談をすべて掲載してこの数なのかはわからない。あまりキレのないエピソードも散見されるために、おそらく後者なのだろう。

「ここ、見て」

 千代田が、藤丸から見て左下の投稿欄を指さした。

「『キモミ先輩』……って、」

 思わず、顔を上げる。
 千代田の頷きを見て、やはりそうかと、それは確信に変わった。

 ――キモミ先輩。

 トイレの花子さん、夜になると動き出す理科室の人体模型など、いつの時代にも学校に怪談はつきものだ。
 しかし、キモミ先輩は怪異ではない。少なくとも、藤丸はそう解釈している。

 噂でしか聞いたことがないが、その実態は座敷わらしに似ていて、見たものには幸福が訪れるというものだ。地縛霊や悪霊などの類ではない精霊のような存在で、こういうのを学校わらしと言うらしい。藤丸たちが通う学校で言い伝えられているだけの、ローカル的な伝承だ。体験入部のとき、どの部活の先輩も決まってキモミ先輩の話をしてきたが、入学から三か月が経過したいま、誰も話題にはしていない。新入生が入ってくる四月からの一か月間、先輩たちが後輩との話を繋げるためのネタとして乱用していただけのようだ。
 ではなぜ、そんなローカル伝承が、月刊誌の読者投稿ページに載っているのか。その文には藤丸が聞いたことのない要素が脚色されているのも、不思議でしょうがない。

 そして何より、藤丸の背筋を凍らせるような一文がそこにはあった。

 ――キモミ先輩は、学ランを着用しています。そして、人なつっこい笑みを浮かべる、愛きょうのある男の子です。

 昨夜、自分の部屋に現れたあの少年の顔を思い浮かべる。
 学ランを着ていた。薄く横に広がった口は恐怖でしかなかったが、あれは笑顔と捉えることもできる。あの少年がキモミ先輩だったのではないか。

 思い返すだけで、鳥肌が立つ。
 あんなものが、幸福を呼ぶ精霊なわけがない。
 きっと、何か悪い夢でも見たんだ。

「ただのいたずらでしょ」

 ぱたんと雑誌を閉じ、千代田に差し出す。しかし、千代田はそれを受け取ることなくかぶりを振った。

「俺も最初はそう思ってたよ」

 言いながらポケットから取り出されたのは、昨日図書室で拾ったと言っていた例のスマホだ。散々触ったのか、慣れた手つきでカメラロールを開くと、ひとつの動画を再生する。藤丸は差し出していた雑誌をもう一度机の上に置き、スマホを受け取った。
 やはり、最新機種よりも一回り小さい。壊さぬよう、そっと包み込むように持った藤丸の手の中には、学校生活の一場面を切り取った、何の変哲もない動画が流れていた。

 学ラン姿の男子が六人輪になって、片手を前に突き出している。そこには、撮影者のものと思しき手も映っていた。
 ――『さいしょーは、グー! ジャンケンポンッ!』

 何回かあいこを繰り返した後、グーとチョキで二手に分かれ、チョキを出した者たちが「クッソ〜」なんて、わざとらしく肩を落とした。逆に、グーを出して勝ったはずの者たちは「よっしゃぁ」とガッツポーズを決めながらも、その顔は引き攣っている。

 残った四人から、ふたたびじゃんけんの掛け声が上がる。
 今度は、一発で勝負がついたようだ。

 撮影者の真向かい、周りの男子に比べてやや小柄な男子生徒がチョキで一人勝ち。

 ――『ごちそうさまでぇーす』

 ――『早く早く! 売り切れちゃう!』

 周囲に囃し立てられ、男子生徒は長財布を片手に廊下に飛び出ていった。その背中を追い、廊下を駆けていく姿が収められたところで、撮影者が叫ぶ。

 ――『キモミー! ダッシュダッシュぅ‼︎』

 そこで、動画は終わった。

 キモミ。

 間違いなく、動画の中でその言葉が聞こえた。

「キモミ先輩は、ただの伝承じやない」

 千代田が動画を巻き戻し、じゃんけんに一人勝ちした男子生徒がアップになっている瞬間で止めた。

「この人が、キモミ先輩なんだ」