最初の一週間は主に、自己PRや特技の披露を徹底的にさせられた。アイドルの看板を提げてそのまま人前にノコノコ出てきて、はい皆さん覚えてくださいとはいかないのである。
とはいえ、芸人のようにインパクトのある一発芸やネタ見せをするわけにもいかず、なかなか難しい。
1人の持ち時間は1分半。何かを語るには短く、自分の事を話すには長すぎる時間だった。
でもここで手抜かりはできない。デビューできたとして、映画という看板が話題作りになるにせよ、告知だけして回っていたのではそれはまさに客寄せパンダでしかない。自己PRは自分達をしっかりと知ってもらうための、俺たちにとって最初の一番大事な仕事だ。
初日には上條さんが直々に俺たちの自己PRの批評をしてくれた。
俺は中学の時に入っていた部活の剣道の経験を活かし、殺陣を披露した。
「で?」
上條さんが冷たく一言言った。
「殺陣を披露するだけなら、自己PRとして成立しないわ。俳優を目指すならアクションドラマや大河を意識して、この子使ってみたいと思わせるような、イメージさせるような演出もしないと。戦略がまだまだ足りない」
そして、ペンを突きつけて言う。
「あと、笑顔が作り笑いすぎてて嘘くさい。もっと自然に笑えるように特訓しなさい」
「…はい」
ギクシャクと自分の定位置に戻る。上條さんの指摘は的確だ。的確すぎて容赦ない。中には泣き出す研修生もいた。
翌日からは連日、サブマネージャーが監督しつつ外部講師を呼んで、自己PRの研鑽と同時並行でボイストレーニングやポージング、ウォーキングのいろはを詰め込まれる。他の業務にも携わっている上條さんは、それ以降もオンラインで俺たちの様子を見ているらしかった。
基礎的なレッスンは週に2時間ほど今までにも受けてはいたが、段違いに難易度の高いよりプロの仕事に近い〝出来〟を求められた。初心者向けのレッスンの時には、できない子に集中して指導に時間が割かれ、自分の番が回ってこないなんて事もあったが、今は全く逆だ。できない者はどんどん置いていかれる。
さすがモデル志望の正宗はポージングの講師に気に入られたようで、何度も指名されていた。俺はと言うと、講師に一言「おブスよ!」と声がけされ、その後は見向きもされなかった。紫のモヒカンの講師にだ。おブスの概念が迷走する。何をどう直せばおブスでなくなるのか。おブスとは、どこがどう悪いのか全くわからない。それさえも〝自分で考えろ〟と言う事なのだろう。
ミコトも異彩を放っていた。どの講師からも絶賛の声が上がる。そして傍目に見てもぐんぐんとレベルアップしていくのがわかる。俺はミコトを見本にする事にした。同じグループにこんな天才がいてくれるなんて恵まれている。見よう見まねでミコトと同じ所作を繰り返した。ミコトも俺の意図を察してか、導くように目配せしてくる。それも心強かった。
休憩中もミコトは俺に付き合ってくれた。
「背筋を伸ばして…胸を張るんじゃないんだ。体幹を意識して、重心はむしろ後ろへ…そうそう、いい感じ。肩は落として、首を伸ばして、肩甲骨の間を意識して心臓だけ前に押し出す感じ…」
ミコトに言われるまま、俺は起立したまま姿勢を修正する。ミコトの声が耳に心地い。きっと歌なんかも歌わせたら聞き入ってしまうんだろうな。
俺はもっとミコトの声を聞いていたくて、ミコトの指示と別の方向へあべこべに動いてみた。
「ちょ、今ちょっとわざとずらしたでしょ」
「いいえ、真面目にやってます」
戯れながら俺はミコトの操り人形にあまんじた。顎が上を向いてしまった。そのまま引こうとすると、ミコトがスッと自分の指先で俺の顎先を引き止める。
「顎はむしろ上がっている方がいいなぁ」
そういうと、指先でほんの少しだけ〝し〟の字を描くように指先を動かして俺の顎を誘導した。ミコトは実に満足そうに微笑んでいる。戸惑いの目をミコトに向けると、流し目をする格好になる。
俺たちを見ていた正宗が謎の拍手を送ってきた。
気がつけばいつの間にか4月に入っていた。怒涛の日々に翻弄され、カレンダーを意識する余裕もなかったようだ。1日の疲労感を抱えながら夕飯を終えた俺は思い立ってマンションの外に出てみた。
その日は久々に恵まれた陽気で、俺は気分転換に夜の目黒川を散歩した。いつの間にか桜が満開に近づく勢いで隆盛を誇っている。その桜並木は都会の光をうっすらと反射して、怪しく光りながら川沿いに続いている。
俺はその下をジョギングする事にした。
気が滅入る事なく、貰ったダメ出しを反芻し、改善点を見出していく。
(笑顔、笑顔…作り笑いしない…)
頬の筋肉を上げたり下げたり、歯茎を出したり引っ込めたり、いろんな角度で笑顔の筋肉を鍛える。しかしだんだんわからなくなってくる…。
(大体、面白くもない時に満面の笑顔とかどうすれば…セリフや感情があればまだ笑いやすいけどな…)
肩を上げ下げしたり、腰や胸を捻り逸らし、身体のパーツごとを意識して動かしてみる。指先一つ一つ、少しの角度の違いで印象が変わる。手を空にかざして動かしてみる。
(美しく見せる…正宗はシャープな体型を余す事なく活かしてたな。俺とは体型が違いすぎてそのままじゃ参考にならない。俺の見せどころってなんだ?)
思考が空転し、行き詰まってくる。まとまらない考えを一旦シャットダウンしてジョギングに集中した。
1時間ほど走っただろうか。俺はマンションに戻ってきていた。
エントランスに入り、オートロックの自動ドアが開くと桜の花びらが風に舞ってマンションの中に入ってきた。
ふと、エレベーターのボタンを押そうとした時、地下のレッスンスタジオのことが頭をよぎった。
(今、23時か…この時間なら誰も使ってないだろうし、自由に使えるかな)
下のボタンを押しかけたその時、また〝あの音〟が聞こえてきた。
地の底から響くような低い呻き声がエレベーターの空間を伝って登ってくる。足元に、靴の底一枚を隔てたその下に、呻き声の余韻が留まっているみたいだ。風もないのに、足元で桜の花びらが渦を巻いている。ランニングで汗に濡れたTシャツが氷のように冷えて背中に張り付く。その隙間を縫って嫌な汗が背中を伝う。心拍数が上がる。
そうだった。連日の研修ですっかり忘れていたが、あのレッスンスタジオにはまだ〝あれ〟が残ったままかもしれない。
俺は情けなくも固まったまま、動けないでいた。
その時、突然上の階へのボタンが押される。俺はしこたま驚き、その場を飛び退いてしまった。
「どうしたの?固まって」
ミコトだった。いつの間にか俺の後ろに立っていたようだ。なんだそうか、ミコトが後からエントランスに入ってきたから、風がマンションの中に入ってきただけか。それに俺が気づかなかっただけで。
「お、驚かすなよ!こんな時間にどこ行ってたんだよ」
「なんだよ、蒼こそ。僕はコンビニ。またアイス食べたくなっちゃって」
ビニール袋を見せてくる。
「それより、どうしちゃったのこんなところに立ち尽くして」
「………なんでもねーよ」
俺は急に恥ずかしくなって、目を逸らした。変なところを見られてしまった。
「正宗は今日もバイトかな?遅いねぇ」
他愛のない話をしながら2人でエレベーターに乗って自分達の部屋へ戻って行った。
翌朝、レッスンスタジオはものものしい雰囲気だった。
複数の衣装が掛かったハンガーラックが並べられ、山本さんをはじめ、サブマネージャーが研修生たちに指示を出している。
俺も名前が呼ばれ、ヘアメイクさんと思われる人に髪を整えられた。指定された衣装を着る。その衣装はライブ用というより、一昔前のデザインのワイシャツとズボンだった。
準備が整い、研修生たちは整列させられる。
上條さんが壮年の男性と連れ立ってレッスンスタジオに入ってきた。前方に設置している長机とパイプ椅子に着席する。
「おはようございます」
「おはようございます!」
上條さんの挨拶に研修生たちは溌剌と返事する。
特に彼に関する紹介もなく、上條さんが説明を始めた。
「今日は予定を変更して、セリフの読み合わせをします」
サブマネージャーたちがA4サイズの紙を研修生たちに配る。セリフとト書が書かれたあるワンシーンの台本だった。
上條さんと男性が小声で何か話している。どう考えても映画の監督か関係者だろう。でも、外部オーディションは5月。まだ1ヶ月以上先の予定だったはずだが…?
するとその男性は俺の方へじっと目を向ける。少し口元が綻んだように見えた。他の研修生たちもつられて一斉に俺の方を見る。しかしその視線は俺に向けられたものではなかった。俺の隣にいたのは、ミコトだった。
俺は不思議と嫌な気はしなかった。むしろ誇らしく、ミコトが〝見つかった〟事になんだかワクワクしてしまっていた。
「では、5分間読み込んでください。時間になったら指名するので前に出てお芝居を始めてください。台本は外せる人は外して、そのまま手に持って演じてもいいです。見せてほしいのはお芝居なので、集中して演じてください」
一通り読み終えたであろう頃合いに、1人ずつ研修生たちが指名され、2人1組で演技が始まる。何も評価される事なく次々と指名され、入れ替わり立ち替わり同じシーンが繰り返される。
ついに俺とミコトが呼ばれた。お互いに台本を外して前に出る。
俺とミコトの視線が交錯する。
するすると、俺の意志でもあるかのように自然と台詞が出てくる。ミコトも俺に合わせて会話をするが、台詞とは思えないくらいナチュラルだ。まるでその場に初めて生まれた会話のように話が進んでいく。台詞に合わせてミコトが行動を起こし、それに反応して俺も行動に移す。台詞が途切れた箇所でも、表情と感情のゆらめきでどんどんドラマが紡がれていく。完全に俺とミコトは登場人物と同化して物語の一部になったみたいだ。
あっという間に指定されたシーンが終わった。
その後も、別の組み合わせで同じシーンのお芝居が繰り返される。全員の読み合わせが終わり、何名かだけ組み合わせを変えてもう一度読み合わせさせられたあと、初日からの課題の自己PRを1人ずつ披露し、始まった時と同じく唐突に終わった。
壮年の男性は、みなさんお疲れ様でした。と一言声をかけた後、上條さんと連れ立ってレッスンスタジオをでていってしまった。
みんなどっと疲れて、大きくため息をついた。
「はい、みんな衣装脱いで〜。丁寧に戻してね」
着替えながら時計を見た。永遠に思えた時間だったが、3時間も経っていなかった。昼休憩を挟んだ後、また午後のレッスンが始まる。
他の研修生たちが昼飯を食べながら、先ほどの男性が誰だかという話をしている。
俺もコンビニで買ってきたオムライスを掻き込みながら、雑談を聞いていた。
「三井堂監督だったねぇ」
一緒に昼飯を食べていたミコトが言った。
「三井堂監督…って、ドラマではめちゃくちゃ有名じゃん」
「え、『ハルキタ』の?オレ全話見た」
ドラマとか疎いオレでも知ってるわと正宗が言った。
俺は他にも三井堂監督の作品の名前を次々と披露した。結構、好きな監督さんだ。俺はお芝居の勉強のために、人気作は全て目を通していたのだ。
「『夏の夜のカンパネルラ』もでしょ」
ミコトが割り込んで言ってくる。俺はそのタイトルを聞いて驚く。忘れたくても忘れられないドラマだからだ。
「え、それって俺と槇が初めて出たドラマじゃん…!」
先輩俳優のバーターではあったが、主人公の同級生役でほんの少し出演したドラマだ。俺としたことが、そのことがすっぽり抜けてるなんて…!しかも、推しの監督…!
「…でもあの様子じゃ、俺、微塵も覚えられてないっぽいな」
「過去は関係ないだろ。今の芝居を見てもらっての評価だ。オレはいいと思ったぞ、今日の蒼のお芝居」
「僕も同感」
2人に褒められて、嬉しすぎて俺は簡単に有頂天になった。俺はまだ頑張れる。叶うならミコトと正宗と一緒にデビューしたい。
「絶対、俺たちでデビュー勝ち取ろうな」
俺は調子良くバンバンと2人の肩を叩く。2人ともそれに笑顔で応えてくれた。
午後の部も慌ただしく始まった。
上條さんが入ってくるなり、6人の研修生の名前を呼んだ。呼ばれた6名は訳もわからず、そのまま山本さんと連れ立ってレッスンスタジオを出て行った。
構わず上條さんは俺たちに向かって説明を始めた。
「急だけど、諸々のスケジュールが変わりました。来週、デビュー組のオーディションを行います」
寝耳に水の話に研修生たちは驚き騒めく。ただでさえ、キツキツのスケジュールだが、これ以上どう調整されるのか?
「8月のデビューライブ用の会場が、こちらが抑える前に国際会議に合わせて使えなくなるとの情報が、昨晩入ってきました。今新しいところを探しているところだけど、どこも夏休みのイベントに合わせて既に埋まっていて今から取るのは厳しい。幾つか候補はあるけど、夏休み開始直後の7月20日辺りがギリギリです。こちらもなるべく多くの人にお披露目したいから、夏休み期間は外せないしね。概ね、デビューの日も7月に前倒しされると考えてください」
その場はシンと静まり返り、なんとも言えない空気になる。
「デビューメンバーに加え、他にも5名ほどバックダンサーとして選出する事になりました。予定を大幅に変更して、今日からは実践的な歌とダンスを集中的に特訓していきます。怪我や事故に十分注意して頑張りましょう」
と言うことは、さっきの6人はクビということか。興奮してか不安でか、研修生の1人が鼻血を出して倒れた。サブマネージャーが駆け寄る。
真綿で徐々に首を絞められつつ、急かされながら綱渡りをさせられているような感覚になる。それも華麗に優美に、俺たちは渡り切らなければならない。少しでも隙あらば綱から足を踏み外し、即座に退場させられる。
最初30人以上いた研修生たちは今や19人になっていた。
「大丈夫。あなたたちなら、絶対にやり遂げられるわ!」
上條さんは、充血した目で前を見据えて宣言する。でも俺には、それが悲痛な叫びに聞こえてならなかった。
とはいえ、芸人のようにインパクトのある一発芸やネタ見せをするわけにもいかず、なかなか難しい。
1人の持ち時間は1分半。何かを語るには短く、自分の事を話すには長すぎる時間だった。
でもここで手抜かりはできない。デビューできたとして、映画という看板が話題作りになるにせよ、告知だけして回っていたのではそれはまさに客寄せパンダでしかない。自己PRは自分達をしっかりと知ってもらうための、俺たちにとって最初の一番大事な仕事だ。
初日には上條さんが直々に俺たちの自己PRの批評をしてくれた。
俺は中学の時に入っていた部活の剣道の経験を活かし、殺陣を披露した。
「で?」
上條さんが冷たく一言言った。
「殺陣を披露するだけなら、自己PRとして成立しないわ。俳優を目指すならアクションドラマや大河を意識して、この子使ってみたいと思わせるような、イメージさせるような演出もしないと。戦略がまだまだ足りない」
そして、ペンを突きつけて言う。
「あと、笑顔が作り笑いすぎてて嘘くさい。もっと自然に笑えるように特訓しなさい」
「…はい」
ギクシャクと自分の定位置に戻る。上條さんの指摘は的確だ。的確すぎて容赦ない。中には泣き出す研修生もいた。
翌日からは連日、サブマネージャーが監督しつつ外部講師を呼んで、自己PRの研鑽と同時並行でボイストレーニングやポージング、ウォーキングのいろはを詰め込まれる。他の業務にも携わっている上條さんは、それ以降もオンラインで俺たちの様子を見ているらしかった。
基礎的なレッスンは週に2時間ほど今までにも受けてはいたが、段違いに難易度の高いよりプロの仕事に近い〝出来〟を求められた。初心者向けのレッスンの時には、できない子に集中して指導に時間が割かれ、自分の番が回ってこないなんて事もあったが、今は全く逆だ。できない者はどんどん置いていかれる。
さすがモデル志望の正宗はポージングの講師に気に入られたようで、何度も指名されていた。俺はと言うと、講師に一言「おブスよ!」と声がけされ、その後は見向きもされなかった。紫のモヒカンの講師にだ。おブスの概念が迷走する。何をどう直せばおブスでなくなるのか。おブスとは、どこがどう悪いのか全くわからない。それさえも〝自分で考えろ〟と言う事なのだろう。
ミコトも異彩を放っていた。どの講師からも絶賛の声が上がる。そして傍目に見てもぐんぐんとレベルアップしていくのがわかる。俺はミコトを見本にする事にした。同じグループにこんな天才がいてくれるなんて恵まれている。見よう見まねでミコトと同じ所作を繰り返した。ミコトも俺の意図を察してか、導くように目配せしてくる。それも心強かった。
休憩中もミコトは俺に付き合ってくれた。
「背筋を伸ばして…胸を張るんじゃないんだ。体幹を意識して、重心はむしろ後ろへ…そうそう、いい感じ。肩は落として、首を伸ばして、肩甲骨の間を意識して心臓だけ前に押し出す感じ…」
ミコトに言われるまま、俺は起立したまま姿勢を修正する。ミコトの声が耳に心地い。きっと歌なんかも歌わせたら聞き入ってしまうんだろうな。
俺はもっとミコトの声を聞いていたくて、ミコトの指示と別の方向へあべこべに動いてみた。
「ちょ、今ちょっとわざとずらしたでしょ」
「いいえ、真面目にやってます」
戯れながら俺はミコトの操り人形にあまんじた。顎が上を向いてしまった。そのまま引こうとすると、ミコトがスッと自分の指先で俺の顎先を引き止める。
「顎はむしろ上がっている方がいいなぁ」
そういうと、指先でほんの少しだけ〝し〟の字を描くように指先を動かして俺の顎を誘導した。ミコトは実に満足そうに微笑んでいる。戸惑いの目をミコトに向けると、流し目をする格好になる。
俺たちを見ていた正宗が謎の拍手を送ってきた。
気がつけばいつの間にか4月に入っていた。怒涛の日々に翻弄され、カレンダーを意識する余裕もなかったようだ。1日の疲労感を抱えながら夕飯を終えた俺は思い立ってマンションの外に出てみた。
その日は久々に恵まれた陽気で、俺は気分転換に夜の目黒川を散歩した。いつの間にか桜が満開に近づく勢いで隆盛を誇っている。その桜並木は都会の光をうっすらと反射して、怪しく光りながら川沿いに続いている。
俺はその下をジョギングする事にした。
気が滅入る事なく、貰ったダメ出しを反芻し、改善点を見出していく。
(笑顔、笑顔…作り笑いしない…)
頬の筋肉を上げたり下げたり、歯茎を出したり引っ込めたり、いろんな角度で笑顔の筋肉を鍛える。しかしだんだんわからなくなってくる…。
(大体、面白くもない時に満面の笑顔とかどうすれば…セリフや感情があればまだ笑いやすいけどな…)
肩を上げ下げしたり、腰や胸を捻り逸らし、身体のパーツごとを意識して動かしてみる。指先一つ一つ、少しの角度の違いで印象が変わる。手を空にかざして動かしてみる。
(美しく見せる…正宗はシャープな体型を余す事なく活かしてたな。俺とは体型が違いすぎてそのままじゃ参考にならない。俺の見せどころってなんだ?)
思考が空転し、行き詰まってくる。まとまらない考えを一旦シャットダウンしてジョギングに集中した。
1時間ほど走っただろうか。俺はマンションに戻ってきていた。
エントランスに入り、オートロックの自動ドアが開くと桜の花びらが風に舞ってマンションの中に入ってきた。
ふと、エレベーターのボタンを押そうとした時、地下のレッスンスタジオのことが頭をよぎった。
(今、23時か…この時間なら誰も使ってないだろうし、自由に使えるかな)
下のボタンを押しかけたその時、また〝あの音〟が聞こえてきた。
地の底から響くような低い呻き声がエレベーターの空間を伝って登ってくる。足元に、靴の底一枚を隔てたその下に、呻き声の余韻が留まっているみたいだ。風もないのに、足元で桜の花びらが渦を巻いている。ランニングで汗に濡れたTシャツが氷のように冷えて背中に張り付く。その隙間を縫って嫌な汗が背中を伝う。心拍数が上がる。
そうだった。連日の研修ですっかり忘れていたが、あのレッスンスタジオにはまだ〝あれ〟が残ったままかもしれない。
俺は情けなくも固まったまま、動けないでいた。
その時、突然上の階へのボタンが押される。俺はしこたま驚き、その場を飛び退いてしまった。
「どうしたの?固まって」
ミコトだった。いつの間にか俺の後ろに立っていたようだ。なんだそうか、ミコトが後からエントランスに入ってきたから、風がマンションの中に入ってきただけか。それに俺が気づかなかっただけで。
「お、驚かすなよ!こんな時間にどこ行ってたんだよ」
「なんだよ、蒼こそ。僕はコンビニ。またアイス食べたくなっちゃって」
ビニール袋を見せてくる。
「それより、どうしちゃったのこんなところに立ち尽くして」
「………なんでもねーよ」
俺は急に恥ずかしくなって、目を逸らした。変なところを見られてしまった。
「正宗は今日もバイトかな?遅いねぇ」
他愛のない話をしながら2人でエレベーターに乗って自分達の部屋へ戻って行った。
翌朝、レッスンスタジオはものものしい雰囲気だった。
複数の衣装が掛かったハンガーラックが並べられ、山本さんをはじめ、サブマネージャーが研修生たちに指示を出している。
俺も名前が呼ばれ、ヘアメイクさんと思われる人に髪を整えられた。指定された衣装を着る。その衣装はライブ用というより、一昔前のデザインのワイシャツとズボンだった。
準備が整い、研修生たちは整列させられる。
上條さんが壮年の男性と連れ立ってレッスンスタジオに入ってきた。前方に設置している長机とパイプ椅子に着席する。
「おはようございます」
「おはようございます!」
上條さんの挨拶に研修生たちは溌剌と返事する。
特に彼に関する紹介もなく、上條さんが説明を始めた。
「今日は予定を変更して、セリフの読み合わせをします」
サブマネージャーたちがA4サイズの紙を研修生たちに配る。セリフとト書が書かれたあるワンシーンの台本だった。
上條さんと男性が小声で何か話している。どう考えても映画の監督か関係者だろう。でも、外部オーディションは5月。まだ1ヶ月以上先の予定だったはずだが…?
するとその男性は俺の方へじっと目を向ける。少し口元が綻んだように見えた。他の研修生たちもつられて一斉に俺の方を見る。しかしその視線は俺に向けられたものではなかった。俺の隣にいたのは、ミコトだった。
俺は不思議と嫌な気はしなかった。むしろ誇らしく、ミコトが〝見つかった〟事になんだかワクワクしてしまっていた。
「では、5分間読み込んでください。時間になったら指名するので前に出てお芝居を始めてください。台本は外せる人は外して、そのまま手に持って演じてもいいです。見せてほしいのはお芝居なので、集中して演じてください」
一通り読み終えたであろう頃合いに、1人ずつ研修生たちが指名され、2人1組で演技が始まる。何も評価される事なく次々と指名され、入れ替わり立ち替わり同じシーンが繰り返される。
ついに俺とミコトが呼ばれた。お互いに台本を外して前に出る。
俺とミコトの視線が交錯する。
するすると、俺の意志でもあるかのように自然と台詞が出てくる。ミコトも俺に合わせて会話をするが、台詞とは思えないくらいナチュラルだ。まるでその場に初めて生まれた会話のように話が進んでいく。台詞に合わせてミコトが行動を起こし、それに反応して俺も行動に移す。台詞が途切れた箇所でも、表情と感情のゆらめきでどんどんドラマが紡がれていく。完全に俺とミコトは登場人物と同化して物語の一部になったみたいだ。
あっという間に指定されたシーンが終わった。
その後も、別の組み合わせで同じシーンのお芝居が繰り返される。全員の読み合わせが終わり、何名かだけ組み合わせを変えてもう一度読み合わせさせられたあと、初日からの課題の自己PRを1人ずつ披露し、始まった時と同じく唐突に終わった。
壮年の男性は、みなさんお疲れ様でした。と一言声をかけた後、上條さんと連れ立ってレッスンスタジオをでていってしまった。
みんなどっと疲れて、大きくため息をついた。
「はい、みんな衣装脱いで〜。丁寧に戻してね」
着替えながら時計を見た。永遠に思えた時間だったが、3時間も経っていなかった。昼休憩を挟んだ後、また午後のレッスンが始まる。
他の研修生たちが昼飯を食べながら、先ほどの男性が誰だかという話をしている。
俺もコンビニで買ってきたオムライスを掻き込みながら、雑談を聞いていた。
「三井堂監督だったねぇ」
一緒に昼飯を食べていたミコトが言った。
「三井堂監督…って、ドラマではめちゃくちゃ有名じゃん」
「え、『ハルキタ』の?オレ全話見た」
ドラマとか疎いオレでも知ってるわと正宗が言った。
俺は他にも三井堂監督の作品の名前を次々と披露した。結構、好きな監督さんだ。俺はお芝居の勉強のために、人気作は全て目を通していたのだ。
「『夏の夜のカンパネルラ』もでしょ」
ミコトが割り込んで言ってくる。俺はそのタイトルを聞いて驚く。忘れたくても忘れられないドラマだからだ。
「え、それって俺と槇が初めて出たドラマじゃん…!」
先輩俳優のバーターではあったが、主人公の同級生役でほんの少し出演したドラマだ。俺としたことが、そのことがすっぽり抜けてるなんて…!しかも、推しの監督…!
「…でもあの様子じゃ、俺、微塵も覚えられてないっぽいな」
「過去は関係ないだろ。今の芝居を見てもらっての評価だ。オレはいいと思ったぞ、今日の蒼のお芝居」
「僕も同感」
2人に褒められて、嬉しすぎて俺は簡単に有頂天になった。俺はまだ頑張れる。叶うならミコトと正宗と一緒にデビューしたい。
「絶対、俺たちでデビュー勝ち取ろうな」
俺は調子良くバンバンと2人の肩を叩く。2人ともそれに笑顔で応えてくれた。
午後の部も慌ただしく始まった。
上條さんが入ってくるなり、6人の研修生の名前を呼んだ。呼ばれた6名は訳もわからず、そのまま山本さんと連れ立ってレッスンスタジオを出て行った。
構わず上條さんは俺たちに向かって説明を始めた。
「急だけど、諸々のスケジュールが変わりました。来週、デビュー組のオーディションを行います」
寝耳に水の話に研修生たちは驚き騒めく。ただでさえ、キツキツのスケジュールだが、これ以上どう調整されるのか?
「8月のデビューライブ用の会場が、こちらが抑える前に国際会議に合わせて使えなくなるとの情報が、昨晩入ってきました。今新しいところを探しているところだけど、どこも夏休みのイベントに合わせて既に埋まっていて今から取るのは厳しい。幾つか候補はあるけど、夏休み開始直後の7月20日辺りがギリギリです。こちらもなるべく多くの人にお披露目したいから、夏休み期間は外せないしね。概ね、デビューの日も7月に前倒しされると考えてください」
その場はシンと静まり返り、なんとも言えない空気になる。
「デビューメンバーに加え、他にも5名ほどバックダンサーとして選出する事になりました。予定を大幅に変更して、今日からは実践的な歌とダンスを集中的に特訓していきます。怪我や事故に十分注意して頑張りましょう」
と言うことは、さっきの6人はクビということか。興奮してか不安でか、研修生の1人が鼻血を出して倒れた。サブマネージャーが駆け寄る。
真綿で徐々に首を絞められつつ、急かされながら綱渡りをさせられているような感覚になる。それも華麗に優美に、俺たちは渡り切らなければならない。少しでも隙あらば綱から足を踏み外し、即座に退場させられる。
最初30人以上いた研修生たちは今や19人になっていた。
「大丈夫。あなたたちなら、絶対にやり遂げられるわ!」
上條さんは、充血した目で前を見据えて宣言する。でも俺には、それが悲痛な叫びに聞こえてならなかった。
