キモミ先輩



 ばちん、と音が鳴る。手に持っていたものが割れ、大きな雫型の水が、ぎりぎりその形を保ったまま排水溝へと吸い込まれていった。

「はい、三個目~」

 隣で冷やかすような声を上げたのは、すでに汗臭さを纏った祐樹だ。なかなかうまく作れない藤丸に対し、祐樹は器用に口を結んでいく。百均で買ってきたという水色のバケツには水が張られており、その中には肌をてかてかさせたパステルカラーの水風船たちが浮かんでいた。祐樹が手に持っていたそれを投げ入れると、波紋が広がり、まるで仲間が増えたことを喜ぶようにぷるぷると揺れる。

 向こうのベンチでは、買い出しに行ってくれたテルたちが、額に汗を浮かべながらソーダアイスを齧っていた。

「草太って、手先不器用だよな」

「まあ、サッカー部だからね」

「それ関係あんのかよ」

「んー」少し考える。「ないな」

 今度こそは、と新しい風船を手に取る。蛇口の水量を調節してから、口をすっぽりとはめた。みるみるうちに膨らんでいくそれに注意を注いでいると「そういえばさ」と、隣から祐樹の声が掛かる。

「最近、やけに千代田と仲良かったよな」

「あぁー……」うん、とは言わずに「モバ充貸してから、少し話すようにはなったかな」と、濁す。

「あいつ、何話すの?」

「うーん」

 ポケットの中に入れていたスマホが、ブブッと振動する。

 おそらく、千代田からだろう。

 結局、既読すらつけないまま千代田との約束をすっぽかしてしまった。熱中症やら夏風邪やら、行けない理由は作りようがあったのだが、また別日で、となるのも面倒で、そのまま放置することにしたのだ。
 いままで、友人やクラスメイトに対して、そのようなぞんざいな扱いはしたことがなかった。
 きっと、自分は千代田のことを下に見ている。踏み台に乗って、大きくなったつもりで、見下ろしているのだ。

「草太って、あーゆータイプともつるむんだな」

 あーゆータイプ。
 皮肉が込められた言い方に、藤丸自身も顔がひきつったのがわかる。

「仲いいわけじゃないから」

 少しムキになって返せば、祐樹は「へぇ」と目を丸めた。

「草太ってお節介なんだな、いい意味で」

 その言葉に、嫌味は感じられなかった。
 無意識に顎が上がる。

「さすがに、あんな陰キャとは話が合わないわ」

 そんなことを言っている自分に嫌気が差したが、「だよなー」と祐樹が共感を示してくれたことにより、その靄はぱあっと晴れた。

 バケツ二個分、ぱんぱんに詰められた水風船を公園の中心地に設置すると、早速水風船合戦がスタートした。

「っしゃー!」

「おいテル、フライングだぞ!」

「やられる前にやる! それが俺の流派じゃー!」

 中学生の頃、クラス全員が誘われた水風船合戦に行ったときのことが脳裏をよぎった。地元の広々とした水上公園で、普段は派閥で分かれていたグループが入り混じり、教室の隅でひとり読書に耽るような子でさえも、なんだか照れ臭そうに笑っていたのが記憶に残っている。
 クラスとしての絆が深まった。これで来月の体育祭も優勝一択だ、と締めくくられたものの、休み明けにはいつも通りに戻っていた。
 藤丸は、そのことに深いショックを受けたが、他のクラスメイトはさして気にしている様子はなかった。クラスの中心で笑っているあいつも、教室の隅っこでふたたび自分の世界に閉じこもったあの子も、本当に、何もなかったみたいに。

 ふいにフラッシュバックした苦酸っぱい記憶が吹っ飛んだのは、頭にそこそこの衝撃を受けたからだ。
 藤丸に当たった水風船は割れ、右側頭部から右腕にかけてがぐっしょりと濡れている。ただでさえ暑いのに、肌にへばりついた綿のTシャツが重くて気持ち悪い。

 狙って投げてきたのは、テルだった。

「くっそー、やったなー!」

 藤丸も、手に持っていた水風船を投げつける。テルから大きく外れ、砂の上で弾けた。

 一瞬の沈黙。

 その後、近所からクレームが入りそうなほどの声で大袈裟に笑う祐樹たち。

「草太、コントロール悪すぎ!」

 言いながら、祐樹が水風船を投げてくる。それも見事に当たり、次は腹部に冷たい水の感覚が伝わってきた。続いて、他のメンバーたちも、まるでツッコミを入れるかのように藤丸に水風船を投げつける。開始数分、誰よりもびしょ濡れになった藤丸は、小学生のとき、住んでいたアパートのエレベーター内でお漏らししたときと同じような感覚を味わった。
 目の前の友人たちは、びしょ濡れの藤丸を見て笑っている。

 ……だめだ。笑え。切り替えろ。

「いまに見てろよー!」
 バケツの中から水風船を取るために腰を曲げた。両手にいっぱいの水風船を抱え込んだ瞬間、額から水滴が落ちた。

 それが汗でも水でもないことは、藤丸自身が一番よくわかっている。

 なんて、惨めな人間なんだろう。