数時間後。
ガタン、ゴトンと単調に揺れるローカル線をいくつも乗り継ぎ、ようやく都会の路線へと入る頃には、すっかり夜が更けていた。
窓の外の景色は、重く垂れ込めた鉛色の空と雪深い山林から、瞬く間にまばゆいネオンが輝く光の海へと劇的な変化を遂げていた。
「次は、東京。東京です――」
車内アナウンスと共に、列車のドアが開く。
ホームに降り立った瞬間、二人の全身を包み込んだのは、あの村の肌を刺すような凍てつく空気ではなく、人の熱気と排気ガスが混じった、生ぬるい都会の空気だった。
「……着いた……」
改札を抜け、見上げるほど高いビル群と、眩い光を目の当たりにした純太は、呆然と立ち尽くした。
行き交う無数の人々の波。絶え間なく聞こえる車のエンジン音。
それは、純太が5年前に奪われ、永遠に失ったと諦めていた『当たり前の日常』そのものだった。
「先生、マジで生きて帰ってこれたな……っ」
隣でコウが、久しぶりの東京の空気を深く吸い込み、パッと顔を輝かせる。
純太も釣られて、たまらず頬を緩ませた。
「ええ……! 東京です、コウ君。本当に、僕たち……」
言いかけたその時だった。
――きゅるるるる。
感動的な空気を切り裂くように、コウのお腹から盛大な音が鳴り響いた。
「あ……。」
気まずさを振り払うようにコウは続ける。
「とりあえずなんか食おうぜ! てか、今日泊まる場所も探さなきゃ。俺、コートも着てこなかったから流石に外はキツいし」
「そうですね。ビジネスホテルか、最悪インターネットカフェでも……」
純太は自身の黒いコートのポケットから、薄っぺらい財布を取り出した。
そして、二人は同時に自分たちの所持金を確認し――ピタリと固まった。
「……先生、ここまでの切符代払って、今いくら残ってる?」
「……千円札が1枚と、小銭が少し」
純太は青ざめた。この5年間、村での生活しかしていなかったため、現金などほとんど持ち歩いていなかったのだ。
対するコウも家を飛び出してきたため、ポケットに突っ込んでいたなけなしの千円札と小銭を合わせても、二人の全財産はようやく三千円に届くかどうかというところだった。
「……合わせて三千円ちょっと。ネカフェすら2人分払えないじゃん……」
「ど、どうしましょうコウ君! このままじゃ、せっかく村から逃れられたのに東京のど真ん中で野垂れ死にです……っ!」
つい先ほどまでの感動はどこへやら、一気に突きつけられた極めて現実的なピンチに、純太がパニックを起こしてオロオロと周囲を見回す。
「落ち着けって、先生!」
コウは少し考えてから、ポンッと手を打った。
「そうだ! 母さんだ!」
「お母さん?」
「昨日の夕方、実家から電話がかかってきてたんだ。ばあちゃんが途中で勝手に切っちゃったけど、母さん、たぶん仕事の都合で一時帰国して東京にいるはずなんだよ」
コウは駅の隅にある緑色の公衆電話を見つけると、残った小銭を投入し、記憶している母親の携帯番号を素早くプッシュした。
数回のコール音の後。
『はい、もしもし?』
「あ、母さん!? 俺、コウだけど!」
受話器の向こうから聞こえた懐かしい声に、コウはホッと息を吐き出した。
『コウ!? ちょっと、昨日はどうしたの? おばあちゃんが急によく分からないことを言って電話を切っちゃったから、心配してたのよ。それに今の番号、公衆電話じゃない。あなた今どこに……』
「色々と訳あってさ、今、東京駅にいるんだ」
『ええっ!? 東京!? 村を出ちゃダメっておばあちゃんに言われてるって……』
「うん、まあ、ちょっと家出っていうか。……それより母さん、今どこに泊まってるの? 俺、今日寝る場所なくて」
コウが単刀直入に切り出すと、電話越しの母親は大きなため息をついた。
『……まったく、相変わらず無茶苦茶ね、あんたは。私は今、会社が手配してくれたウィークリーマンションにいるわよ』
「マジ!? よかった……! なあ母さん、今からそっち行っていい? 実は……友達も一緒なんだけど」
『友達?……はぁ、わかったわ。外は寒いでしょうし、とにかく早く来なさい。詳しい住所を教えるから』
ガチャ、と受話器を置いたコウは、振り返って純太にピースサインを作った。
「交渉成立。すぐ近くのウィークリーマンションにいるってさ。2人で泊めてもらえることになった!」
「ほ、本当ですか……! よかった……」
純太はその場にへたり込みそうになるほど安堵の息を吐いた。
「ほら、先生。早く行こう」
コウが歩き出し、純太の手を自然に握る。
ギュッと握り返したその手は、依然として恐ろしいほど冷たかった。
コウ自身はそれを気にする素振りも見せず、久しぶりの東京の街を嬉しそうに歩き出したが、純太の胸の奥には、鋭い棘のような罪悪感と不安がチクリと刺さっていた。
(この呪いは、一体どうなってしまうんだろう……)
ネオンの光に照らされるコウの横顔を見つめながら、純太は祈るように、その冷たい手を両手で包み込んだ。
ガタン、ゴトンと単調に揺れるローカル線をいくつも乗り継ぎ、ようやく都会の路線へと入る頃には、すっかり夜が更けていた。
窓の外の景色は、重く垂れ込めた鉛色の空と雪深い山林から、瞬く間にまばゆいネオンが輝く光の海へと劇的な変化を遂げていた。
「次は、東京。東京です――」
車内アナウンスと共に、列車のドアが開く。
ホームに降り立った瞬間、二人の全身を包み込んだのは、あの村の肌を刺すような凍てつく空気ではなく、人の熱気と排気ガスが混じった、生ぬるい都会の空気だった。
「……着いた……」
改札を抜け、見上げるほど高いビル群と、眩い光を目の当たりにした純太は、呆然と立ち尽くした。
行き交う無数の人々の波。絶え間なく聞こえる車のエンジン音。
それは、純太が5年前に奪われ、永遠に失ったと諦めていた『当たり前の日常』そのものだった。
「先生、マジで生きて帰ってこれたな……っ」
隣でコウが、久しぶりの東京の空気を深く吸い込み、パッと顔を輝かせる。
純太も釣られて、たまらず頬を緩ませた。
「ええ……! 東京です、コウ君。本当に、僕たち……」
言いかけたその時だった。
――きゅるるるる。
感動的な空気を切り裂くように、コウのお腹から盛大な音が鳴り響いた。
「あ……。」
気まずさを振り払うようにコウは続ける。
「とりあえずなんか食おうぜ! てか、今日泊まる場所も探さなきゃ。俺、コートも着てこなかったから流石に外はキツいし」
「そうですね。ビジネスホテルか、最悪インターネットカフェでも……」
純太は自身の黒いコートのポケットから、薄っぺらい財布を取り出した。
そして、二人は同時に自分たちの所持金を確認し――ピタリと固まった。
「……先生、ここまでの切符代払って、今いくら残ってる?」
「……千円札が1枚と、小銭が少し」
純太は青ざめた。この5年間、村での生活しかしていなかったため、現金などほとんど持ち歩いていなかったのだ。
対するコウも家を飛び出してきたため、ポケットに突っ込んでいたなけなしの千円札と小銭を合わせても、二人の全財産はようやく三千円に届くかどうかというところだった。
「……合わせて三千円ちょっと。ネカフェすら2人分払えないじゃん……」
「ど、どうしましょうコウ君! このままじゃ、せっかく村から逃れられたのに東京のど真ん中で野垂れ死にです……っ!」
つい先ほどまでの感動はどこへやら、一気に突きつけられた極めて現実的なピンチに、純太がパニックを起こしてオロオロと周囲を見回す。
「落ち着けって、先生!」
コウは少し考えてから、ポンッと手を打った。
「そうだ! 母さんだ!」
「お母さん?」
「昨日の夕方、実家から電話がかかってきてたんだ。ばあちゃんが途中で勝手に切っちゃったけど、母さん、たぶん仕事の都合で一時帰国して東京にいるはずなんだよ」
コウは駅の隅にある緑色の公衆電話を見つけると、残った小銭を投入し、記憶している母親の携帯番号を素早くプッシュした。
数回のコール音の後。
『はい、もしもし?』
「あ、母さん!? 俺、コウだけど!」
受話器の向こうから聞こえた懐かしい声に、コウはホッと息を吐き出した。
『コウ!? ちょっと、昨日はどうしたの? おばあちゃんが急によく分からないことを言って電話を切っちゃったから、心配してたのよ。それに今の番号、公衆電話じゃない。あなた今どこに……』
「色々と訳あってさ、今、東京駅にいるんだ」
『ええっ!? 東京!? 村を出ちゃダメっておばあちゃんに言われてるって……』
「うん、まあ、ちょっと家出っていうか。……それより母さん、今どこに泊まってるの? 俺、今日寝る場所なくて」
コウが単刀直入に切り出すと、電話越しの母親は大きなため息をついた。
『……まったく、相変わらず無茶苦茶ね、あんたは。私は今、会社が手配してくれたウィークリーマンションにいるわよ』
「マジ!? よかった……! なあ母さん、今からそっち行っていい? 実は……友達も一緒なんだけど」
『友達?……はぁ、わかったわ。外は寒いでしょうし、とにかく早く来なさい。詳しい住所を教えるから』
ガチャ、と受話器を置いたコウは、振り返って純太にピースサインを作った。
「交渉成立。すぐ近くのウィークリーマンションにいるってさ。2人で泊めてもらえることになった!」
「ほ、本当ですか……! よかった……」
純太はその場にへたり込みそうになるほど安堵の息を吐いた。
「ほら、先生。早く行こう」
コウが歩き出し、純太の手を自然に握る。
ギュッと握り返したその手は、依然として恐ろしいほど冷たかった。
コウ自身はそれを気にする素振りも見せず、久しぶりの東京の街を嬉しそうに歩き出したが、純太の胸の奥には、鋭い棘のような罪悪感と不安がチクリと刺さっていた。
(この呪いは、一体どうなってしまうんだろう……)
ネオンの光に照らされるコウの横顔を見つめながら、純太は祈るように、その冷たい手を両手で包み込んだ。
