キモミ先輩



「タッチ返しなしだよー!」

「そんなルールありまっせーん」

 先ほどから、藤丸たちの席の横を、小さな子どもたちが走り回っている。
 そこに配膳ロボットが現われ、ようやく母親たちが「おとなしく座ってなさい」と額に怒りマークを浮かべた。
 障害物がなくなったことにより滑り出した配膳ロボットが、藤丸たちの席の前で止まる。

 ハンバーグライスセットのお出ましだ。

 朝を抜いてきたせいで、静謐(せいひつ)な図書館の中で盛大にお腹を鳴らしてしまったのが、ここへとやってきた理由だった。

 鉄板に乗せられたハンバーグと、白皿に乗せられたライスを手に取れば「ごゆっくりどうぞ!」と言って、配膳ロボットが去っていく。
 テーブルに常備されていたフォークとナイフを手に取り、さっそくいただこうとしたところで、藤丸は念のためにもう一度聞くか迷った。そして迷っているうちに、千代田の方から謎の失笑が放たれる。

「なんか、面白いな」

「え、何が……?」

「周囲にいる生身の人間があんな迷惑オーラ出してたのに、常にご機嫌で感情に波がない配膳ロボットには気づくんだなーって思って」

「ああ」

さっきのことか、と納得する。

「たしかに」

「まあ、人間そんなもんか。他人の感情の変化なんて、敏感に感じ取れないもんだよな」

「うん、そうだな」

「ああ、悪い。食べていいよ」

「うん」

 お言葉に甘えて、とハンバーグをナイフで切り始めたところで、藤丸は思い出したかのように顔を上げた。

「本当にいいの?」

「ん?」

「メシ、食わなくていいのかよ。金だったら、貸すことくらいはできるけど」

 千代田の前には、サービスの水が入ったグラスだけだ置かれている。

「大丈夫。腹減ってないから」

 ハンバーグを完食したところで、ピークは過ぎ去ったのか、ファミリー層の姿が少なくなってきた。落ち着きを取り戻しつつある店内で、藤丸と千代田は図書館で印刷してきた資料をテーブルの上に広げる。
 今回、調査範囲を広げたことにより、ひとつ重大な事実が判明した。

「十二年前のM駅での人身事故、このアカウントが言ってることが正しければ、そのスマホの持ち主ってことになるよな」

「引用元のニュース記事はすでに削除済みだから何とも言えないけど……例の作家のペンネームに哲平(てっぺい)って名前が入ってるのも鑑みて、まあ、そういうことになるんだろうな」

 千代田は何食わぬ顔で頷き、資料を手に取り目を通している。

「そういうことになるんだろうな、じゃなくて」

 その手から資料を奪い取れば、千代田と視線が交わる。いきなり何なんだと言いたげなのが、無表情の中からわずかながら感じられた。

「このスマホ、亡くなった人のものってことだよ」

「うん」

「見ちゃだめだろ、さすがに」

「それは、生きてる人間のだったら見ていいってこと?」

 予想もしていなかっ方向から投げられたボールを、なんとかキャッチする。しかし、返球までに時間がかかる。千代田の言っていることは屁理屈ではあるものの、答え方によってはブーメランになってしまう。

「いや、そうじゃなくて。生きてる人のも、亡くなった人のも、そもそも人のスマホは勝手に見るもんじゃないけどさ……」

 指でこめかみを押さえた。なんとか千代田が「たしかに」と言ってくれそうな言葉を押し出したいのだが、うまく言葉が出てこない。最近は読書が疎かになっているということもあり、言葉の引き出しが少なくなっていた。
 なんとかひねり出そうとした言葉を諦め、伝わるかと不安を抱きながらも、手持ちの言葉でなんとか紡いでいく。

「やっぱり、だめだよ。たかが野次馬のような俺らが、たとえ真相にたどり着いたとして何が得られる? 心の底から本当のことを知りたい人は、俺ら以外にいるだろ」

「俺ら以外……」

 藤丸の言葉を復唱し、千代田は手の中にあるスマホをしばらく見つめていた。さすがにわかってくれるだろうと期待していたものの、千代田は視線をそれに落としたまま「藤丸」と、呟くように口を開いた。

 過ぎ去ったと思っていたはずのピークがふたたび訪れたようで、間を置かずに家族連れの客が吸い込まれるように入店してくる。賑わいを取り戻した店内に起こされたかのように、千代田は顔を上げた。

「そいつらは、椚見哲平のこと、ちゃんと見てくれてたのかな」

 心なしか、千代田の瞳が沈んでいるように見える。相槌を打つことさえできずに、藤丸は次の言葉を静かに待った。

「死の真相を知りたいと思ってる俺ら以外の人間は、生きてたときの椚見哲平と、どんな関係を築いてたんだろう」

 千代田は、ふたたびスマホに視線を落とした。そして、そっと画面の上を撫でるかのように指を滑らせる。
「椚見哲平が死んでから十二年。このスマホを図書室の棚に隠したのが本人であれば、これはSOSだったんじゃないかって思うんだ」

 SOS――。
 誰かにそれが伝わる前に、椚見哲平はこの世から去ってしまった。そして十二年間、その残滓は誰に見つかることもなく埃を被っていた。友人にも、家族にも、誰の目にも止まることなく。

 気がついたときには、藤丸の頬は一筋の涙で濡れていた。

「……藤丸?」

 目を丸めた千代田にそう呼ばれると、ダムが決壊したかのようにぽろぽろと涙があふれてくる。

「ごめっ……あれ、なんでだろう。おっかしいな」

 テーブルに置かれていた紙ナプキンを何枚か引き抜き、目に押し当てる。流れ出てくる水分を、薄っぺらい紙が躍起になって吸収していくのがわかった。

 自分でも、なぜだかわからない。
 誰かの魂が、自分の中に入り込んできたのかもしれない。
 それがキモミ先輩なのか、椚見哲平なのか、はたまた自分の感情なのかはわからない。
 ただ、千代田が放った「SOS」という響きに、心がぶるぶると震えていることだけはわかっていた。

 しばらく経って涙が完全に引っ込んでから、藤丸は何事もなかったかのように「よし」と、繊維に目いっぱいの水分を含んだ紙ナプキンをテーブルの上に置く。

「たしかに、千代田の言うとおりだ」

「……大丈夫か?」

「うん。へーきへーき」

 笑って見せても、千代田はいまだに訝しげな目つきで藤丸を見つめていた。そんな視線に気づかないふりで、藤丸は落涙で少し濡れた資料を手に取る。

「調べよう。キモミ先輩のことも、椚見哲平のことも」 
 千代田からの返事はない。
 ただ、視界の端で、同じように資料を手にしたのだけは見えた。