キモミ先輩


 降り立ったのは、学校の最寄り駅から一駅で乗り換え、さらに二駅進んだ先のターミナル駅だった。放課後に高校生がたむろするショッピングモールがあり、藤丸もサッカー部の仲間や、入学したてのころは祐樹たちとも来たことがある。正面入り口は区立公園に面しており、体育館、テニスコートや野球場も併設されている。テニスコートの横、ショッピングモール側に広がるアスファルトが、金欠高校生のたまり場だ。夏休みに入ったいま、そこでは水風船合戦が勃発していた。自分より一回り下の子どもたちが純粋無垢に投げつける水風船が、熱く乾いたアスファルトで割れている。あのときの惨めな自分が回想され、藤丸はふと視線を逸らした。

 モール内は、火照った肌を一瞬にして冷却するほど空調が効いていた。正面入り口のすぐ目の前にあるエスカレーターを使い、二階、三階、へと上がっていく。

 千代田の足は、三階にある本屋に向かっていた。そのまま文庫コーナーへと直行し、葉談社文庫の棚の前で立ち止まったところで目的を理解した。指一本分が入るくらいの隙間を残し、ずらりと並んだ文庫の中から『この少年を見たら幸せになれます』というタイトルの本を引き抜く。例の、黒森哲平が亡き友人を想って書いた、キモミ先輩をモデルにしたのではないかとも言われている、今回の調査において非常に重要なキーになりそうなアイテムだ。
 表紙は、暗い廊下に学ラン姿の男の子がこちらに背を向けて立っていて、その男の子を挟むような形で白いテキストでタイトルが書かれている。あまり分厚さはなさそうだ。千代田はしばらくその表紙をじっと眺めてから、裏面の値段を確認する。文庫本千円時代に突入しかけているいま、その本は税込み八〇〇円とお手頃価格だった。
 しかし、ファミレスで五〇〇円出すのさえ渋っていた千代田が、その値段をどう思うかはわからない。
 そんな不安を打ち消すように、千代田はしっかりとした足取りでレジへと向かった。藤丸も、そのあとをついていく。

 カウンター内には女性店員が三人いて、端っこのパソコンの前では、比較的ラフな格好をした男性店員がバインダーを片手に持ったスーツ姿の男性と談笑している。

「カバーはお掛けしますか?」

「はい、お願いします。あ、あと領収書も」

「かしこまりました」

 一瞬、受け取った領収書を藤丸に渡してくるという悪ノリが頭をよぎったのだが、千代田がそんな陳腐でつまらないことをするようには思えなかった。カバーが掛けられた本を受け取った千代田は、女性店員に宛名を『文耀(ぶんよう)社』にするように頼んでいる。文耀社といえば、千代田が最初に見せてくれたオカルト誌『怪談現代』を刊行している、大手出版社だ。

「ありがとうございました。またどうぞお越しくださいませ」

 領収書を受け取った千代田は、そのまま本屋入り口の前に設置されてあるカラフルなソファへと腰を下ろした。

 出版社宛ての領収書なんてもらって、いったいどうするつもりなのか。千代田の理解不能な行動に藤丸が呆然としていると、先ほどカウンター付近で男性店員と話していたスーツ姿の男性が、こちらへと歩み寄ってくる。片手に持っていたバインダーの表面下部には『文耀社』という文字と、ロゴが箔押しされていた。

 領収書のくだりを見られていたのではないかと思い、藤丸はその場から勢いよく立ち上がる。

「す、すみません……!」

「えっ?」

 ぴっと背筋を伸ばし、四十五度の位置まで頭を下げた藤丸を、千代田と男性が目を丸めて見つめた。

「藤丸、何してんの」

 顔上げろよ、と千代田に促され、お前のために頭を下げてるんだろうが、と多少の苛立ちを隠しきれぬまま、言われた通りに顔を上げた。

 千代田と、男性の顔を交互に見る。
 大きく見開かれた二人の目は、どこかお互いの面影を感じられた。

「有。お友達、なんか勘違いしてるみたいだけど?」

 困ったように、それでいて優しく微笑んだ男性に、千代田は一切悪びれた様子もなく「あぁ、忘れてた」と言って立ち上がる。
 横に並んだ二人の顔を見て、藤丸はようやく納得した。

「俺の兄貴」

「はじめまして、兄の(さく)です」

 千代田とは真逆のタイプの、爽やかで明るい、人当たりのよさそうな人だった。