君の体温が欲しくて

すべてが終わり、狂気から解放された村に、ようやく静かで穏やかな冬が戻ってきた。

純太が仮住まいとしていたあの隙間風の吹く古いあばら家で、二人は小さなちゃぶ台を挟み、ささやかな「お祝い」の席を設けていた。
目の前にあるのは、湯気を立てる二つのカップラーメン。去年の冬、凍えていたコウに純太が振る舞ったのと同じ、ジャンクで温かいご馳走だ。

「……んーっ! やっぱこれ、最高に美味い」

ズルズルと麺を啜り、コウが心底幸せそうに息を吐く。
向かいの席に座る純太も「ふふ、お湯を入れただけですけどね」と、かつてと同じやり取りを交わしながら、生きた人間としてその温かいスープを味わっていた。

「……そういえばさ」

ふと、コウが割り箸を咥えたまま、何かを思い出したようにニヤリと笑った。

「俺がこの家に泊まった夜、先生がホットミルク飲んだ後……俺が『猫になれ』って冗談で言ったら、先生本当に『にゃー』って言ってすり寄ってきたよな」
「……ブフォッ!?」

純太は盛大にスープをむせ返り、慌てて口元をティッシュで覆った。

「あ、あれは……っ! 僕の意志じゃなくて……!」
「うん、今ならわかる。あれ、寝ぼけてたんじゃなくて……あの校長の『牛乳』に入ってた薬草のせいで、極端に暗示にかかりやすくなってただけだったんだな。俺の言葉にそのまま洗脳されちゃってさ」

腑に落ちたというようにケラケラと笑うコウに対し、純太は耳の先まで真っ赤にして俯いた。あの時の自身の無自覚な甘えっぷりを、今更になって客観的に突きつけられたのだ。恥ずかしさで穴があったら入りたい気分だった。

「……先生、あの牛乳まだどっかに残ってる?」
「……悪用しないでください」

期待に満ちた目で尋ねるコウに、純太は顔をしかめて釘を刺す。

「ちぇー。まあいいや」
コウは少しだけ唇を尖らせた後、ちゃぶ台に頬杖をつき、真っ直ぐに純太の目を見つめた。

「じゃあ、洗脳なんてなくても、ちゃんと俺に甘えてよ」
「えっ……」
「俺、先生があの時みたいにすり寄ってきてくれたの、すげー嬉しかったんだからさ。ほら」

コウは両手を広げ、冗談めかして、けれどどこか真剣なトーンでおねだりをした。
純太は戸惑うように視線を彷徨わせたが、やがて観念したように小さく息を吐いた。そして、ゆっくりと立ち上がると、コウの背後へと回り込む。

「……先生?」

不思議そうに振り返ろうとしたコウの背中に、温かな体温がそっと重なった。
純太が後ろからコウの肩に腕を回し、その背中に静かに額を押し当てて、ギュッと抱きしめてきたのだ。
それは、かつてコウが純太の背中にすがりついた時と、全く同じ体勢だった。

「……好きです、コウ君」

耳元で囁かれた、震えるような、けれど確かな熱を帯びた声。
洗脳でも、暗示でもない。純太自身の心からの言葉だった。

その破壊力に、今度はコウの肩がビクッと大きく跳ねた。

コウは慌てて体を反転させ、純太と正面から向き合う体勢になる。そして、純太の胸元にそっと手のひらを当てた。

トクン、トクン、トクン。

純太の胸の奥からは、生きた人間としての力強く温かな心臓の音が、確かに伝わってくる。あの理科準備室で確かめた時のような、急激な変化による荒い鼓動ではない。穏やかで、優しく、命の熱に満ちた音だった。

「……聞こえる。ちゃんと動いてる」

コウが嬉しそうに微笑むと、純太もまた、そっと手を伸ばしてコウの左胸に手のひらを当てた。

ドクン、ドクン、ドクン。

コウの心臓もまた、純太の鼓動と呼応するように、いや、それ以上に早く激しく脈打っていた。純太の甘い言葉と抱擁に、完全に動揺してしまっているのだ。

「ふふ……。コウ君の心臓の音も、すごくよく聞こえますよ。なんだか、とても早いですけど」
「っ……! う、うるさいな……先生が急に可愛いこと言うからだろ……!」

普段は余裕ぶっているコウが、純太に指摘されてみるみるうちに顔を真っ赤に染めていく。その年相応の初々しい反応がたまらなく愛おしくて、純太は優しく微笑んだ。

「ありがとう、コウ君。僕を見つけてくれて」

どちらからともなく顔を近づけ、二人は静かに目を閉じた。
重なり合った唇は、もう石像のように冷たくはない。互いの命の熱を分け合うように、どこまでも温かく、そして柔らかな感触だけが、そこにあった。