キモミ先輩


「話って何?」

 バドミントン部のミーティングは二階の職員室前で行われていて、藤丸は中央階段から降りてきた真田悠由(ゆゆ)を待ち伏せて声を掛けた。だいぶ不審がられたが、こちらも部活動終わりだということに気が付いてからは、少々警戒が薄れたように見える。

 立ち話もなんだからと、グラウンドの犬走に置かれてあるアルミベンチに十センチほど間をあけて腰を落とした。

「あの、ちょっと聞きたいことがあって」

「うん」

 千代田が持参してきたファイルの中から、図書館で印刷した真田個人のXでのポストを引き伸ばしたものを取り出す。

「このポストのことなんだけどさ、真田さんのアカウントで合ってる、よね?」

 アカウント名、ユーザー名、ポストの内容――そして、このポストにリプライを送っている紫月というアカウントが、真田と仲の良い桑原紫月であるということから、確信はあった。しかし、ここでそれを言い切ってしまえば、ネトストのように思われてしまうかもしれない。
 心配性が勝り、あえてそんな曖昧な聞き方をしたのが凶と出てしまったのか、真田は引き伸ばされた自分のポストを手に取り、目を細めた。そして、そのままの目つきで藤丸を見る。

「見りゃわかるよね? え、てかなに、なんで勝手に人のSNSプリントアウトしてんの」

「あーえっと、それは――」

 正直に答えるのも憚られ、言葉が詰まった。沈黙が長くなれば長くなるほど、真田の目は徐々に細くなっていく。変な見栄を張らずに、千代田にもついてきてもらうべきだったか。

「あのさ」痺れを切らしたのか、真田が重そうな口を開いた。「これ、立派なストーカー行為だよね?」

 紙をひらひらさせながら、こちらの胸にそれを押し返してくる。想像以上に強い力に怯んでいると、真田はふっと鼻で笑った。

 バド部の女子は怖い。
 中学のとき、決まって藤丸を揶揄っていた女子も、そういえばバドミントン部だった。

「あーあ。祐樹たちに言っちゃおっかなー」

 ベンチから腰を上げた真田が、後ろ手を組んで藤丸に目線を合わせる。

「てか、前からずっと思ってたんだけどさ、あんた、浮いてるよ」

「へっ?」

 突然の指摘に、素っ頓狂な声が出た。それにまたしても、真田が小馬鹿にしたように笑う。

「だーかーらー、浮いてるってば。あんたさ、高校デビューでしょ?」

 ずきんと、頭が痛んだ。
 こめかみから、つーっと汗が流れてくる。

「金魚の糞って言葉知ってる? あんた、一軍じゃなくれそれだから」

「あ、えっと……」

 言葉自体は知っていた。しかし、直接的に向けられたことはない。真田という人間も、言いたいことははっきり口にするタイプだということはわかってはいたが、まさかここまでデリカシーがないとは思ってもみなかった。それでも、なんでもはっきりと言ってしまう人間が、いまのいままで思っていても口に出さなかったということは、多少の憐れみがあったからなのかもしれない。それもそれで、自分の情けなさに歯を食いしばる思いだった。

 目を合わせていられず、足元に視線を落とす。まだそんなに汚れていない上履きが、藤丸を励ますように見上げている気がした。

 いまから五か月前、中学校を卒業した日に、藤丸はいろいろなものを捨てた。三年分を保管していた教材やノートはもちろん、制服、通学バッグ、上履きやスニーカー。両親は思い出に残しておいたらどうだと提案してきたが、嫌な思い出をずっとそばに置いておくほど、Mじゃない。その日、藤丸が捨てたのはそれだけではない。スマホの中に入っていた友人との自撮り写真、SNSの連絡先はもちろん、友人に対してわずかばかり抱いていた情もすべて、余すことなくすべてを捨てたのだ。いままでの自分をリセットして、新しい場所でちゃんと咲けるように。

 無事、咲けたと思っていた。周りの花より少し小ぶりではあるものの、自分なりに水を与え、時には肥料をやり、丁寧に、枯らせないように、大事に大事に育ててきたつもりだった。

「なんか勘違いさせるようなことしたつもりもないし、こーゆーの迷惑だからやめてもらえる?」

 勘違いしているのはどっちだよ――なんてことは言えるはずもなく、やけに大股で去っていく真田を見つめることしかできなかった。ストーカーまがいなことをして警戒されてしまったのは、自分に非がある。それで不快な思いにさせてしまったのなら、完全に自分が悪い。
 しかし藤丸は、大事に育ててきた花を目の前で踏みにじられた気分だった。茎からぽきっと折れたその花はもはや再生不能で、ただただその様をぼんやりと見つめることしかできない。

 動けずに固まっていた藤丸の前に、様子を窺っていたのか、頃合いを見ていたかのように千代田が姿を現す。考えた上でなのか、それとも何も考えいていないのかはわからない。ただ、無言のまま隣に立たれた自分が、あまりにも憐れで自分で自分を見ていられない。

「……ごめん」

 千代田も当惑しているのか、何に対してのものかわからない謝罪を口にした。なんだかそれがおかしくなって、藤丸は思わず鼻で笑ってしまう。

「藤丸、松谷たちと仲いいと思ってたから、普通に聞けるかと思った」

 その言葉には、ははっ、と声が漏れる。

 顔を上げた先には、予想以上に戸惑った顔をした千代田がいた。これでは、ポーカーフェイスが台無しだ。そのポーカーフェイスを意図せず崩させてしまっている自分は、なんだかとんでもない罪を犯してしまっている気がする。

「別に、仲いいけど」

 自分でもわかるくらい、わかりやすく声を弾ませた。そうでもしないと、心までもが折れそうだった。

「祐樹たちとは仲いいよ。ただ、真田とは正直そんなでもないかな。変に勘違いさせちゃったみたいだし」

「大丈夫か?」

「うん。でも、俺は大丈夫だけど、貴重な情報源を潰すことになっちゃった。ごめん」

 紙を持つ手に、力が入る。
 くしゃりと腰が折れたその紙を、千代田はひったくるように藤丸から取り上げると、大きな手で丸めた。ソフトボール大になったそれを、千代田は鞄の中に押し込む。

「よし、行こう」

 そう言って、下駄箱へと踵を返そうとする千代田に「行くって、どこに?」と声を掛ける。

「こっちが本命だから」

 鞄を担ぐように持ち直した千代田はうっすらと口に笑みを浮かべると、あまり慣れていなさそうな手つきで藤丸の背中をそっと叩いた。