オクシモロンの恋

デビュー前倒しという急展開の告知がなされた翌日。今日は久々に俺たちは午前中に自由時間をもらっていた。14時から早速ダンスレッスンがみっちり予定されてはいたが。
俺は疲れが溜まっていたのか、まだベッドの上で微睡みの中にいた。その時、
「オッシャッセーイ!!!」
(なんて?)
元気な声が玄関の方から響いてきた。流石に目が覚めて、俺は玄関に向かう。玄関先には、騒々しい訪問者を出迎えるミコトと正宗がいた。そこには、槇のグループの1人、西園寺がスーツケースを引きずって立っていた。
「あ、事務所いち、ダンスがうまい人だ」
俺の言葉に西園寺の頬はみるみる紅潮し、満面の笑みになる。かわいいじゃないか。嘘が吐けない性格が丸わかりだった。
「おはようございます!西園寺優星《さいおんじゆうせい》です!今日からお世話になります!もっちゃんには許可取ってます!」
もっちゃんとは、山本さんのことだろう。
「なんで?お前、自分とこの部屋はどうした?」
腕組みして、壁に身体を預けたまま、不機嫌に正宗が詰問する。
優星はぷりぷりと怒り出した。
「おれ、もうあいつらの面倒見きれない!みんなだらしなくて、ほんとヤダ!おれの一番下の4歳の妹の方がもっとしっかりしてるよ。佐伯は俺の歯磨き粉勝手に使うし、堤は俺のプリン勝手に食うし、槇は俺のパンツ勝手に履くんだぜ、自分の、洗濯乾いてないからって!信じられない!」
まさかの槇の意外な悪癖に面食らってしまった。
「それは…辛いなぁ」
「ここだったら一部屋余ってるし、いいっしょ?おれ、自炊とか得意だから役に立つよ!」
「よし入れ」
正宗のあからさまな掌返しにミコトが爆笑する。まあ、確かに夜はケータリングが出るとはいえ、朝と昼は自分たちで食事を調達しなければならない。みんなで食費を折半して自炊できればかなりの節約になる。
「なんならダンスも教えてあげてもいいよ!事務所一、うまいから、おれ!」
「お前、生意気だな!」
優星は高校2年生になったばかりだという。学校はオンライン授業も導入しており、隙間時間で録画した授業を受けられるそうだ。優星は4人きょうだいの長男で、下は3人とも妹。元々妹たちの面倒がみれるようオンライン授業のできる学校を選んだそうだ。
今回の話が持ち上がった時に、自分が家を空ける事に抵抗があったが、中学生の長女が妹たちの世話役に立候補して兄の背中を押してくれたとのことだった。涙ぐましい家族愛に、目頭が熱くなる。俺の家は放任主義の一人っ子だった。
優星は、何としてもデビューして、稼いで稼いで稼ぎまくって、1人親を楽にさせてやるんだと話してくれた。
「賑やかになりそうだね」
ミコトは嬉しそうに話す。
「そうだな」
アイドルに必要なのはこういう〝光〟なのだろう。
「ところで、オッシャッセーイってどういう意味だ?」



突然の引越し作業で一通りの片付けを完了し、昼飯をみんなで済ませた俺たちは、今日のダンスレッスンのために地下のレッスンスタジオに降りていく。道すがら優星があの奇妙奇天烈な掛け声について解説してくれた。
「だからあれは『おはようございます』と『お邪魔します』と『よろしくおねがいします』をまとめて言ったらああなったの」
「いや、混ぜるな混ぜるな」
エレベーターから降りて、レッスンスタジオの扉を開ける。中には既に数人の研修生たちがたむろしている。
「おはようございます」
ミコトが先頭で挨拶をして入って行く。が、返事がない。
(ん?)
俺は違和感を覚えつつ、続けて大きめの声で挨拶して入室する。
「おはよーございます!」
正宗も優星も続いて挨拶する。すると、「…ーっす」「おはよーさん」「おはよーございます」と次々に返事が返ってきた。
俺はミコトの方を見た。
「ダンス、いよいよだね。緊張する〜」
本人は意に解した風もなく至って平静だったので、俺の気のせいかと思いつつ、そうだなと返事した。

続いて、槇たちのグループが入室してきた。
「どーだぁ?新居の居心地は?」
挨拶がてら、槇が優星の頭をくしゃくしゃする。
「まだ半日しか経ってないじゃん!」
槇の腕を押し返しながら、優星はドヤドヤと槇たちのグループに合流していく。
(よかった。共同生活はうまくいかなかったみたいだけど、グループ内にシコリはなさそうだ)
俺はホッとした。俺たちは別に苦でもないが、わざわざ部屋を分けるなんて、西園寺のグループ内に軋轢が生じかねないのではないかと少し心配になっていた。仮とはいえ、メンバーが仲良がいいに越した事はない。
(いかんいかん、一応ライバルだぞ)
でも、と俺は思う。優星にも、槇たちにも脱落して欲しくはない。無理な事とはわかっているけど…。

暫くして、ダンス講師が入ってきた。挨拶もそこそこに準備運動のあと、早速、みっちりと振り付けを叩き込まれる。
全部で4パート。足りない人数を他のグループから借りてきて、即席の4人グループを作る。4人それぞれの立ち位置も決められる。

俺は自分のパートを覚えるので精一杯だった。講師が先頭にたって踊る。鏡越しに講師の全面の動きを覗きつつ、ステップや手振りをコピーする。曲は本番用のものなのだろうか。それに合わせて踊る。身体が思うように動かない。もどかしい。
講師は多くを語らない。しかし踊りながらも、俺たちの一挙手一投足に目を光らせていて、甘い動きには檄が飛ぶ。

一通り流れが身についた頃、指名されたグループが4人ずつ前に出されて、頭からその成果をひろうさせられる事になった。動きの悪い研修生には容赦なくストップがかかり、別の研修生と入れ替わらされ、また頭から再開させることを繰り返した。
5番目…俺たちのグループが呼ばれる。
まだ全くと言っていいほど、完璧に踊れる気がしない。神妙な面持ちで立ち上がった時、ミコトが俺の肘の辺りを軽く小突いてきた。ミコトの顔を見る。余裕綽々と微笑んでいる。
なんだろう、ミコトの目元には何か特別な魔法でもかかっているのかな。柔和な微笑みは、俺の口元も綻ばせる。肩の余分な力が抜けた気がした。

定位置に着く。俺は前列の右側。左にはミコト。後列の俺の後ろの右側に正宗、そのに左側に助っ人で指名された他のグループの研修生が1人付いた。4人の位置を仮に線で結ぶと、平行四辺形になるかっこうだ。俺は軽く息を吐く。少し心拍数が早い。ドクンドクンと心音がうるさい。Tシャツ越しに俺の心拍が周りにバレているような気がした。

曲がかかった。

もう、無我夢中だ。とにかく曲に遅れないよう、覚えたての動作を再現するのに脳をフル回転させる。
俺は精一杯踊りながらも、鏡に映る自分達の動きを目で追った。正宗が目に入る。俺は目を見張った。確かにダンス慣れはしていないが、ポージングを決めるところを決めてメリハリの付いた動きは中々迫力がある。モデルのウォーキングを思わせるような動き、長い手脚がグルングルン空を切っては、唐突に静止する。カッコいい。
ターンと同時に、今度はミコトが目に入る。滑らかな動きが煽情的だ。そして気づく。
(こいつ、俺の動きに合わせている?)
俺の手の位置が本来より下がってしまった。すかさずミコトが手の振りを同じ角度に合わせてくる。上半身の振りがほんの少し出遅れると、それに合わせて半拍遅らせる。しかし大袈裟ではない絶妙なアレンジにみえた。

ダンス講師も止めずにこちらを見ている。

俺も甘えていられない…!ミコトと視線を交錯する。ミコトと正宗の2人のリズムはまさに阿吽の呼吸といえるほど息ぴったりだった。俺も2人に合わせて…身を任せるつもりで、踊り続ける。すると、不思議な感覚に見舞われた。
曲が空気に溶け込む。耳からではなく、手脚の芯から音が噴き出し、それに操られるように身体が動く。
何か目に見えないシルクのような優しい肌触りの空気の帯が俺とミコトと正宗を繋いで連動させられているような気になる。ミコトが手を上に翳すと俺の腕もつられたかのように上がった。俺がターンしたら、同じく正宗が…。全てがシンクロしていく。

「はいOK!」
パンっ!と講師が手を鳴らして止めた。

息が切れる。唐突に眩暈がした。俺は腰に手を当てて、息を整える。喉がヒリヒリする。やっぱり…ダメだったのか…?

ダンス講師は腕組みをして少し考え込んだ後、優星の方を見た。
「西園寺さん」
はい、と元気な返事をして優星が立ち上がった。
「こちらと一緒に踊ってみて」
一瞬びっくりした様子だったがすぐに火がついたようで、優星は力強くまた返事をして俺たちの方へ駆けてきた。代理で踊っていた研修生が外れ、優星はその位置につく。再び曲が流れ出した。
さすが優星、全てのパートをこなせるのか。全く身長差を感じさせない大胆な振りで、優星がさらに俺たちにシンクロする。
(まただ…!)
さっきと同じ感覚が蘇ってくる。目の奥が熱い。でも頭の奥はスッキリ澄んでいて、何もかもが鮮明に見えた。
自分の身体の一部かのように、優星の腕先が、正宗のつま先が、ミコトの首の振りが………俺たちは呼吸のタイミングまで、何もかもが一糸乱れぬ動きでシンクロしていた。最初から予定されていたかのように。
そうして、いつの間にか、俺たちは曲の最後まで踊り切っていた。




各グループのダンスが一巡し、その日の研修は終了した。ダンス講師からの総評は特にはなかったが、結果は明白だった。全体的に悲喜こもごもの様相を呈しつつ、研修生たちは解散した。
レッスンスタジオを出たのはちょうど夕飯時だった。いつもの通り、ミコトと正宗と一緒に、1階の仮事務所用の部屋へ向かう。事務所が用意したケータリングを受け取るためだ。
「あーーーーー曲が…曲が頭の中でぐるぐるしてる〜止まらん…」
エンドレスで聞くことになったダンスの曲の洪水に溺れながら、俺はぼやく。今日は夢にまで出てきそうだな。
狭いエレベーターにミコトと正宗で乗り込む。レッスンスタジオ前の蛍光灯は相変わらず不穏な暗さだった。
「今から、怖い話をする」
神妙な面持ちで正宗が一階のボタンを押しながら言った。
「なに…?」
ミコトと俺は固唾を飲んだ。
扉が閉まる。ゴウンと大袈裟な音が響き、Gが体に僅かにかかる。エレベーターが地上へ動き出す。
少しの沈黙の後、正宗は振り返って言った。
「更に歌も歌うんだぞ」
「うわああ…確かに!忘れてた…!すげ〜なアイドルって…」
チンとふざけた一階の到着音が話にオチをつけ、扉が開いた。
「あれだけ激しい振り付けで歌ったら、声ブレブレになりそう」
「腹式呼吸と肺活量のトレーニングは追加した方がいいかもね。ダンスの筋力と歌う筋力は別だから」
「肺活量か…」
「肺活量…。確かにトレーニングの追加は考えた方がいいな。体幹も鍛えたいな。オレ、筋トレメニュー考えようか?」
「マジで?正宗そんなこともできるのか?」
「ああ、ジムにも通ってるから、トレーナーさんにも相談してみる」
「頼もしい…!」
仮事務所の前まできたが、雑談に花が咲いてしまい、しばらく話し込む。
「後は声の音圧も重要だよ。最近のマイクは性能が良いからあまり心配はいらないかな。でも音圧があった方が少ない力で声のマイク乗りが断然違うから、体力の消耗も抑えられるしね」
「はえ〜!物知りだな!俺だけ勉強不足じゃん…。ボイトレも増やしてこうな」
その時、正宗が少し怪訝な顔をしてこっちを見た。
「ん?あれ、なんかおかしいこと言ったか?」
正宗はやや面食らったように俺の視線を受け止めた後、笑顔を作る。
「いや、腹減ったな」

ノックのあと扉をあけ、事務の女性に声をかけて仮事務所用の部屋に入った。
「今日は弁当、なにかな〜」
入口近くの折り畳み机の上に各部屋番号の札が貼られたばんじゅうが並んでいて、その中に人数分の弁当が入っている。自分達の部屋の札のところへ目をやった。
「あれ?」
弁当には個別にメンバーの名前がシールで貼られている。が、ミコトの名前が貼られているものが、ない。
「ミコト、今日は頼まなかったのか?」
「ううん、頼んだよ。…と、思う。ははは…頼みそびれちゃったのかな」
おいおいおい、さっきとは別人だな。ダンスや芝居の時とは打って変わって、ミコトはこういう時に遠慮してしまうきらいがあるなと思った。俺は代わりに事務の女性に確認してみたが、数に間違いはないという。
正宗が自分の弁当を取り、俺たちの方へ差し出した。
「オレの分やるよ。どうせバ先で賄い出るし」
俺はまたこちらにも驚いた。
「お前、まだバイトやってんの?」
身体持たないんじゃないのかととたんに心配になり、少し強い口調になってしまった。正宗はバツが悪そうに目を逸らした。
「ん…、オーディションが5月の予定だったから、それまでは続ける約束なんだ。今までも事務所の仕事入るたびに何度もシフト調整してもらってるから、なるべく迷惑かけないようにしたいんだ」
正宗は自分の分の弁当を俺に押しつけて、部屋を出て行った。俺たちも慌てて正宗の後に続く。自室に戻ると、早速正宗は外出の支度を始めてしまった。今から前倒ししてバイト先に向かうのだろう。
「ちゃんとこっちには迷惑かけないから。心配すんな」
それと、と言いながら正宗は玄関へ向かう。
「明日の朝、レッスン前のジョギングの時に体幹重視の筋トレメニュー増やすぞ。サボんなよ」
「ああ。気をつけてな」
なんだか急に心細い気持ちが込み上げてきた。ミコトも同じように感じているらしく、心配そうに正宗の背中を見ている。
正宗が玄関の扉を開けた、その時だった。玄関前の廊下で怒声が聞こえてきた。何事かと思い、3人で玄関の外へ出る。佐伯と優星が言い合っていた。
他の研修生達も数名、廊下に出てきて様子を伺っている。
「なんだよ、俺たちのメンバーなのに!他の奴らと気持ちよさそうに踊りやがってよぉ!」
「そんな怒鳴ることないだろ!」
佐伯が優星の胸ぐらを掴んでいた。
「おいやめろよ」
俺は駆け寄って2人の間に割って入る。昼間のダンスのことだろう。確か、佐伯たちのグループは優星含めてのダンスの時でさえ、途中で止められてしまったはずだ。
その後、優星だけ指名されて他のメンバー…俺達と最後まで踊り切った事が、佐伯は気に食わないのだろう。
「優星は先生に指名されたから最善を尽くしただけだろ。お前だって同じ立場なら、そうしたはずだ」
「うっせ!オッサンは黙ってろ!俺らの問題だ!」
佐伯は優星の腕を強く引っ張る。優星の顔が痛みに引き攣る。
「落ち着け」
正宗がゆっくりと落ち着いた声で、俺の後ろから現れた。
「こんな大事な時期に怪我したらどうする。優星も、お前も」
正宗はその高身長で、近くに立たれるだけでも結構な圧迫感がある。だがそれが脅しにならないよう、努めて落ち着いた声色で説得を試みているのだと察せられた。
周りからもそうだと俺たちを肯定したり、落ち着かせようとしたり援護の声が複数上がる。
佐伯は気圧されたのか、優星から手を離し、くそ!と悪態をついて自室へ走って帰って行った。

「大丈夫か」
俺が声をかけると、優星はうんと小さく頷いた。
俺と正宗とミコトはその場にいた研修生達に心配をかけた事を一言詫び入れし、正宗を見送った後、優星を部屋に連れ帰った。

ミコトはダイニングテーブルに優星を座らせ、何か温かいものを飲むか聞いた。俺は優星の分の弁当をレンジで温めようと取り上げた。中身のご飯やおかずが弁当箱の半分ぐらいまで圧縮されて寄り弁になっていた。
「……やっぱり、選択間違ってたのかな」
優星がつぶやく。
「別に佐伯たちの事、嫌いになったわけじゃないんだけど。あいつらとのダンスは楽しいし、歳も近いから気も合うし…。でも、おれが部屋を移ったりしたから、当てつけみたいになっちゃったかな…」
俺は温め終わった自分の分の弁当を優星の前に置いた。
「…知らねーよ。お前の事、大事にできない奴らのことなんか」
優星が俺を見る。
「決めた。俺たちのメンバーに優星をもらう。あいつらが本気で取り返しにきたって、返してやらない。後悔させてやる」
俺は眉間に皺を寄せ三白眼を作るとニヤリと笑った。
「ぶふっ…!」
ミコトが噴き出す。
「そ、蒼…!悪い顔、へ、下手すぎ…っ!」
釣られて優星も笑った。


翌日からも厳しいダンスレッスンが続いた。同時並行で早朝から起き出して、俺たち4人は正宗が考案したボイストレーニング兼体幹を鍛える筋力トレーニングメニューを取り入れたジョギングに励んだ。
あっという間に一週間が経過し、ダンスメンバーを選出するダンスオーディションがいよいよ明日に迫っていた。