君の体温が欲しくて

新宿駅から少し歩いた先にある、背の高いウィークリーマンション。
コウがインターホンを鳴らすと、すぐにオートロックが解除され、二人は指定された階へと上がった。

「お邪魔します……」
「入って入って。狭いけど適当に座ってね」

ドアを開けて迎えてくれたコウの母親は、一時帰国中ということもあってか、部屋着ではなく少しカチッとしたブラウス姿だった。室内には最低限の家具しかなく、テーブルの上には仕事の資料らしきファイルが積まれている。

「で? そちらが電話で言ってたお友達?」
「ああ、うん。高校の友達の、黒島純太……」

コウはチラリと純太の方を見て、誤魔化すように目を逸らした。「教育実習生」だと説明すれば、深夜に高校生と二人で東京にいる理由を怪しまれて話がややこしくなる。行きの電車の中で、純太にはあらかじめ「同級生の設定で頼む」と口裏を合わせていた。

「黒島です。夜分遅くにお邪魔して申し訳ありません」

純太は少し緊張気味に、完璧な角度でお辞儀をした。高校生と偽るには少し大人びている気もしたが、元々の肌の白さと整った顔立ちのせいか、母親は特に疑う様子もなく目を輝かせた。

「まあ、丁寧な子! コウとは大違いね。……お腹すいてるんでしょう? 晩御飯、スーパーのお惣菜ばかりだけど、これでよかったら食べて」

母親がキッチンからパックのままの唐揚げやポテトサラダ、それにインスタントの味噌汁を手際よくテーブルに並べていく。

「サンキュー。マジで助かる」
「ありがとうございます。いただきます」

空腹の限界だった二人は、すぐさま箸を手に取った。冷め切ったスーパーの惣菜でも、今の二人にとってはどんなご馳走よりも美味しく感じられた。

「……あ、そういえば先生、こっちの唐揚げも食べる?」

コウが何気なく自分のパックから唐揚げを一つ差し出した瞬間、ピタリと空気が止まった。

「……ん? 先生?」
母親が不思議そうに首を傾げる。純太は「しまった」という顔でコウを睨んだが、コウは慌てることなく、箸を咥えたままヘラヘラと笑ってみせた。

「あー、違う違う。純太、めちゃくちゃ頭いいからさ。俺、勉強教えてもらってて、尊敬の意味込めて普段から『先生』って呼ぶのが口癖になってんだよ」
「えっ? あ、はい。そう……ですね」
「へえー! イケメンなのに頭までいいなんて、すごいじゃない。コウの勉強、これからも見てやってね」

母親はすっかり感心した様子で、純太にお茶を差し出した。純太は引きつった愛想笑いを浮かべてコウの弁明に合わせるしかなかった。

「……ところでコウ。村での暮らしはどうなの? おばあちゃんたちと上手くやれてる?」

ふと、母親が思い出したように尋ねた。
純太の箸がピタリと止まる。あの異常な村人たちの姿や、コウを「生贄」として扱おうとしていた祖母の狂気を、母親は何も知らないのだ。

「……うん、まあね。楽しくやってるよ。じいちゃんもばあちゃんも元気だし、飯も美味いし」

コウは一切の迷いなく、作り笑いを浮かべて答えた。
「そう。それならよかったわ。やっぱりあの村に預けて正解だったわね」
「うん」

母親が安堵の息を吐いた、その時だった。
テーブルの上に置かれていた電話が、着信音を鳴らした。

「あ、ごめん、会社からだ。……はい、もしもし。ええ、その件ですが……」

仕事の顔になった母親は、慌ただしくコートを羽織り、カバンを手に取った。
「ごめんね、コウ。急な呼び出しが入っちゃって、私もう行かなきゃ。後は二人で適当に食べて、ゆっくり休んでて」
「わかった。仕事頑張ってね」

バタン、と慌ただしくドアが閉まり、部屋の中には再び二人きりの静寂が降りた。

「……」
純太は箸を置き、向かいの席で黙々と唐揚げを食べているコウを見つめた。

「コウ君。どうして、あんな嘘をついたんですか。村での暮らしが楽しいなんて……」
「……」
「お母さんに本当のことを話して、東京で一緒に暮らしたいって言えばよかったじゃないですか。あの村がどれほど異常か、君だってさっき身をもって知ったはずなのに」

純太の問いかけに、コウは飲み込んでいた味噌汁をゆっくりとテーブルに置き、小さく息を吐いた。

「……言えるわけないじゃん。母さん、俺の学費稼ぐために必死で仕事してるんだぜ。これ以上心配かけられないよ」

コウは俯き加減でそう吐き捨てると、すぐにハッとしたように顔を上げ、努めて明るい声を出した。

「……ま、それよりさ! 今はウジウジ悩むより、これからどうするか考えないとね! 俺、とりあえずお風呂入ってくる!」

沈みかけた空気を強引に振り払うように立ち上がると、コウは着替えを手にして、逃げるようにバスルームへと消えていった。

パタン、と脱衣所のドアが閉まる音を聞きながら、一人残された純太は静かに目を伏せた。
コウの言う通りだ。起きてしまったことをいつまでも悔やみ、罪悪感に溺れている暇はない。コウが自分の代わりに背負ってしまったこの呪いとどう向き合い、これからどう生き抜いていくのか。純太自身も、たしかに今は未来のことだけを考えなければいけないのだと、固く拳を握りしめた。