オクシモロンの恋

もう、何日もミコトと顔を合わせていない…。先日のTV番組の事とか、正宗や優星と話した事とか、ミコトとも会って話して盛り上がりたかったな。
スマホを見てもミコトへ送ったメッセージは未読のままだった。
(あいつ、ちゃんと休んでるんだろうか…)
ベッドに潜り寝る時間になってもそんな事ばかりが頭の中を巡る。いつの間にか眠っていたようだ。夜中に微かな白檀の香りを感じ、目が覚めると、ベッドの縁に気配を感じる。
帰宅後、ジャケットも帽子も脱がずに、ミコトは俺のベッドに上半身を横臥して預け、倒れるように爆睡している。ミコトの髪が俺の鼻先をくすぐる。
起こさないように慎重に帽子を取り、そっと前髪を漉いてやった。寝室の暗闇の中では、いつもの銀髪ではなく黒髪のように見える。
何の気なしにミコトの脇に放置されていた鞄を見てみると、中から茶色い不審な紙袋が漏れ出していることに気付いた。そっと手を伸ばし取りあげてみる。中には小分けされた薬らしき錠剤が入っていた。
俺は飛び起き、中身をよく確認しようとする。
「それ飲んだらさ、何日起きてても平気なんだ」
俺は驚いてミコトを見る。いつの間にか目を覚まし俺の方を見ていた。
「お前…、これ…」
目を擦りながら起き上がるミコトの目の下は隈で悲惨な事になっていた。
「ミコト、その目…」
ミコトの顔に手をやる。
「大丈夫。メイクでカバーすれば全部隠せるから」
「そう言う問題じゃないだろ!」
上條さんは何をやってるんだ!ミコトはこんなにもボロボロじゃないか。俺たちが身体を壊すような事はさせないって約束したのに!
そう思った矢先にミコトは紙袋に手を伸ばし、薬を口に含む。
「おい!」
俺は慌てて止めようとしたが、その前にミコトは飲み込んでしまった。
「ふふ、慌ててどうしたの?大丈夫だよ、ただの海外の薬だよ。確か漢方だって。先輩に教えてもらったんだ…。今、ボクが頑張らないと。田中山を見返せない。上條さんもここが踏ん張りどころだって。仁志が暴力を振るうのだって、ボクに嫉妬しているからだよ。せっかく掴んだ映画の主演だ…絶対に負けられない…」
知らない名前がどんどん出てくる。オーディションの関係者か?暴力?
「なに、暴力振るわれてるのか?」
ミコトは俺に抱きつき、一緒にベッドに倒れ込んだ。
「…蒼が、ボクのダンスがカッコいいって。日本一のアイドルに絶対なるって言ってくれたから、頑張れるんだよ」
そんな事、言っただろうか。
「もう、静かにして…。一緒に眠ろう」
そう囁かれると俺は抗えず、ミコトが安らかな寝息を立てるのを見守るしか出来なかった。

翌朝、ミコトの姿はそこにはなかった。




9月某日。その日はTV用の音楽番組の収録日だった。TV局のスタジオにセットが組まれ、デビュー曲を披露した後は、個々のメンバーがインタビュー形式でトークも収録する流れだ。トークコーナーでは出番はないが、歌の収録ではバックダンサーとして槇達4人のサブメンバーも控えており、踊りを披露する予定だ。
ライブステージとはまた違った、煌びやかなセットが組まれ、その壁にはプロジェクションマッピングのように、俺たちのグループ名〝4TuneLeaf〟の文字が動きながら映し出されている。
また、一枚ごとにメンバーカラーの赤青白黒のハートが寄り添い、四つ葉のクローバーを模したロゴも一緒に踊っている。その四つ葉のロゴは、俺たちの今日の衣装の胸元にも刺繍されていた。
リハーサルを終え、間もなく本番が始まろうかと言う時間になっても、まだミコトが姿を現さない。いくら多忙とはいえ、流石におかしい。あの薬のことも気になる。
俺はそわそわして、正宗に声をかける。
「さすがに、遅いよな。上條さんに電話したほうがいいのかな?」
「どうかしたか?」
正宗に続きを話そうとしたその時、現場が急に慌ただしくなる。スタッフさん達の話し声が聞こえてきた。
「…え、それ不味いんじゃ…」
「…香神さん…、心臓発作で…」
「…もう本番だぞ…」
そして決定的な言葉が飛び込んできた。
「え、死んだ?」

俺は途端に目の前が真っ暗になる。ミコトが飲んでいた薬のことが真っ先に頭に浮かんだ。
×××が、薬の多量摂取で亡くなった。事務所は病死と発表して、代わりに研修生達を集めてメンバーを再構成するはずだ。
「…俺、俺どうしよう…」
手が震え出す。死んだ?ミコトが、死んだ…???あの薬が原因か?やっぱりあんなもの、飲んじゃいけなかったんだ、何で俺はもっと強く止めなかったのか!ミコトが、ミコトが死んだ??
思考は空転し取り止めなくいろんな感情と共に脳の中をぐちゃぐちゃに掻き乱す。。
「おい、蒼、だ、大丈夫か?」
真っ青な顔の俺を正宗が心配してくる。
「ミコトが、ミコトが死んだって。薬、俺、知ってたのに、止められなかった…そのせいだ…!」
どうしよう、どうしよう。まだ嘘だとあってほしいと言う気持ちと不安で、うまく説明できない。
「あのさ」
優星が心配そうに顔を覗き込んでくる
「蒼、一体誰の話をしているの」
は?何を言われたのか認識できない。
正宗は少し咎めるような視線を優星に向けたが、構わず優星は続けた。
「蒼ってたまにもう一人の誰かと話してる時あるよね、オレ達しかいない時にさ」
正宗も観念したかのように続けた。
「考えをまとめたり整理したりする時の癖かなって思ってたんだが…もしかして、他に誰か見えてるのか?」
「な、何を言って…ミコトだよ。俺たちの四人目のメンバー…オーディションでもライブでも、あんなに助け合ってきたじゃ無いか!ほら、デビューライブの時、俺のマイクがぶっ壊れて歌えなくなった時、ミコトがマイクを差し出してくれて、なんとかなった…。ネットニュースでも話題になったじゃないか」
二人は心底戸惑った顔を見せる。
「…あれは、マイクトラブルあったけど、蒼はそのままアカペラで歌い続けて…。ステージ脇のサブマイクが声を拾って、中断せずに済んだんだろ。でも普通、あんなに距離が離れているサブマイクまで声が通るなんて、すごい声量だって話題になったんだよ。蒼の話題でしょ」
頭が混乱する。そんな訳がない。ミコトが、存在しない???????
俺は慌てて衣装の胸の刺繍を見る。俺たち四人のメンバーを象徴する四葉のクローバー…だったはずが、トランプのクラブのような三つ葉のマークに変わっている。認識が追いつかない。慌てて周囲を見回す。俺たちのグループ名がスタジオのセットの壁に投影されている。4TuneLeaf…4の字が消えており、代わりに〝ForTuneLeaf〟の文字に変わっている。
頭が混乱している。何か言葉を紡ごうと二人を見遣るが、何も出てこない。
「本番始めまーす」
スタッフさんから声がかかる。戸惑いを隠せないまま、正宗と優星は俺から離れて定位置に付く。俺はよろよろと自分の定位置のバミりの前に立った。少し離れた後ろに槇達がスタンバイした。
「本番、5秒前…4…3…」

その時、ガゴっという大きな音が響く。地震が起きたのかと思ったと同時に意識はブラックアウトした。
俺の頭に、落下してきた照明器具が直撃していた。





『そっちじゃないよ、蒼』
黄泉の入口で、ミコトが俺を呼んでいる。やっぱり、あれは幻なんかじゃなかったんだ。ミコトは実在したんだ!
俺は無性に嬉しくなって、ひたすらミコトの名前を呼び続けた。相変わらずそこは五里霧中だった。
「ミコト!どこだよ、霧で全然見えないんだ!」
あてもなく声の主を懸命に探す。暫く右往左往していると、霧の向こうに人影のようなものが近づいてきた。
『…ここだよ』
「え?ミコト…?」
その人影はゆっくりと徐々にこちらへ近づいてくる。
『…心配しないで。蒼には僕がついてる…』
段々と距離が詰まってきて、俄にその人影の表情が見えてきた。
『…しんぱ、心配しない、でっ…。蒼…そウ、にゎ、ボク…ぼくが…、ついて、憑い、…てる……!』
目の前に現れた彼は、ミコト………の顔をした、黒髪の青年だった。
「まお…にいちゃん?」
俺は怒涛のように蘇る記憶に戸惑う。いつから忘れてしまっていたんだろう。

香川真音《かがわまおと》ーーーーーーーー

彼は、俺が13歳の入所オーディションの時に課題のダンスを教えてくれた人だった。入所してからもいろいろ優しくしてくれて、俺はこの人が大好きだったのを思い出した。

『ヤッと…、やっと気付イてくれタ…。ふふ…。ずっと、蒼のコトだけ、ボクが見守っていたノニ…』
(違う…)
俺は咄嗟にそう思った。顔形はミコトと瓜二つだったが、ずっと一緒に過ごしてきた、あの柔らかな存在とは全然違う。
『ズっと、蒼のこと、応援してタノはボクなのに……、酷いじゃないか……』
真音の様子がおかしい。
『ミコトにお願いして、蒼ヲ守ってくれるヨウに願ったノニ…ボクヲサシオイテ、ボクガナルハズダッタ、あいどる、ヲ、横取リシタ…!!』
真音の手が黒々と巨大化して、俺の上半身を掴み締め上げる。
「…く、苦しい」
真音の顔が近づき、俺の顔を覗き込む。赤黒く充血した目で睨めつけてくる。
『オマエヲトリコンデ、ボクガカワリニナッテヤル。ネンガンノあいどる…』
美しい顔が崩れ、不気味な牙を露わにしたあぎとが徐々に迫ってくる。生温かい息が俺の頬にかかるほど近づいてくる。逃げようともがくが、身体は完全に動かない。
その時、真音の肩口から強烈な光が発したと思ったら、俺は急に束縛を解かれ尻もちをつく。真音がその場から飛び退いた。
『ダメだよ、真音。蒼は大事なファン第一号なんでしょ。それも忘れちゃったの?』
そこには正真正銘のミコトが佇んでいた。
俺は咳き込みながら立ちあがろうとしたが、身体はまだゆうことをきかない。
『蒼、戻るんだ。君はここにいちゃいけない』
倒れ込んだ俺を背中に庇うように、ミコトは真音の前に対峙する。
『ドウシテ…』
真音はゆっくりと立ち上がり、また俺たちの方へにじり寄ってきている。
『蒼が事務所のオーディションを受けにきた時、真音のダンスを見た蒼がすごくキラキラした目で〝凄い!〟〝カッコいい!〟って言ってくれて、自分がファン第一号になるって言ってくれて。ずっと自信がなかった自分に勇気をくれたんだって。だから、どうかどうか、蒼をあらゆる障害から守ってください、力を貸してくださいって、僕に祈ったんじゃないか。…死の間際に』
『ドウシテ、ドウシテドウシテ…』
真音が、願って?ミコトがそれを叶えた?それって…そんなことができるのは…。
何が起こっているのか頭で整理がつかない。俺は動向を見守ることしかできない。
『真音は辛くて苦しい時に、あのレッスンスタジオの鏡の内側のボクに泣きながら祈ってくれた。やっと掴んだデビューの報告もしてくれた。それからも何度もボクに強い祈りを捧げてくれた。だから、ボクは君達に干渉できるほど力を持つことができたんだ』
レッスンスタジオの鏡の内側の祠、俺達の前のデビューメンバーの一人が病死で急逝した事、ミコトと重なった薬物中毒になった真音の残像、レッスンスタジオで他のメンバーから暴力を受けていた真音の記憶…まるで真音の経験してきた事が映像のように連なって俺の頭の中を流れて行く。
『ドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテ、ボクノトキニ、モット、マモッテクレナカッタンダ』
真音の手がミコトの首にかかる。体中から這い出てきた無数の触手がミコトの身体の至る所につきささっていく。
『ボクノ顔デ、ボクニナリスマシ、蒼ニ近ヅイテ、ボクカラ蒼ヲ取リ上ゲタ…!蒼ハ、ボクノ、カワイイカワイイ…カワイイ、憎イ、ボクカラ、全部奪イヤガッテ…!蒼、憎イィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!』
『ああ、もう君は別のものになり変わってしまたんだね…』
ミコトは本当に悲しそうに真音を抱き寄せる。
『大丈夫だから。もう大丈夫。一緒に行こう』
そう言うとミコトは目を瞑り、優しく真音の頭を撫でる。徐々にミコトの全身が、墨汁に汚染される水のように黒く染まって行く。同時に真音はだんだん力が抜けて行くように身体をミコトに預け、ギギギギと軋むような音を発しながら縮んでいく。薄まった影が最後には完全にミコトと同化し、ミコトだったものは黒い人型の物体に成り果てた。
『蒼、ありがとう。楽しかったよ』
その黒い物体は内側で雷でも内包しているかのようにバチバチと音をさせながら発光を何度か繰り返し、テニスボールほどの大きさまで収縮し、最後に沈黙した。
「ミコト…?」
呼びかけるものの、反応はない。今や漆黒の塊は無機質に転がっている。
俺はあまりの事に呆然自失となる。何をどうすればいいのかわからない。ミコトの前に跪き、項垂れる。
「…ミコト?」
絞り出すように、何とか声を発したがなんの意味も成さず空間に溶けて消える。堪えようのない喪失感に押しつぶされ、俺も消えてしまいそうな錯覚に陥る。
ミコト、俺はミコトがいたからここまで突き進めた。大事な仲間とも巡り会えた。全部が全部、自分一人では手に入れられなかったし、耐えられなかった。一人だったらまおにいちゃんと同じ運命を辿っていたかもしれない。
「まお、にいちゃん…、ミ…コト…」
二人への想いが溢れ出し、涙となってとめどなく流れ出す。どうか、どうか、ミコトと真音が安寧でいられますように。せめて、もう永遠に会えないのだとしたら。

力なく泣き続ける俺の耳に、遠くから笛や琴の音が微かに届く。未だ晴れぬ靄の遥か遠くから音楽が流れてきて、徐々に近づいてくる。やがて俺たちの前に光の群衆が辿り着いた。
眩しくてはっきりと見えないが、その先頭には天女の様な巨大な存在が感じられた。その天女は、ミコトだった黒い塊を両手で掬い上げると、優しく数回撫でるような仕草をした。すると漆黒だった無機質なミコトは、徐々に透明なスライムの様に変わっっていき、虹色に揺蕩いだした。完全に浄化されたのだとわかった。
「そいつが…ミコトが俺のこと、ずっと守ってくれてたんですよね」
俺が問いかけると、それに答える様にその巨大存在は口を開いたが、それは人の言葉にはならず、ポロンポロンシャラン…と美しい楽器の音色となって俺の耳に届いた。
それでも俺にはなんと答えてくれたのかわかった気がした。
「お礼を言うのはこちらの方です。ミコト、ありがとうな…」
またポロンポロンと音色が流れてくる。
「本当ですか?ミコト、また元気になれるんだな。よかった…」
俺は安堵してまた涙が出た。
「また、ミコトに会えますか?」
その質問には答えが返ってくることはなかったが、俺は確信していた。さっきまでの喪失感は完全に消えて、暖かな感情が胸の内を満たしている。それが答えだった。

芸能の神様ーーーーーーアメノウズメノミコト。ミコトは、その神様のカケラだった。

祠は、いわゆる神社の出張所だという。遠く離れた本殿から俺たちのレッスンスタジオに訪れ、俺たちを見守ってくれていたのだ。ずっと孤独に。鏡の内側でひっそりと。