憧れの教育実習生に、脈がない!?

「ハァッ……ハァッ……先生……っ!」

凍てつくような寒風の中を走り抜け、コウが辿り着いたのは、純太の仮住まいである古いあばら家だった。
純太の顔を見れば、この狂気から少しでも逃れられる気がしたのだ。

「先生、いる!?」

荒い息を吐きながら玄関の引き戸を勢いよく開ける。
しかし、真っ暗な六畳間にはストーブの火もなく、誰の気配もなかった。

「……先生?」

部屋の真ん中に立ち尽くし、コウは肩で息をした。
ふと、視線を落とすと、小さなちゃぶ台の上に一冊の絵本が置かれていることに気がついた。今日、純太が小学校で読み聞かせたという絵本だろうか。

コウは無意識に手を伸ばし、暗がりの中でそのページをめくった。

薄暗い部屋の中、窓から差し込む青白い月明かりだけを頼りに、コウは震える指先でその文字をなぞった。

『贈り物を逃された神様はたいそうお怒りになり、青年に最も残酷で恐ろしい呪いをかけました。
それは――誰からも忘れ去られる呪いでした』

ページに記されたその一文を目で追った瞬間、コウの心臓がドクン、と冷たく重い音を立てた。
脳裏にフラッシュバックするのは、数日前の教室での光景だ。

『純太先生、去年の冬も実習生で来てただろ』
そう訴える自分に向けられた、クラスメイトたちのキョトンとした顔。
『コウ、お前何言うてんねん? 先生今日初めてやん』
『幻覚でも見えてんちゃう?』と笑う彼らの瞳には、一切の嘘や悪びれる様子はなかった。本当に「去年の黒島純太」に関する記憶だけが、頭の中からすっぽりと抜け落ちているような、異様な空白。

そして記憶は、一年前の冬へと遡る。
東京の大学に受かったら一番に連絡すると笑った自分に向けられた、あの酷く哀しい瞳。雪の中で優しく頭を撫でながら、純太が静かに呟いたあの一言が、耳の奥で鮮明に蘇る。

『ありがとう。でも……きっとその頃には、僕のことなんて忘れてますよ』

さらに、夕暮れの理科準備室で、純太が伏し目がちにこぼした言葉。

『世の中には、忘れてしまったほうがいいことだって、たくさんあるんですよ』
『コウ君が僕を覚えていてくれるかどうかも、賭けみたいなものでしたけどね』

コウは息を呑んだ。
あれは、単なる冗談や比喩なんかではなかったのだ。

「クラスの奴らが……純太先生のことを誰も覚えていなかったのは、偶然なんかじゃない……」

絵本を持つ手に、じわじわと嫌な汗が滲む。
この絵本に書かれている『忘れ去られる呪い』が、ただの不気味な昔話ではなく、今この村で実際に起きていることだとしたら。
そして、死体のように冷たい体と、脈のない手首を持つ純太が、その呪いを受けた『青年』そのものだとしたら――。

「……先生、あんた一体、この村で何を背負わされてるんだよ……」

コウが絵本をきつく握りしめ、ガチガチと震える歯を食いしばった、その時だった。

――ガラララッ。

背後で、古い玄関の引き戸が開く重い音がした。
容赦なく吹き込んできた冷たい風にハッとして振り返ると、土間の入り口に、肩に雪を積もらせた黒いコート姿の純太が立っていた。

「……コウ君? 上着も着ないで、どうしてこんな暗闇に……」

純太は驚いたように目を丸くし、部屋の中央で立ち尽くすコウに歩み寄ろうとした。
だが、コウの手に強く握られている一冊の絵本――今日自分が小学校で読んだ『村の伝承』の本――を見た瞬間、純太の足がピタリと止まった。

青白い月明かりの下。
震える手で絵本を掲げるコウと、その視線の意味を完全に悟ってしまった純太の間に、凍てついたような沈黙が降りた。

「……先生。この絵本に書いてある呪いって……」

コウの掠れた声が、静かな部屋に響く。
この冷たい体も、脈のない手首も、クラスメイトの空白の記憶も。すべてがひとつの線で繋がってしまったコウの真っ直ぐな瞳を前にして、純太はゆっくりと、諦めたように目を伏せた。

「……やっぱり、君は賢い子ですね」

純太は観念したように微笑んだ。