二人が夜のキャンパスに忍び込み、息を潜めて薬学棟の一角にある研究室へと辿り着いた頃には、すっかり日は落ちていた。
すでにコウの父親が亡くなってから数年が経過しており、研究室の表札は見知らぬ別の教授の名前に変わっていた。だが、幸いなことに部屋の構造や備え付けの古い家具類は、当時のまま残されていた。
夜間の無人の隙を突き、鍵の開いていた奥の資料室へと滑り込む。
「日記に書いてあった隠し場所って……確か、『資料室の一番奥、備え付けの薬品棚の裏側』だったよな」
コウは純太のスマートフォンを懐中電灯代わりにし、埃をかぶった重い木製の薬品棚の隙間を覗き込んだ。壁との間にあるわずかなデッドスペース。そこに手を伸ばすと、テープで厳重にぐるぐる巻きにされた、分厚いファイルの束が隠されるように押し込まれていた。
「……あった。これだ」
床に広げたファイルを開くと、そこにはコウの父親の筆跡で、びっしりと書き込まれた研究データと手記が綴られていた。
二人は息を呑んで、そのページをめくっていく。
『〇月×日。村の裏山に自生する固有の薬草から、人間の自律神経と記憶野に強烈な干渉を引き起こす特異な成分を検出した。継続的に摂取させることで、特定の記憶の欠落や、思考能力の低下、さらには暗示にかかりやすい「洗脳状態」を作り出すことが可能であると推測される』
『△月〇日。校長が「健康管理」と称して生徒たちや村人に配給しているあの牛乳。こっそり持ち出して成分を分析した結果、やはりあの薬草の高濃度の抽出液が混入されていた』
「……っ!」
その記述を見た瞬間、コウは思わず顔をしかめた。
「どおりで、あの牛乳、あんなゲロマズだったわけだ……! 」
さらにページをめくると、データは手記へと変わり、そこにはこの異常な支配構造を作り上げた「校長」の過去が記されていた。
『彼は、かつて東京からこの村へやってきた「よそ者」だった。
閉鎖的な村人たちから理不尽な迫害を受け、冬の生贄として捧げられそうになっていた彼を、この村で生まれ育った私はひどく哀れに思い、なんとか庇おうとしていた。村の恐ろしい因習に疑問を抱いていた私と、孤独なよそ者だった彼は、よく語り合い、とても仲が良かったのだ。
しかし、彼は村に殺されることを拒んだ。
彼は自らの身を守るため、薬草の成分を利用し、逆に村人たちを洗脳し始めたのだ。自分が生贄にならないために、別のよそ者を「神への贈り物」として仕立て上げ、村人たちを自分に有利なようにコントロールする仕組みを作り上げた。
最初は生き残るための正当防衛だったのかもしれない。だが、彼の薬草の使い方は、次第に常軌を逸していった。村全体を自分の箱庭のように支配し、罪のない若者たちを次々と永遠の冬に縛り付ける、冷酷な怪物へと変わってしまった。
……私はもう、この村の狂気にも、親友だった彼の変貌にも、耐えきれない。
私は村を捨てる。だが、いつかこの洗脳の呪縛を壊さなければならない』
手記は、そこで途切れていた。
「……校長も、元々はよそ者だった……」
純太は呆然と呟き、ファイルを持つ手を震わせた。
自分をこの地獄に突き落とした冷徹な男。彼もまた、最初は村の因習の被害者だったのだ。生き延びるために村の支配構造を乗っ取り、自分が生き残るために、純太のような新しいよそ者を犠牲にし続けていた。
「親父……ずっと一人で、この村の秘密を調べてたんだな」
コウは手記の最後のページをそっと撫でた。
村を捨てて東京へ逃げた父親。祖父はそれを「薄情者」と罵っていたが、父親は決して逃げただけではなかったのだ。大学で薬草の研究を続け、いつか村の狂気を止めるための準備をしていた。
そして、自分が病に倒れた時、冬になれば記憶を消されてしまうと知りながらも、純太にこの事実を託そうとした。
「先生」
コウはゆっくりと顔を上げ、暗がりの中で純太を真っ直ぐに見据えた。純太のパーカーを着たその背中は、以前よりもずっと大きく、頼もしく見えた。
「作戦を立てよう。」
すでにコウの父親が亡くなってから数年が経過しており、研究室の表札は見知らぬ別の教授の名前に変わっていた。だが、幸いなことに部屋の構造や備え付けの古い家具類は、当時のまま残されていた。
夜間の無人の隙を突き、鍵の開いていた奥の資料室へと滑り込む。
「日記に書いてあった隠し場所って……確か、『資料室の一番奥、備え付けの薬品棚の裏側』だったよな」
コウは純太のスマートフォンを懐中電灯代わりにし、埃をかぶった重い木製の薬品棚の隙間を覗き込んだ。壁との間にあるわずかなデッドスペース。そこに手を伸ばすと、テープで厳重にぐるぐる巻きにされた、分厚いファイルの束が隠されるように押し込まれていた。
「……あった。これだ」
床に広げたファイルを開くと、そこにはコウの父親の筆跡で、びっしりと書き込まれた研究データと手記が綴られていた。
二人は息を呑んで、そのページをめくっていく。
『〇月×日。村の裏山に自生する固有の薬草から、人間の自律神経と記憶野に強烈な干渉を引き起こす特異な成分を検出した。継続的に摂取させることで、特定の記憶の欠落や、思考能力の低下、さらには暗示にかかりやすい「洗脳状態」を作り出すことが可能であると推測される』
『△月〇日。校長が「健康管理」と称して生徒たちや村人に配給しているあの牛乳。こっそり持ち出して成分を分析した結果、やはりあの薬草の高濃度の抽出液が混入されていた』
「……っ!」
その記述を見た瞬間、コウは思わず顔をしかめた。
「どおりで、あの牛乳、あんなゲロマズだったわけだ……! 」
さらにページをめくると、データは手記へと変わり、そこにはこの異常な支配構造を作り上げた「校長」の過去が記されていた。
『彼は、かつて東京からこの村へやってきた「よそ者」だった。
閉鎖的な村人たちから理不尽な迫害を受け、冬の生贄として捧げられそうになっていた彼を、この村で生まれ育った私はひどく哀れに思い、なんとか庇おうとしていた。村の恐ろしい因習に疑問を抱いていた私と、孤独なよそ者だった彼は、よく語り合い、とても仲が良かったのだ。
しかし、彼は村に殺されることを拒んだ。
彼は自らの身を守るため、薬草の成分を利用し、逆に村人たちを洗脳し始めたのだ。自分が生贄にならないために、別のよそ者を「神への贈り物」として仕立て上げ、村人たちを自分に有利なようにコントロールする仕組みを作り上げた。
最初は生き残るための正当防衛だったのかもしれない。だが、彼の薬草の使い方は、次第に常軌を逸していった。村全体を自分の箱庭のように支配し、罪のない若者たちを次々と永遠の冬に縛り付ける、冷酷な怪物へと変わってしまった。
……私はもう、この村の狂気にも、親友だった彼の変貌にも、耐えきれない。
私は村を捨てる。だが、いつかこの洗脳の呪縛を壊さなければならない』
手記は、そこで途切れていた。
「……校長も、元々はよそ者だった……」
純太は呆然と呟き、ファイルを持つ手を震わせた。
自分をこの地獄に突き落とした冷徹な男。彼もまた、最初は村の因習の被害者だったのだ。生き延びるために村の支配構造を乗っ取り、自分が生き残るために、純太のような新しいよそ者を犠牲にし続けていた。
「親父……ずっと一人で、この村の秘密を調べてたんだな」
コウは手記の最後のページをそっと撫でた。
村を捨てて東京へ逃げた父親。祖父はそれを「薄情者」と罵っていたが、父親は決して逃げただけではなかったのだ。大学で薬草の研究を続け、いつか村の狂気を止めるための準備をしていた。
そして、自分が病に倒れた時、冬になれば記憶を消されてしまうと知りながらも、純太にこの事実を託そうとした。
「先生」
コウはゆっくりと顔を上げ、暗がりの中で純太を真っ直ぐに見据えた。純太のパーカーを着たその背中は、以前よりもずっと大きく、頼もしく見えた。
「作戦を立てよう。」
