すべてを奪われた令嬢は鬼神の契約花嫁となる

 「これくらいあれば十分よね」

 琉生は広げた風呂敷の上に載せていた着物や日用品を確認して軽く頷く。

 元々、うららに奪われていたせいで私物は少なかったので荷造りもあっという間に終えた。

 巾着袋も捨てられてしまい、宝物などはもう無いので何か入れ忘れてても問題ない。

 それに荷造りを始める直前に燈夜が必要な物があれば御影家の屋敷でもすぐに揃えられるから大丈夫だとも言ってくれた。

 最高位の依り代である彼が言うのであれば安心だ。

 しかし荷物をまとめたことによって物が少なく寂しかった部屋が余計に殺風景になっている。

 風呂敷を包むと正座をしていた琉生はそれを腿の上に載せた。

 そして、すっかり空となった室内を見渡すと物思いにふける。

 母と笑い合った事も父に理不尽に叱られて泣いた事もまるで走馬灯のように頭の中に流れ込んでくる。

 騒がしかった香森家の屋敷内が燈夜の助けによって凪いだのが原因だろう。

 (まさかわたしが御影さまの婚約者になるなんて)

 この日、偶然にも燈夜と再会した琉生。

 形だけの婚約者を求めていた彼と利害が一致し契約結婚が決定したのだ。

 そして鬼神の力を借りて妹であるうららに最初の復讐を果たし、琉生の次の行き先は御影家の屋敷。

 あれやこれやがとんとん拍子に進むので目が回りそうだ。

 (御影さまはお父さまにわたしとの婚約を破棄するつもりはないとおっしゃっていたけれど、きっとあれは言葉の綾よね)

 琉生は家族に復讐を、燈夜は身を固めろと口を出してくる周囲の人間を黙らせるために契約を結ぶことを決めた。

 正直、先ほどの簪での仕返しでうららが反省したとは思えない。

 虐めていた姉が御影燈夜という高貴で眉目秀麗な男を連れてきて結婚宣言。

 普段はお高くとまっているというのに大勢の前で煽られて恥をかく。

 それに耐えられずにあの場から逃げてしまったようにも見えた。

 何より『ごめんなさい』の言葉が聞けてない。

 (わたしの復讐はまだ終わっていないわ。お互いの目的を果たして婚約破棄を言い渡されるまでにあの子に必ず謝罪をさせてみせる)

 固い決意を胸に秘め、ゆっくりと深呼吸をする。

 荷物を両手で抱えると立ち上がって燈夜が待つ玄関へと歩みを進めたのだった。

          ◆

 「お待たせいたしました、御影さま」

 考え事をしてしまった分、急いで玄関に向かうと燈夜は目を見開き、何やら驚いた顔をしている。

 冷静沈着な彼がこんな一面を見せるなんて珍しい。

 何かおかしなところがあるだろうかと心当たりを探ってみるが首を傾げることしか出来ない。

 もしかすると待たせてしまって怒らせた可能性もある。

 なるべく早く準備を済ませたと思っていたけれど相手は御影家当主。

 やはり物思いにふけてしまった時間がいけなかったのかもしれない。

 琉生は謝罪の意味を込めて深々と頭を下げる。

 頼りの綱である彼に今ここで見放されては厳しい状態になってしまうから。

 「あの、遅れてしまって申し訳ありませんでした」

 「それだけか?」

 「えっ……」

 琉生はひゅっと息を漏らし、肩をびくりと震わせた。

 一気に血の気が引いていく感覚がした。

 きっと、いや絶対に顔は青ざめている。

 心臓はばくばくと聞こえそうなほど跳ね上がって、あまりの驚愕さに声が出なかった。

 (御影さま、怒っていらっしゃる……?)

 表情から怒りは感じないけれど、それより先に不安になったのは今の言葉。

 琉生の謝罪に対し、彼の『それだけか?』という言葉から受け取る意味はただ一つしか考えられない。

 お前はそんな謝罪だけで許されると思ったのかと、彼女にはそう聞こえた。

 (この家から出られることに浮かれていたのね、わたし。婚約者になったからって対等な立場になることはないのに。相手は鬼神さまなのよ)

 相手は最高位の依り代で自分は姫巫女。

 いつでも依り代の後ろに立って敬い、お支えする立場なのだ。

 屋敷でも女学院でも耳にたこが出来るほど習ってきたはずなのに一番重要な役目を忘れてはいけない。

 この奇跡のような状況に改めて気を引き締めて肝に銘じなければ。

 板張りの床に伏せようと、膝を折り曲げたとき──。

 「荷物はそれだけか?」

 「へっ?」

 琉生は動きを止める、真抜けた声を出しながら。

 目を瞬かせ、ぽかんとしてだらしなく口を半開きにしている彼女を同じく首を傾げている燈夜。

 数秒間にわたり、辺りはシンと静まり返る。

 そして彼の言葉の真意を理解した瞬間、頬に急激に熱が集まった。

 (も、もしかして『それだけ』って仰ったのは荷物のこと……!?)

 燈夜は怒っているのではない、実家から出て行くというのに少なすぎる荷物を見て不思議に感じたのだ。

 つまり完全に琉生の勘違いである。

 あまりにも自分の阿呆さ加減に戒めるため、頬を叩きたくなった。

 まだ土下座をする前に勘違いが判明したのが何よりの救いである。

 もう少し遅ければ大恥をかいていたところだ。

 動揺で乱れていた呼吸を整えていると、燈夜がこちらの顔を覗き込んだ。

 「顔が赤いが熱でもあるのか?」

 「ひゃあっ!」

 少し動けば触れそうなほどすぐに端正な顔があって今度は大きな声を出してしまった。

 慌てて口を両手で抑えるが、すでに遅い。

 心臓はばくばくと高鳴って、全身の血は沸騰するように熱い。

 頬を染めるどころではない。

 次は林檎のように真っ赤に。

 驚いて硬直する琉生に燈夜は眉を潜めた。

 「やはり具合が悪いのではないか? そうならばそこで待たせている自動車まで俺が君を運ぼう」

 「えっ!?」

 燈夜はそう言うやいなや、琉生の肩と膝裏に手を伸ばす。

 そして軽々と持ち上げると横に抱きかかえた。

 右頬がぴたりと彼の胸元にくっついて、緊張のあまり目が眩みそうになる。

 「あの、御影さま……!わたし、どこも悪くありません!この荷物が少ないのも元々、私物がほとんど無かったからで──」

 「そうだったか。だが会ったときから感じていたが顔色も悪いし首許や手首が異常に細い。まるで病人のようだと思っていたんだ」

 燈夜は必死に事情を説明する琉生を下ろしはせず、抱きかかえたまま玄関を出て行く。

 「わたし一人で歩けますからっ。これ以上、御影さまにご迷惑をおかけするわけにはいけません」

 「森で再会したときも言っただろう。好きなだけ迷惑をかけろと。これくらい苦でも何でもない」

 「でも──」

 それでもなお、抵抗する琉生。

 正直、元気かと問われればすぐには頷けない。

 女学院を卒業してからというものの、屋敷で与えられる食事は一日に一回となった。

 それに身体の疲れに見合った睡眠もとれていない。

 あっさりと誤魔化しが見抜かれていてどきりと心拍数が上がる。

 そのとき、動揺する琉生の身体を抱きかかえる腕に力が入った。

 「こら、あまり動くと危ないぞ。落とすつもりなどないが大人しくしておけ」

 「……は、はい」

 もう燈夜の中には下ろすという選択肢はないようだ。

 そんな彼の腕の中で動いていたら確かに危険だし迷惑だろう。

 これ以上、邪魔はせずに身を任せようと静かに返事をした。

          ◆

 屋敷の外に出ると一台の自動車が止まっていた。

 その前には運転手らしき男性も立っている。

 琉生を抱きかかえている燈夜にも驚くことはなく、すぐに後部座席のドアを開いた。

 そして壊れものを扱うように座席にそっと座らせてくれる。

 「ありがとうございます……」

 頭を下げて礼を言うと燈夜はとびきり優しく微笑んだ。

 向けられるその笑顔ですら今の琉生には刺激が強すぎて、これでは心臓がいくつあっても足りない。

 そしてドアを閉めると反対側に回り、同じ後部座席へと座った。

 「出せ」

 「かしこまりました」

 燈夜の指示に運転手はエンジンをかけるとすぐに自動車を発進させた。

 窓から見る景色が次々と後方へ流れていく。

 女学院を卒業してからというものの、今朝に初めて屋敷から出たので無意識に食い入るように眺めてしまう。

 その上、自動車に乗るのは生まれてからこれで二度目だ。

 父から愛されている妹のうららは普段からよく乗っていたようだけど。

 身体に伝わる振動、瞳から入る外の世界。

 気がつけば窓に手をつけながら、その感動に浸っていた。

 「どうした、そんなに景色に夢中になって。珍しいものでもあったか?」

 「へっ? あ、いえ……!そういうわけではないのですが」

 窓の外に釘付けになっている琉生の姿が面白かったのか燈夜は喉をくっとさせて笑った。

 そこでようやく我に返り、窓につけていた手を離す。

 子供のような行動をしてしまったかもしれないと恥ずかしさでいっぱいになる。

 姿勢を正しながら彼の問いかけに首を横に振る。

 「実はわたし、自動車に乗るのはこれで二度目なのです。初めては先ほどの御影さまの自動車で。それに久しぶりにこんな遠くまで屋敷の外に出たら何だか感動してしまって」

 燈夜と出逢う今朝までは、世界の終わりのように気分が沈んでいたので、周りの景色を楽しむ余裕など無かった。

 それがこうして再び、日の当たる場所に戻ってこられたのはすべて隣に座る彼のおかげである。

 どれだけ感謝してもしきれない。

 瞳をきらきらと輝かせている琉生を見て燈夜は、その薄い唇を開いた。

 「君はもう自由だ。誰にも大切なものを奪われずに生きられる。思う存分、幸せになっていいんだよ」

 「……!」

 何故、彼は琉生が一番求めていた言葉が分かるのだろう。

 読心術でもあるのだろうかと疑ってしまうほど見抜かれている。

 仮初めの婚約者になってほしいと提案したのは燈夜の方なのに。

 その瞳にはうわべとか偽りなど感じられない。

 本当に心からそう願っているのが一目で分かる。

 その宿る真剣さに反応するように琉生の胸にある思いが芽生えた。

 (わたしなんかに務まるか分からない。でもいつか、いいえ必ずこの御方の支えになりたい)

 今まで酷い扱いをしてきた人たちへの復讐を果たし、燈夜が本当に愛する女性と出逢えるその日まで。

 仮初めの関係を解消されて、そこから先のことは分からない。

 しかし不安な気持ちより嬉しさが上回る。

 泣きたくなるほどの喜びが溢れ出して戸惑ってしまうほどに。

 涙を必死に堪えて今出来る最大の笑みを浮かべた。

 「御影さま。これはおこがましい願いだと承知しているのですが……。一つだけよろしいですか?」

 「ああ。聞かせてくれ」

 「わたし、貴方の隣に胸を張って立てるように精一杯頑張ります。だから幸せというものを教えてくださいませんか」

 「……っ」

 満開に咲いた花のような笑みを見て、燈夜の白い肌にほんのりと赤みが差す。

 突然、硬直してしまった彼に琉生は戸惑いを隠せず、狼狽える。

 「どうかされましたか、御影さま? もしかしてお嫌でしたでしょうか……。そうですよね、わたしなんかには分不相応なお願いでした」

 しゅんとして肩を落とす琉生に燈夜は珍しく慌てて首を横に振った。

 「ち、違う。ただ君があまりにも綺麗だから見蕩れて──」

 「え?」

 後半になるにつれて声の大きさが萎んでいき、ほとんど琉生の耳には届かなかった。

 すぐに聞き返すが、燈夜はふいっと顔を背けてしまった。

 具合が悪いのかと気になって覗き込もうとするが、手のひらで顔を隠してしまったので窺うことは出来なかった。

 「少し待ってくれ……」

 「は、はい」

 琉生は近づきかけた身体をすぐに戻して静かに待つ。

 そして意外と早く燈夜はこちらへと向き直った。

 先ほどの動揺はすっかり消えて、いつもの落ち着きさを取り戻している。

 代わりに、その真っ直ぐな瞳には情熱が帯びていた。

 琉生は彼の佇まいに自然と背筋が伸びて、ごくりと唾を飲み込む。

 「君のその願い、聞き入れた。幸せすぎて困ってしまうくらい大切にすると誓うよ」

 「あ、ありがとうございます……」

 『いや、偽物の婚約者にそこまでしない』と言われて断られてもおかしくないと思っていたのだが。

 ここまで真面目に応えてくれるとそれが契約だと分かっていても恥ずかしくなってしまうのは不可避である。

 (何だか求婚されたみたい……。でもわたしたちは偽りの婚約者同士。これで照れてしまったら先が思いやられるわ)

 気合いを入れるように腿の上で手のひらをぎゅっと握る。

 すると燈夜が頭の上に右手を置いた。

 ぽんぽんと優しく撫でられて、目を瞬かせながら見上げると穏やかな眼差しで射抜かれる。

 「そんなに気負わなくていい。君は君らしくいてくれたら、俺は嬉しいから」

 「……はい!ふつつか者ですがよろしくお願いします、御影さま」

 「燈夜でいい。婚約者なのに名字呼びは変だろう? 琉生」

 「た、確かに。そうですよね。……では、と、燈夜さま」

 「名前呼びにはまだしばらく時間がかかりそうだな」

 「精進します……」

 羞恥心に悶える琉生に燈夜はくすりと小さく笑うと窓の外へと視線を向ける。

 「そろそろ屋敷に着くぞ。今日からあれが琉生の家だ」

 同じく倣って見ると巨大な屋敷がその姿を現す。

 まさか、燈夜と再会してその日のうちに彼と同居するなんて思いもしなかった。

 これから始まる新しい生活に胸が高まる。

 そして心の奥には未だ消えていない未練。

 不安が無いといったら嘘になるけれど、きっと燈夜が傍にいれば、どんな困難も乗り越えていけるはず。

 ふと隣を見ると、その彼と視線がぶつかる。

 お互い言葉は交わさなかったけれど不思議と心地良い空気に包まれる。

 運命を変えたこの日。

 小さな幸せでも喜んで笑顔が絶えない日々を築いていけたら。

 二人は見つめ合って、そして花のように微笑んだ。