キモミ先輩


 室内を舞う埃が気になって、藤丸は窓を開けた。その瞬間、野球部の「いーち、にぃー、いっちにっ、そーれ!」という太い掛け声が、西日とともに教室に射し込んでくる。

 普通教室は住宅地側(校舎南側)に教室がある。しかし、藤丸たちが在籍する一年二組は、グラウンド側(校舎西側)に教室を構えている。上のフロアの二年二組、三年二組の教室も同じ設計なのかと思いきや、どうやら謎の教室配置なのは一年生の間だけとのこと。他クラスから孤立するような位置がゆえに「ハズレクラス」や「問題児クラス」など呼ばれているそうだ。

「眩しいな」

 目を細めた千代田は藤丸の隣に並ぶと、遮光カーテンをひいた。少しだけ、教室が暗くなる。

 テルの席に千代田が座り、藤丸は自分の席についた。昼休み中と同じ体勢になる。机の上には、小さく古びたスマホが置かれた。

「じゃあ、いい?」

「うん、いいよ」

 藤丸が頷くと、千代田はホーム画面から設定を開く。
 持ち主の名前はすぐに判明した。

 ――クヌギミテッペイ。

 アカウント名がローマ字表記になっていたため、漢字はわからない。

 画面はすぐに、新しいバージョンに更新することを勧めてきた。すでにサポートが終了しているものなので、現代からしてみればかなり古いバージョンだ。ダウンロードかキャンセルの二択に、なぜか頬杖をついて迷っている千代田からスマホを取り上げる。驚いたように顔を上げた千代田に、藤丸は小さく息をついた。

「持ち主の名前は確認できたろ。これ以上はだめだよ」

「ああ……そうか。そうだよな」

 藤丸はスマホを手にしたまま、開いたばかりの窓を施錠する。なかなか立ち上がらない千代田に「ほら、届けにいこう」と声を掛けながら、カーテンを閉じた。まったく日を通さなくなった教室は、先ほどよりも一段と暗くなっている。

「藤丸」

「……何」

「届けにいくにしても、そのクヌギミって人を知ってる先生に預けた方がいい気がするんだけど」

 今度は何を言い出すのかと一瞬身構えたが、わりと正論だった。たしかに、クヌギミテッペイを知らない教師に預けたところで、預かった方も困るだろう。

「その機種が発売されたの、二〇一三年らしい」

 いつの間にか私物のスマホで調べ物をしていたらしい千代田が、画面を藤丸に向けながら言う。AIによる検索結果らしいが、おおむね合っているだろう。

「十三年前か……」

 この高校に根を下ろしてからだいぶ経っていそうな教師を思い浮かべるも、それほど長く勤めている人間はいなさそうだ。

 ふと諦めかけたとき、藤丸の頭の中に一人の男性教師が浮かんだ。

岡崎(おかざき)先生は?」

「……岡崎」

「うん。岡崎先生なら、きっとわかるんじゃないかな」

「……誰」

 名前を言われてもピンときていない千代田に、藤丸は思わずズッコケた。もう、何度も授業で顔を合わせているというのに、わからないなんてことはあるのだろうか。

「非常勤講師の、体育科の」

 そこまで言って、ようやく「あぁ」と声を漏らした。

 岡崎先生は、非常勤講師になる前に八年間この高校に努めており、六十歳で定年を迎えてからいままでの五年間、非常勤講師として保健体育の授業をしている。足して、十三年。ぴたりと重なる。

「あのおじさん、非常勤だったんだ」

「知らなかったの」

「だって、いかにも学年主任顔じゃんか」

「ははっ、どんな顔だそれ」

 一瞬笑みがこぼれるも、藤丸はすぐにそれを引っ込めた。楽しんでいると勘違いされたら、それはそれで厄介だ。
 二回ほど咳ばらいをしてから、鞄を手に持つ。

「じゃあ、まあ、行こう。いるかわかんないけど」