君の体温が欲しくて

今朝の教室は、外と変わらないくらいに冷え切っていた。どうやら暖房の調子が悪いらしく、生徒たちの吐く息がみな一様に白く濁っている。

コウが自分の席にドカッと鞄を置くと、前の席の鈴木が振り返ってきた。

「お、おはようコウ。今日えっぐい寒さやな。……てかお前、数学の宿題やった?」
「おう鈴木、おはよう。宿題はやったけど……」
「うわ、マジで? 俺昨日こたつで寝落ちて白紙やねん。見せてくれへん?」
「嫌だよ、自分でやれって」
「そこをなんとか! 昼休みに購買のパン奢るから!な!」

両手を合わせて拝み倒してくる鈴木に呆れつつ、コウは鞄からノートを取り出して机に投げ出した。息の詰まるような家での時間から抜け出し、こうして同級生とくだらない会話をしている時だけが、コウにとって唯一まともに呼吸ができる時間だった。

「サンキュー! マジ助かるわ!」
鈴木が必死にノートを丸写ししていると、近くの席にいた女子たちがキャッキャと声を弾ませながら話しかけてきた。

「そういえば聞いた? 今日からうちのクラス、教育実習生来るらしいで」
「聞いた聞いた! 職員室ですれ違った先生が言ってたんやけど、東京の大学から来る男の人なんやって! かっこいい人やったらええなー」
「東京から……。そういや、純太先生が来てたのも去年の今頃だったよな」

コウが何気なく言うと、鈴木たちが不思議そうに顔を見合わせた。

「え? そんな人おったっけ?」
「嘘やん、俺全然覚えてないわ。どんな人やった?」
「私も忘れたー。コウ、記憶力いいな」

こんなに揃いも揃って忘れてることがあるか、とコウが首をかしげた、その時だった。

キーンコーンカーンコーン――。

始業のチャイムが鳴り響き、ざわついていた教室がバタバタと席に着く音に変わる。
ガラッと前扉が開き、出席簿を持った担任が入ってきた。

「席つけー。お前らもう噂で聞いてるかもしれんけど、今日から二週間、うちのクラスに教育実習生が来ることになった。入ってくれ」

ガラガラと扉が開き、一人の男が入ってきた。 黒い厚手のコート。雪のように白い肌。つぶらな瞳。忘れもしないその姿に、コウは自分の目を疑った。
「はじめまして。教育実習生の黒島純太です。よろしくお願いします」
静かに一礼した彼に向け、教室の空気がパッと華やぐ。
「よろしくお願いしまーす!」
「先生、めっちゃかっこええやん!」
クラスメイトたちは皆、笑顔で歓迎の拍手を送った。パチパチという無邪気で明るい音が、教室中に響き渡る。
しかし。突如、ガタッ っと椅子が大きな音を立てて床に倒れ、教室の拍手がピタリと止んだ。
「……え?」
クラス中の視線が一斉にコウに集まる。
「コウ、どうしたん?」
「いや……純太先生、去年の冬も、実習生で来てただろ。俺たちが一年の時」
「コウ、お前何言うてんねん? 先生今日初めてやん」
「勉強しすぎて疲れとるんやろ。幻覚でも見えてたんちゃう?」
クラスメイトたちがどっと笑う。担任も怪訝そうな顔をしている。 コウは混乱した。皆、何を言っているんだ。たった一年前のことなのに。
黒板の前に立つ純太が、ゆっくりとコウの方を見た。 純太は、初対面の生徒に向けるような完璧な愛想笑いを浮かべ、小首を傾げる。
「人違いでしょうか。……それとも、どこかで出会ったことがありましたっけ?」
その静かで吸い込まれるような声に、コウは反論の言葉を見失い、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
絶対に人違いなんかじゃない。去年の冬も、彼は確かにこの教室で同じように挨拶をしていたはずだ。なのになぜ、クラスメイトは誰も覚えていないのか。
置いてけぼりのコウを他所に、純太は淡々と続ける。
「それでは、早速授業を始めますね。」
純太が黒板に名前を書くため、チョークを手に取る。 袖口から覗くその手首は、まるで血が通っていないかのように、透き通るほど青白かった。