キモミ先輩



「はあ……」

 夕食後、ベッドの上で仰向けになりながらスマホを弄っていた藤丸は、枕元にそれを放り投げて深いため息をついた。インスタグラムの親しい友達機能で、祐樹たちがカラオケのストーリーを更新していた。二時間前の投稿なのですでに解散しているはずだが、いつメンの中に自分がいない写真や動画を見ると心に靄が掛かる。とはいえ、自分をシタトモに入れてくれている時点で、嫌われているわけではないということがわかる。それがなおさら、痛い。
 しばらく天井をぼうっと眺めたあと、放り投げたスマホを持ち直した。垂れ流しになっていたストーリーを左から右に何回かスワイプし、祐樹のストーリーに戻る。画面右下に表示されているハートマークをタップした。何を期待しているのかとばかばかしくなって、布団にもぐりこんだ。

「大丈夫、大丈夫……」

 スマホを胸に押し当て、片方の手で自分の胸をトントン、と叩く。
 心の中で自分を慰めてやっても、不安は増していく一方だ。それは蓄積され、新たな悩みの種を生む。そのことに気づいたのは、いつだっただろうか。

 中学での反省を生かし、新たな自分を創ろうと臨んだ高校生活。髪をセットして、いつもニコニコして、頼まれたことは快く引き受ける。たとえ自分の倫理観に背いた行動を友達がしても、しつこく説教じみたことは言わない。笑って、曖昧な態度をとっていればいい。それで掴み取った仲間が、祐樹やテルだ。彼らは、藤丸のことを「草太」と呼んでくれる。

 もう、あのときみたいになりたくはない――いや、大丈夫だ。絶対に、もう二度と、ああはならない。不安を和らげるための言葉は口にして、靄も一緒に吐き出してしまえばいい。

「大丈夫、大丈夫……」

 しばらくそんなことを繰り返していると、脳が本当に大丈夫だと錯覚したのか、眠気がやってきた。もう風呂は入ったし、どうせ寝るだけだ。
 まどろみの中で部屋の電気を消して、そのままベッドに倒れこんだ。

 すぐに引き摺り込まれた夢の中では、おかしなものを見た。具体的にどんな夢だったかはわからない。ただ、覚えていたとしても容易く説明できるほど、単純なものではなかった。摩訶不思議な泡沫の夢が断続的に映し出され、脳が疲労感を覚える。

 気がつけば、頭がぼうっとしたまま、藤丸は目を開いていた。
 少し水でも飲もうか。ついでにトイレを済ませてくれば、このあとぐっすり眠れるかもしれない。

 ずいぶんと夜は更けていて、頭上にある窓の外からは何の気配は感じられなかった。

 ――いったい、いまは何時なんだ。

 そう疑問に思って寝返りを打とうとしたところで、藤丸はとうとうそのことに気づいた。

「……――――っ⁉︎」

 体が、上から重い石で押さえつけられたかのように動かない。声も、喉に小石を詰められたかのように、息をするだけで精一杯だ。

 ――金縛りだ。

 初めてのことだったが、きっとそうだ。
 夢から覚めたとき、とてつもない不安が藤丸の胸の奥に充満していた。怖い夢でも見ていたかもしれないが、その後の金縛りとなると、もっと怖い。
 ふと、視界の端に黒い影が落ちているのがわかった。

「――が――う、――け―――て」

 右耳に、唸るような声が侵入してくる。何を言っているのかまったくわからなかったが、まともに聞いてしまってはいけないような気がして、藤丸は耳を塞ぐ代わりに固く目を閉じた。それが無意味だとわかっていても、閉じれる穴は閉じておいたほうがいいと思ったのだ。それに抵抗するように、何か不思議な力が藤丸の内側で働いて、体中がじーんと痺れる。目に見えない何かが、藤丸を咎めるように圧力を掛ける。

「き―――お――だ――……いっ――」

 途切れ途切れの声が、脳に響く。
 苦しそうな、無理に絞り出されたような声にならぬ声が、藤丸の額に冷たい汗を流させた。

 もう、何分経っただろう。

 身動きが取れないまま延々と続く得体の知れない恐怖、いつ解けるかわからない終わりの見えない緊張感に、藤丸の心身はいよいよ挫けてしまった。

 ぱちりと、目を開く。

「――――っ‼」

 力を込めすぎていたせいか、瞼は痙攣している。

 しかし、砂嵐のようなものが視界を遮る中で、藤丸ははっきりとその姿を目に捉えてしまった。

 黒い学ラン。薄く横に広がる口。
 明かりがないおかげというべきか、その人相ははっきりと見えない。しかし、ベッドに寝転がる藤丸をじっと見つめていることだけはわかる。

 まずい。

 先ほどまでがちがちだったはずの体は簡単に動き、藤丸は布団の裾を掴んで頭まで潜った。
 心臓がバクバクと早鐘を打っている。

「ハァ、ハァ……」

 ぎゅっと握りしめた拳を、左胸に押し当てた。

 大丈夫、大丈夫……。
 きっとこれは、夢だ。よくない夢なんだ。

 そう言い聞かせて、ふたたび目を閉じる。

 布団から顔を出すのが恐ろしくて、頭まで布団を被ったまま一夜を明かした。途中、まどろみながら朝を迎えた藤丸のベッドは、汗でぐっしょりと濡れていた。