藤丸はPCから顔を覗かせながら、教室前方の様子を伺った。
ホワイトボードには【情報Ⅰ 補講】と書かれている。教員用デスク前の何席かには、すでに補講に訪れたと思しき一年の姿がいくつかあった。
――よかった。まだ大丈夫だ。
ほっと胸を撫で下ろし、伸ばしていた背を椅子の背もたれへと預ける。
はたしてこれは、意味があるのだろうか。ここへやってきてから、ずっと抱いていた疑問を投げかけてみることにした。
「ねえ、パソコン室でやる必要あった?」
「うん」
「いまの時代、スマホ一台で完結するよ」
「知ってる。ただ、紙で残しておいた方が、あとから広げて見比べたりすることができるだろ」
件のスマホを片手に、千代田は藤丸の疑問に淡々と答えた。壁に沿うように置かれた印刷機からは、先ほど見つけたキモミ先輩関連の資料が吐き出されている。おもむろに立ち上がり、それらを回収しに向かった千代田の背中を見送りながら、藤丸は一週間前のことを思い出していた。
*
「この人が、キモミ先輩なんだ」
にわかには信じがたい言葉だったが、実際に映像の中の彼はそう呼ばれていた。ただ、それだけでは判断ができない。
「内輪のおふざけだよ。きっとこの人たちもキモミ先輩の伝承を聞いて、ふざけてそう呼んでたとかでしょ」
「たしかに」
「うん。じゃあ俺、寝ていい? ちょっと寝不足で」
「ごめん、あとひとつだけ」
まだ何かあるのか、と出かけたため息をすんでのところで呑み込み、一度千代田にスマホを返す。睡眠を取りたいというのもそうなのだが、この件に極力関わりたくないというのが本心だった。
次に千代田が提示したのは、男子生徒が教室から出て廊下を駆けていくところだ。藤丸に画面を向けながら、教室の扉の上に出されているクラスプレートをアップする。そこには『1年2組』とある。そしてそのさらに奥、男子生徒が走っていたほうにも、うっすらとクラスプレートが確認できた。『1年1組』だ。
「あっ」
何の変哲もない光景だ。
しかし、ここでは違う。
「そう。いまは使用不可って言われてる、旧一年二組の教室なんだ」
「本当だ」
いまこの教室から顔を出せば、同じ並びに見えるのは社会科室と社会科準備室。もともと視聴覚室だったこの教室は改装され、現在は一年二組のクラス教室になっている。
冷静に考えれば、端のクラスである六組が押し出しでこの教室を使えばいい。数字が規則的に並んでいる中で、突然二組が飛んで三組だなんておかしな話だ。
しかし、入学式後のオリエンテーションで、先輩たちも同じ状況で一年生を過ごしていたと聞かされれば、反論の余地はなかった。それがこの場所では当たり前で、部活動の準備は一年生が率先してやらねばならない、というような習わしと似たようなものなのだと納得した。
では、この映像はいったい何なんだ。
――なんて、考える必要もない。
「このときはまだ普通に使われてたってことだよね」
聞かずとも見ればわかることではあったが、藤丸は確認するかのように千代田に投げかける。
「そのとおり」
「じゃあ、この動画が撮られたころ……えーっと、」画面をタップし、動画が撮られたと思しき日付をチェックする。「二〇一四年八月……十二年前か」
十二年前といえば、藤丸がまだ四歳の頃だ。まだ十六年も生きていない藤丸からしてみれば、はるか遠い昔のように思える。
「てか、この頃って学ランだったんだな」
「うん。まだジェンダーレス制服が一般的じゃなかったからね。俺らの高校も、六年前にやっとブレザーに変わった」
「へえ、やけに詳しいな。俺、全然知らなかった」
「まあ、そんなことは置いといて……」千代田が前のめりになり、藤丸の目をじっと見つめる。「これさ、ちょっと調べてみない?」
「……はっ?」
奥深そうな瞳に、一縷の光を見たような気がした。
何を提案されているのか状況を呑み込み切れず固まる藤丸に、千代田が噛み砕いて説明をし始める。
「図書室で見つかったスマホ、そしてその持ち主の名前を聞いて変な反応を見せた岡崎、スマホの中に残されたキモミ先輩の姿と、いまは開かずの間となった旧一年二組の教室」
片手の指をひとつずつ立てていき、五本すべての指が立ったところで、千代田はぎゅっと拳を作った。そして、新しいおもちゃを与えられたやんちゃ坊主のような不敵な笑みを浮かべる。
藤丸はその表情にゾッとしながらも、いまは千代田の拳の中にあるワードたちに興趣をそそられたのは確かだった。
「すっごく気にならない?」
「…………」
何か、触れてはいけないものに触れることになる気がして、素直に頷けなかった。それに、なんだか不謹慎なような気もする。好奇心だけの野次馬精神で調査に踏み切ろうとする千代田に、雀の涙ほどの不快さがあるのも事実だった。
でも――。
昨夜の恐怖が蘇る。
もし、またあの少年が現われたとしたら。そして、その少年が本当にキモミ先輩だったとしたら――。
何もわからないまま、怯えて過ごすのだけは嫌だった。
*
そうして、特にイエスともノーとも答えを出さず、あれから一週間が経った。部活が定休日だったため、今日こそはと祐樹たちに声を掛けようとしたのだが、その前に千代田に呼び止められたのだ。
あれから、あの少年の姿は見ていない。
もしかしたら、大丈夫なのかもしれない。このまま、何もなかったかのように過ごしていれば、害はないのかもしれない。
しかし、千代田の誘いを断ろうとしているうちに、祐樹たちはまたしても先に教室を出て行ってしまった。ここで千代田の誘いを断ったところで、後の予定はない。千代田に誘われるがまま、資料集めのために補講前のパソコン室に忍び込んだわけだ。
「これだけ?」
印刷した紙を手に戻ってきた千代田が、藤丸に二枚の紙を手渡しながら目を丸めた。
「まあ、そりゃそうか。もとはローカル的なもんだからな」
特に咎めるつもりはないようで、ふたたび椅子に腰を下ろした千代田は早速印刷した資料とにらめっこをしている。
藤丸の手元には、某掲示板のスレッドの一部と、とあるユーザーのXでのポスト。千代田の手元には、スマホのカメラロールに保存してあった写真を引き伸ばしたものも含め十枚以上の資料がある。
横から覗き込むようにして、その写真に視線を落とした。
古い画質のものを無理に引き伸ばしたため、少々粗く見えるものの、写真の中から笑い声が聞こえてきそうなくらい、その中に映る生徒たちはいい表情をしている。藤丸が調べ出したものとは、繋げようにも繋がらない気さえしてくるほどだ。
千代田は顎に手を添え、何か考える素振りを見せると「ちょっと貸して」と、藤丸の手から掲示板のスレッドを印刷したものを手に取る。
「この掲示板での話が本当なら、キモミ先輩はいじめを苦に自殺した。でも、写真からはまったくそんな感じはしない。男気じゃんけんの動画も、ひとりを嵌めるようなイカサマには見えなかったし、誰もが平等に購買ダッシュをさせられる可能性があった」
「うん」
「藤丸が言ってたように、キモミ先輩の伝承を聞いた――あるいは実際にその姿を目にした彼らが、悪ふざけをしただけ」
「かもしれないな。そうなってくると、この調査はもう必要なくなるね」
「いや、それはない」
食い気味で答えた千代田は、鞄の中から一週間前に藤丸に見せたオカルト誌を取り出した。ずっと入れっぱなしにされていたせいか、丸まっていたり、角が折れ曲がったりしている。
「この中に書かれてたことを思い出してほしい。キモミ先輩が疫病神になりかねない条件には、何が挙げられてた?」
突然の出題に、藤丸は少々狼狽えた。こういった抜き打ちテストのようなものは、藤丸が一番苦手としている形式だ。
「えーっと、たしか……無視とか、なんかいろいろあったよな。全部は憶えてないけど」
「うん。三つくらい挙げられてて、その中に『キモミ先輩に対しての揶揄い』っていうのがあった。動画の中に映ってるキモミ先輩が本物でないのであれば、あの行為は揶揄いに当てはまるんじゃないかな」
「ああ、たしかに……――ん? ってことは」
「呪いだ」
オカルト誌に書いてある通り、条件にひとつでも当てはまってしまえば、災いが降りかかるとされているが――。
しかし、どうにも疑念が拭えない。結末がぼかされているところも、やらせ感がぷんぷんと匂う。
「呪いって……」
「現実味がないのはわかってる。だからまずは、調査範囲を広げてみよう。キモミ先輩ってワードだけじゃなくて、学校名とか最寄り駅とか、町内全域まで調べつくす」
正直、あまり乗り気ではない。気になることは気になるが、自分の手で調べるとなると、かなりの労力も使う。
そもそも、千代田はなぜこんなにもこの件にこだわるのだろうか。
廊下から、引きずるような足音が聞こえてくる。
前扉からでっぷりとした情報担当の先生が入ってきて、藤丸と千代田は咄嗟に身をかがめた。



