「藤丸」
次に千代田に声を掛けられたのは、帰りのHRが終わってすぐのことだった。今日は部活の定休日だから、いつもは参加できない祐樹たちの放課後タイムに混ざろう――そんなことを考えながら、藤丸自身もそそくさと帰りの支度をしていたときだ。
一瞬、なぜ千代田が自分にと驚いた。六時間目の時点で、千代田にモバイルバッテリーを貸していたことをすっかり忘れていたのだ。千代田のポケットからそれがぬっと取り出されたときに、ようやく「あぁ」と合点がいった。
「ありがとう、助かった」
「それならよかった」
返却されたモバイルバッテリーを受け取り「じゃあ」と、祐樹の席を振り返る。しかしそこには、誰もいない。
「……あれ」
「松谷たちなら、さっき教室出てった」
「……そっか」
声くらい、掛けてほしかったな。祐樹たちはバスケ部、藤丸はサッカー部。お互い週五の部活だから、休みが合うことのほうが珍しいけれど、それならなおさら、仲がいい人間の定休日くらい覚えていてくれよ、とさえ思ってしまった。これは、傲慢な考え方だろうか。
すでに空になった席をぼうっと見つめながら、そんなことを思ってしまう。
「じゃあ」
用を済ませた千代田も、鞄を肩に掛けなおして教室を出ていこうとしている。
咄嗟に「あのさ」と呼び止めた。
「……何?」
振り向いた顔は、やはり何を考えているのかわからない。
「さっきのスマホ、どうすんの」
「持ち帰る」
「いや、人のでしょ。千代田のじゃないんでしょ」
「そうだけど」
「じゃあ、ダメじゃない? 勝手に持ち帰ったら」
――沈黙。
言ってから、しまった、と思った。祐樹たちなら「そんな堅いこと言うなよ」なんて、難色を示すだろう。しかし、相手はあの千代田有だ。表情や態度から感情を読み取れない人間に、自分の短所をさらけ出してしまった。現に、千代田は何も言わず、顔色も変えずにそこに立ち尽くしている。
「……あーいや、ごめん。いまのナシ」
鞄を手に取り、千代田の横を逃げるように通り過ぎて教室を出た。
やはり自分は、流されていた方がいい。下手に意見なんかせず、自由な人間たちの波に乗っていたほうが安全なのだ。
まだ間に合うかもしれない。
祐樹たちに合流してしまおうと早足になったところで「藤丸!」と、声を掛けられる。振り向くと、鞄を肩にかけた千代田が、藤丸のことをじっと見つめていた。呼び止められたことよりも、そんなに大きい声が出るのかという驚きのほうが強い。唖然とする藤丸のもとへ、千代田は件のスマホを片手に歩み寄る。
「お前の言うとおりだわ。たしかに、人の物勝手に持ち帰るのはよくない」
「うん、そうだろ」
意外と素直なんだな――と思ったのは束の間。
「だから、ここで見る」
「……はっ?」
「こんなの、見てくださいって言ってるようなもんだろ」
言いながら、千代田がスマホを操作する。藤丸は、いささか後ろめたさを感じながらも、横から画面をのぞき込んだ。千代田の指が、画面の上を横に流れてゆく。どこかの国のバスケットボ―ル選手だろうか。筋肉質で背の高い男性がボールをついている瞬間をとらえたえであろうロック画面は、いとも簡単にホーム画面へと遷移した。
「隠すように置かれてたかと思えば、パスワードはついてない。誰かに見つからないようにしてるのに、ちがう誰かには見てほしそうにしてる。この矛盾が、気になる」
説明的な淡々とした話し方に、本当に気になっているのか怪しいところではあるが、本人がそう言っているのだからそうなんだろう。
「俺だったら、職員室に届けるけど」
「……わかった。そうする」
「うん。じゃあ俺行くから」
「待った」
踵を返そうとしたところを、鞄を引っ張られ後ろに倒れそうになる。
「あっぶな、なんだよ」
「見てから届ける」
「もう好きにしろよ」
自分には関係のないことだ。走れば、まだ祐樹たちに追い付くかもしれない。早くこの場から去りたいというのに、焦燥感を微塵も感じさせない千代田のポーカーフェイスに、少しずつ苛立ちが募っていく。
「立ち会ってほしい」
「なんで」
「職員室に届けるとき、見たって疑われたくないから」
「でも、見るんだろ」
「うん」
何食わぬ顔で頷く千代田に、思わず失笑する。自分で言っていておかしいと思わないのだろうか。
「見るんだったら、見たって疑われてもしょうがないよ。そのまま職員室に届けに行くなら話は別だけど」
ここで初めて、千代田の顔が少し歪んだのを見た。亀裂の入った鉄仮面に、藤丸がわずかな優越感を覚えたほどだ。好奇心をくすぐるような悪魔が、千代田の中で高らかに笑っているのだろう。
しばらくして、千代田の表情にふたたび無が戻った。
「持ち主の名前だけ確認するのは、藤丸的にはどう」
「俺に聞くなよ」
「それなら、立ち会えるか」
うーん、と唸った。
そもそも、なんで自分が立ち会わなければいけないのか疑問を呈したいところだったが、どんな形であれ頼られている相手を無碍に扱うのは気が引ける。
「あーもう」
しょうがない。
「わかったよ」



