君の体温が欲しくて

翌日。コウは昨晩の宣言を、恐ろしいほどの執念で実行に移していた。

休み時間、廊下、果てはトイレの個室の前に至るまで、純太の行く先々には常にコウのギラギラとした視線があった。

「……コウ君。いくらなんでも、見張りすぎじゃないですか」
「隙あらば血をもらうって言ったろ。先生ドジだから、いつ転ぶかわかんないし」
「ドジって……」

そんな純太にとって最悪の試練が訪れたのは、4限のことだった。
家庭科の教師が急な発熱で早退し、急遽、手の空いていた純太が調理実習の代行を務めることになってしまったのだ。

家庭科室。エプロン姿の純太は、教壇の調理台の前に立ち、まな板と包丁を前にして冷や汗を流していた。
(どうしよう……。普段、お湯を沸かしてカップラーメンを作るくらいしか自炊なんてしないのに……!)

メニューは野菜炒めとリンゴの皮むき。純太は震える手でリンゴと包丁を構えた。
その斜め前の調理台からは、コウが「さあ、いつでも切れ。そして血を出せ」と言わんばかりの、獲物を狙う肉食獣のような目で純太の手元をガン見している。

(……やりづらい! やりづらすぎる!)
コウの無言のプレッシャーに耐えながら、純太はこれ以上ないほど慎重に包丁を動かした。死人のような体とはいえ、ここで怪我をしてコウに血を奪われるわけにはいかない。
しかし、不器用な純太が極度の緊張状態で刃物を扱えば、結果は火を見るより明らかだった。

「あ……」

ツルッ、とリンゴの皮が滑った瞬間、刃先が純太の左手の人差し指をかすめた。

「痛っ……」
ほんの数ミリ。だが、薄く切れた皮膚の奥から、ぷっくりと赤い血の玉が滲み出した。

(しまった、血が……!)
純太が慌てて指を隠そうとした、その時だった。

ガタッ!! とパイプ椅子が弾け飛ぶ音がしたかと思うと、猛烈な勢いで駆け寄ってきたコウが純太の手首をガシッと掴んだ。

「えっ、ちょ、コウく……んぐっ!?」

純太が制止する間もなく、コウは迷うことなく純太の血の滲んだ人差し指を、自らの口の中へと含んだ。

「……っ!!」

チュッ、と生々しい音が家庭科室に響く。
指先から伝わる、コウの口内の熱と柔らかい舌の感触。純太の頭が真っ白になる。
周囲の生徒たちが「うわ、コウ何してんねん!?」「血ぃ吸うとるやん!?」とどよめく中、コウは純太の指を解放すると、口内に広がった僅かな鉄の味を、満足げにゴクリと飲み込んだ。

「あ……、あ……」

純太はその場にへたり込みそうになった。
だが、異変はすぐに起きた。

――ドクン。

何年も止まっていたはずの心臓が、大きく跳ねたのだ。
「え……?」
ドクン、ドクン、ドクン。
氷のように冷え切っていた純太の体の芯から、カッと熱が爆発したように広がり始める。指先まで一気に血が巡り、純太の真っ白だった頬は、みるみるうちに沸騰したように真っ赤に染まっていった。

体温が、戻った。
それは紛れもなく、彼を永遠の冬に縛り付けていた『呪い』が解けた瞬間だった。

驚愕で目を見開いたまま固まる純太を見下ろし、コウは口元を手の甲で拭うと、ニヤリと悪戯っぽく笑った。

「……先生、顔真っ赤。すげー可愛い」

それだけ言い残すと、コウは呆然とする純太と騒然とするクラスメイトたちを置き去りにして、くるりと背を向け、家庭科室を出て行ってしまった。

「ま、待って……!」

純太は弾かれたように我に返った。
体温が戻ったということは。呪いが解けたということは。
――あの恐ろしい村の呪縛が、身代わりになったコウに完全に移ってしまったということだ。

「コウ君!!」

純太はエプロンをむしり取り、家庭科室を飛び出した。
冷たい廊下を足早に歩き去ろうとするコウの背中を見つけ、純太は全力で駆け寄り、その腕を後ろから強く掴んで引き止める。

「コウ君、待ちなさい! 君、自分が何を……っ!」

振り向かせようと強く握りしめた、コウの手首。

「……え?」

純太の言葉は、そこで完全に凍りついた。
ドクドクと温かい血が巡るようになった純太の掌の中。
そこに握られたコウの腕は、まるで冬の屋外に放置された石像のように、――言葉を選ばなければ死人のように、冷たくなっていたのだった。

「……コウ、君……?」

ゆっくりと振り返ったコウは、ひどく青ざめた顔で、それでも純太を安心させるように、不器用に笑ってみせた。