君の体温が欲しくて

クリスマスイブ当日。
東京の街は、どこを見渡しても煌びやかなイルミネーションの光に包まれ、行き交う恋人たちの熱気で浮き足立っていた。

待ち合わせ場所である駅前の大きな時計塔の下。
コウが人混みを縫って駆けつけると、そこには見慣れた黒いコートを着た純太の姿があった。
かつて雪のように青白く透き通っていたその頬は、今は寒さのせいか、人間らしくほんのりと赤く染まっている。コウの胸はそれだけでキュンと鳴った。

「先生! 待たせた!」
「あ、コウ君。いえ、僕も今来たところです」

純太は嬉しそうに微笑むと、持っていた鞄の中からゴソゴソと『何か』を取り出した。
それは、付箋がびっしりと貼られた分厚いキャンパスノートだった。

「……先生、なにそれ」
「ふふっ。今日のために、徹夜で調べ上げた完璧なデートプランです」

純太は眼鏡のブリッジをスッと押し上げ、自信満々にノートを叩いた。
「交通ルート、混雑状況、イルミネーションの点灯時間からディナーのタイミングまで、すべてこのノートに網羅されています。さあ、今日は僕に任せてください」

あまりの気合いの入りっぷりにコウは吹き出しそうになったが、「頼もしいね、よろしく」と素直に手を引かれることにした。

――しかし。
気合いと事前のリサーチが、必ずしも結果に結びつかないのが黒島純太という人間の生来の「どんくささ」だった。

「あれ? おかしいですね……。僕のノートの地図だと、この角を曲がればロマンチックな巨大ツリーの広場に出るはずなんですが……」
「先生、ここただの搬入口の裏路地だよ? ゴミ捨て場しかないけど」
「そんな馬鹿な!? 確かに地図にはこのルートが……あっ、僕が見ていたの、全然違う駅の地図でした……!」

出だしから見事に道に迷い、あっちへウロウロ、こっちへウロウロ。
ようやくツリーを見つけた頃には、予定していたスケジュールを大幅に過ぎてしまっていた。

「……っ、大丈夫です、まだリカバリーは効きます! ここから予約しているレストランへ向かえば、綺麗な夜景を見ながら最高のディナーが……!」

気を取り直して、純太はコウを少し背伸びした高級なレストランへとエスコートした。
入り口のスタッフに、純太は「予約していた黒島ですが」とスマートに名前を告げる。
しかし、スタッフは困ったように予約台帳をめくり、申し訳なさそうに首を振った。

「あの……黒島様。こちらのご予約日、来年の1月24日になっておりますが……」

「……えっ?」

純太の時が、ピタリと止まった。
画面に表示された『1/24 19:00〜』という残酷な文字。純太はクリスマスの日付を勘違いし、ぴったり1ヶ月後の日付でディナーを予約してしまっていたのだ。当然、聖夜の当日に飛び込みで入れるような店ではない。

「……」
「……」

きらびやかなレストランを追い出され、再び寒空の下に放り出された二人。
純太の手に握られた「完璧なデートプラン」の分厚いノートが、冬の冷たい風に吹かれてパタパタと虚しくページをめくっている。

「ごめんなさい、コウ君……」

街路樹の下で、純太は完全に肩を落とし、この世の終わりのような顔で深くうなだれた。

「君を完璧にエスコートして、最高のクリスマスをプレゼントするはずだったのに……ディナーの予約を1ヶ月間違えるなんて……。僕が、どんくさいばかりに……っ」

泣きそうに震えるその声からは、先ほどのスマートな自信は完全に消え去り、生真面目ゆえの深い絶望と自己嫌悪だけが漂っている。

どん底まで落ち込んでうなだれる純太の手に、不意に、温かな体温が重なった。
コウが、純太の震える手を下からすくい上げるようにして、ギュッと強く握りしめたのだ。

「……あははっ! 先生、マジでポンコツすぎだろ」
「うぅ……笑わないでください……」

情けなさで涙目になる純太を見て、コウは我慢しきれないように声を上げて笑い飛ばした。しかし、その顔に呆れた様子は全くなく、むしろ目の前の不器用な恋人が愛おしくてたまらないというように目を細めている。

「でもさ。俺、今すっげー楽しいよ」
「え……?」
「だって、ほら。先生の手、こんなに温かいんだから」

コウは握りしめた純太の手を引き寄せ、自分の頬にすりすりと押し当てた。

あの雪深い村で、コウが初めて触れた純太の背中や手首は、恐ろしいほどに血の気がなく、まるで氷の彫刻や死人のように冷たかった。

それが今はどうだろう。「血の通った人間」として、デートの予約を間違えて本気で落ち込み、コウの言葉に照れて耳まで真っ赤に染めている。
こうして生きた純太の鼓動と熱を感じながら隣で笑い合えていること自体が、コウにとってはもう、これ以上ない奇跡のクリスマスプレゼントだったのだ。

「コウ君……」

コウの真っ直ぐな愛情に触れ、純太の胸の奥でつかえていた自己嫌悪の塊がふわりと溶けていく。

しかし、純太の中にある持ち前の「生真面目さ」が、ここで再び頭をもたげた。

「……やはり、せっかくのクリスマスをこのまま終わらせるわけにはいきません。実はこんなこともあろうかと、僕には『プランB』があるんです」
「えっ、プランB?」
「はい。ここから僕の家に戻り……僕が君に、手作りのクリスマスディナーを振る舞います! 実は今日のために、動画を見てローストビーフの作り方を完璧に予習してきましたから」

純太はグッと拳を握りしめ、自信満々に提案した。
しかし、その言葉を聞いた瞬間、コウの顔からスッと血の気が引いた。

コウの脳裏に、かつて村の焚き火で真っ黒な炭と化したマシュマロや、家庭科室でリンゴの皮むきをして指を切った純太の姿が、鮮明にフラッシュバックしたのだ。

(……いや、動画を見ただけで作れるわけない! 絶対キッチンが火の海になるか、先生が指を切って流血沙汰になるかのどっちかだ!!)

「お、お気持ちはすっげー嬉しいんだけど!」

コウは純太がスーパーへ向けて駆け出そうとするのを、慌てて全力で引き止めた。

「今日は時間も遅いし、先生をこれ以上疲れさせたくないからさ! 高級なディナーも、気合いの入った手料理もいらないって。柄にもないことして緊張するより、俺は先生とゆっくり一緒にいられればそれでいいの」
「で、でも……」
「ほら、帰ろう! コンビニででっかいチキンとケーキ買ってさ、先生の家で食べようぜ。こたつに入って、二人でぬくぬくしながらお祝いしよ」

コウのその屈託のない明るい笑顔と、繋いだ手から流れ込んでくる絶対的な温もりに。
純太は少しだけ口を尖らせた後、やがて観念したように柔らかく微笑んだ。

「……はい。そうですね」

純太は小さく息を吐き、今度は自分から、コウの温かい手をギュッと強く握り返した。