君の体温が欲しくて

コウに手を引かれるまま、二人が辿り着いたのは、駅からほど近い閑静な住宅街にある古いアパートの一室だった。
表札には、確かに『黒島』と書かれている。
純太が震える手でドアノブに触れると、鍵は開いていなかった。しかし、無意識のうちに郵便受けの裏側に手を伸ばすと、そこにガムテープで貼り付けられた合鍵の感触があった。

カチャリ、と重い音を立てて扉が開く。

「お邪魔……します」

おそるおそる足を踏み入れた室内は、埃をかぶった廃墟などでは決してなかった。
つい数日前まで誰かが生活していたような、生々しい空気が漂っている。ハンガーには今風のダウンジャケットが掛かり、机の上には分厚い大学の教科書や、書きかけのレポート用紙が無造作に積まれていた。壁に掛けられたカレンダーは、今年の4月から11月まで、サークルの予定やバイトのシフトでびっしりと埋め尽くされている。

「……これ、」

純太はふらつく足取りで机に歩み寄り、一冊の大学ノートを手に取った。
表紙には『日記』と書かれている。

ページをめくると、そこには見慣れた自分の筆跡で、切実な思いが綴られていた。

『4月2日。今年もまた、冬の記憶がすっぽりと抜け落ちている。目が覚めると春になっていて、周りの友人は口を揃えて「短期留学お疲れ様」と言う。でも、パスポートに出国の履歴なんてない。自分が冬の間、どこで何をしていたのかわからない。……怖い。自分が自分じゃなくなるみたいで、頭がおかしくなりそうだ』

「先生……」
コウが横から日記を覗き込み、息を呑む。
さらにページをめくっていくと、11月下旬のページに、一枚の写真がマスキングテープで丁寧に貼り付けられていた。

それは、去年の冬。雪景色を背景に、不器用に笑うコウと、その隣で静かに微笑む純太のツーショット写真だった。
あの冬、コウが「絶対持っといてくださいよ」と純太に押し付けたものだ。

写真の下には、震えるような文字でこう書き足されていた。

『この写真の男の子が誰なのか、どうしても思い出せない。冬のコートを着ているから、きっと僕が記憶をなくしている間に会っている人なんだろう。名前も、声もわからない。でも、なぜだろう。この写真を見ていると、胸の奥が酷く締め付けられて、どうしようもなく温かい気持ちになる。涙が出そうになる。……僕は、この冬の世界に、何か大切なものを置いてきてしまっている気がする』

「……っ」

純太の手から力が抜け、日記がパサリと机の上に落ちた。
純太の瞳から、大粒の涙がとめどなく溢れ出した。

校長の言葉は、嘘だったのだ。
純太は冬の間だけ現れる幽霊などではなかった。

「……幽霊なんかじゃ、ない。先生はずっと生きてたんだよ。」
コウは力強く呟き、泣き崩れる純太の背中を、後ろから強く、強く抱きしめた。

「コウ、君……コウ君……っ」
純太はコウの腕にすがりつき、子供のように声を上げて泣いた。