*side零
ノアが慌ただしく家を出ていってから。俺はノアが愛用しているエビフライ型クッションを抱きしめた。
――勢いで告ってしまった。
友達としてだけじゃなくて、恋愛的な意味で好きだと伝えるつもりが。「僕もれいちゃんのこと友達として一番大好き」という言葉の防波堤を越えられなかった。
「くっそ……このヘタレ……!」
意気地のない自分に歯噛みする。牛乳の話から好きな子の話になったとき、チャンスだと思ったのに。
好きな子の名前を言え、なんて。「そんなことあったな」なんてとぼけて見せたけれど、はっきり覚えている。
――ノアが俺のことを一番好きだって言ってくれたこと。
俺がノアに抱いている気持ちが「恋」なのだとわかったのは、その時だったから。
ノアは俺のことを「なんでもできる超かっこいい幼なじみ」だと思っているが、俺は全然そんなんじゃない。ただ、俺が5月生まれで、ノアは3月生まれ。幼い頃は月齢の違いで能力の差が大きく出る。だから俺がノアの面倒を見る機会が多かっただけだ。
小さい頃のノアは何かというとすぐ泣いて、俺にひっついていた。幼稚園だって俺が手を繋いでやらないと行けなかった。
俺もどちらかといえば内向的な性格で、幼稚園に行きたくなくて駄々をこねた。でもノアの方が俺よりも圧倒的な勢いでギャン泣きして「れぇちゃんといっしょじゃなきゃやだぁ~!」とすがりついてくるので登園せざるを得なかった。
お遊戯の時間も工作の時間も、臆病なノアは教室のすみっこでイヤイヤしていた。俺だって嫌だったけど、先生に「じゃあれいちゃんがお手本を見せてあげようね!」と言われてしぶしぶやった。そうするとノアは「れいちゃんがやるならぼくもやる」と言って、ニコニコしながら俺の真似をした。
そんなノアをうざいと思う時もあった。イラついてノアに意地悪をしたこともあった。ノアのもちもちのほっぺたはよく伸びた。それでもノアは泣きながら俺の後にくっついてくるのをやめなかった。
月齢の差なんて成長すれば大したアドバンテージではなくなる。小学生になる頃には、勉強も運動も、俺よりできる子は沢山いた。
家族の中でも俺は出来のいい方ではなかった。年の離れた姉と兄は進学校に通い、当たり前のように難関大学を受験していた。父も祖父母も医者だったから、姉と兄も医者を志していた。両親は末っ子の俺に甘くて、将来に関して何か示唆めいたことを言われることは一切なかった。
家族に愛されていないわけじゃない。可愛がられている。でも期待はされていない。俺も俺で、自分に大それたことができるなんて思ってなかった。
別にいいじゃん。普通で。ノアだって幼稚園の時みたいに、俺にべったりじゃない。俺が引っ張ってやる必要なんかない。俺は何にも特別じゃない。自分のことをそんな風に思っていた。
――でも、あの日。牛乳を飲めなくて居残りを命じられたノアに付き合わされた時。
「好きな子の名前を言え」と意地悪を企てたのは、みんなが退屈そうにしていたからだ。ちょっとした刺激にもなるし、ノアの居残りが終われば帰れるし。ただの悪ふざけ。だから、まさかノアの口から俺の名前が飛び出るとは思っていなかった。
俺が笑っても、健ちゃんにからかわれても、女子にキャーキャー言われても、ノアは大真面目だった。
「だってれいちゃんはかっこいいから。なんでもできる、超かっこいい、僕のヒーローなんだよ。僕はれいちゃんのことがいちばん大好き」
きらきらした目で。なにも疑わずに。まっすぐに俺を見るノア。誰にも期待されなくても、俺自身が俺のことを諦めても、ノアだけは俺がすごい奴だと信じて疑わない。
その日、俺はなかなか寝付けなかった。
ノアはバカだと思う。俺なんか、全然特別じゃないのに。幼稚園の頃の出来事を引きずって、いまだに俺を慕っている。
いつかノアだって気づくはず。顔立ちは多少整っているとしても、それだけ。中身は平凡。性格だって臆病な方。ノアがそのことに気づいたら、俺はノアの一番じゃなくなる。その日が来ると思うと息が詰まる。ノアが俺のことじゃなくて、他の誰かのことを「いちばん大好き」だと思う日が来るかもしれないと思うと、たまらなく嫌だった。
――これって、つまり。
ずっと抱いていた、ノアへの想い。ひとつひとつの欠片がパズルのピースみたいにぱちぱちとはまっていって、ひとつの大きな絵になる。ノアの「いちばん大好き」は、その最後のピース。
――俺は、ノアのことが、好きなんだ。
ノアの「いちばん大好き」の座は誰にも譲れない。
だから俺は誓った。本当に、なってやる。ノアの言う「なんでもできる超かっこいいヒーロー」に。
それから俺は私立中学の受験を目指して猛勉強を始めた。ノアと同じ公立に行くことも考えたけど、姉も兄も私立に通っていた。そんな二人をノアもすごいと言っていた。だったら俺も私立に行く。
俺の不出来さを知っている両親は「零はそんなに無理しなくてもいいんじゃない?」となだめにかかったが、そのうち俺の熱意に負けて塾通いを認めてくれた。
勉強だけではなく習い事にも手を抜かなかった。本当は毎日時間が足りなくてギリギリしてたくせに、ノアには絶対にそんな一面は見せなかった。少し大げさだけれど、かっこつけるために命懸けだった。
そうして念願叶って中学受験に成功して。ノアは「れいちゃんはやっぱりすごいね」と、きらきらした眼差しを俺に向けて。それだけで、その笑顔を見られただけで、全部の努力が報われた気がした。
それからも相変わらず、俺はノアの前でかっこつけを続けている。
ノアが慌ただしく家を出ていってから。俺はノアが愛用しているエビフライ型クッションを抱きしめた。
――勢いで告ってしまった。
友達としてだけじゃなくて、恋愛的な意味で好きだと伝えるつもりが。「僕もれいちゃんのこと友達として一番大好き」という言葉の防波堤を越えられなかった。
「くっそ……このヘタレ……!」
意気地のない自分に歯噛みする。牛乳の話から好きな子の話になったとき、チャンスだと思ったのに。
好きな子の名前を言え、なんて。「そんなことあったな」なんてとぼけて見せたけれど、はっきり覚えている。
――ノアが俺のことを一番好きだって言ってくれたこと。
俺がノアに抱いている気持ちが「恋」なのだとわかったのは、その時だったから。
ノアは俺のことを「なんでもできる超かっこいい幼なじみ」だと思っているが、俺は全然そんなんじゃない。ただ、俺が5月生まれで、ノアは3月生まれ。幼い頃は月齢の違いで能力の差が大きく出る。だから俺がノアの面倒を見る機会が多かっただけだ。
小さい頃のノアは何かというとすぐ泣いて、俺にひっついていた。幼稚園だって俺が手を繋いでやらないと行けなかった。
俺もどちらかといえば内向的な性格で、幼稚園に行きたくなくて駄々をこねた。でもノアの方が俺よりも圧倒的な勢いでギャン泣きして「れぇちゃんといっしょじゃなきゃやだぁ~!」とすがりついてくるので登園せざるを得なかった。
お遊戯の時間も工作の時間も、臆病なノアは教室のすみっこでイヤイヤしていた。俺だって嫌だったけど、先生に「じゃあれいちゃんがお手本を見せてあげようね!」と言われてしぶしぶやった。そうするとノアは「れいちゃんがやるならぼくもやる」と言って、ニコニコしながら俺の真似をした。
そんなノアをうざいと思う時もあった。イラついてノアに意地悪をしたこともあった。ノアのもちもちのほっぺたはよく伸びた。それでもノアは泣きながら俺の後にくっついてくるのをやめなかった。
月齢の差なんて成長すれば大したアドバンテージではなくなる。小学生になる頃には、勉強も運動も、俺よりできる子は沢山いた。
家族の中でも俺は出来のいい方ではなかった。年の離れた姉と兄は進学校に通い、当たり前のように難関大学を受験していた。父も祖父母も医者だったから、姉と兄も医者を志していた。両親は末っ子の俺に甘くて、将来に関して何か示唆めいたことを言われることは一切なかった。
家族に愛されていないわけじゃない。可愛がられている。でも期待はされていない。俺も俺で、自分に大それたことができるなんて思ってなかった。
別にいいじゃん。普通で。ノアだって幼稚園の時みたいに、俺にべったりじゃない。俺が引っ張ってやる必要なんかない。俺は何にも特別じゃない。自分のことをそんな風に思っていた。
――でも、あの日。牛乳を飲めなくて居残りを命じられたノアに付き合わされた時。
「好きな子の名前を言え」と意地悪を企てたのは、みんなが退屈そうにしていたからだ。ちょっとした刺激にもなるし、ノアの居残りが終われば帰れるし。ただの悪ふざけ。だから、まさかノアの口から俺の名前が飛び出るとは思っていなかった。
俺が笑っても、健ちゃんにからかわれても、女子にキャーキャー言われても、ノアは大真面目だった。
「だってれいちゃんはかっこいいから。なんでもできる、超かっこいい、僕のヒーローなんだよ。僕はれいちゃんのことがいちばん大好き」
きらきらした目で。なにも疑わずに。まっすぐに俺を見るノア。誰にも期待されなくても、俺自身が俺のことを諦めても、ノアだけは俺がすごい奴だと信じて疑わない。
その日、俺はなかなか寝付けなかった。
ノアはバカだと思う。俺なんか、全然特別じゃないのに。幼稚園の頃の出来事を引きずって、いまだに俺を慕っている。
いつかノアだって気づくはず。顔立ちは多少整っているとしても、それだけ。中身は平凡。性格だって臆病な方。ノアがそのことに気づいたら、俺はノアの一番じゃなくなる。その日が来ると思うと息が詰まる。ノアが俺のことじゃなくて、他の誰かのことを「いちばん大好き」だと思う日が来るかもしれないと思うと、たまらなく嫌だった。
――これって、つまり。
ずっと抱いていた、ノアへの想い。ひとつひとつの欠片がパズルのピースみたいにぱちぱちとはまっていって、ひとつの大きな絵になる。ノアの「いちばん大好き」は、その最後のピース。
――俺は、ノアのことが、好きなんだ。
ノアの「いちばん大好き」の座は誰にも譲れない。
だから俺は誓った。本当に、なってやる。ノアの言う「なんでもできる超かっこいいヒーロー」に。
それから俺は私立中学の受験を目指して猛勉強を始めた。ノアと同じ公立に行くことも考えたけど、姉も兄も私立に通っていた。そんな二人をノアもすごいと言っていた。だったら俺も私立に行く。
俺の不出来さを知っている両親は「零はそんなに無理しなくてもいいんじゃない?」となだめにかかったが、そのうち俺の熱意に負けて塾通いを認めてくれた。
勉強だけではなく習い事にも手を抜かなかった。本当は毎日時間が足りなくてギリギリしてたくせに、ノアには絶対にそんな一面は見せなかった。少し大げさだけれど、かっこつけるために命懸けだった。
そうして念願叶って中学受験に成功して。ノアは「れいちゃんはやっぱりすごいね」と、きらきらした眼差しを俺に向けて。それだけで、その笑顔を見られただけで、全部の努力が報われた気がした。
それからも相変わらず、俺はノアの前でかっこつけを続けている。
