なるほど。黄泉の入口ってのはこんな感じなんだ。
俺は確信していた。音楽番組の収録スタジオでの本番直前、落ちてきた照明器具を頭に受けて死んだのだと。
「こんな古典的な死に方あるかよ」
声に出してみたものの、そこはまるで録音ブースの中のように無音に包まれた空間で、発した言葉は自分の耳に届く前にか細く彼方へ消えていった。無音が耳に痛い。空気が重く体に巻き付いている。目の前は霧に包まれたように霞んでいる。一歩、足を踏み出してみた。
「そっちじゃないよ、蒼《そう》」
俺の名前を呼ぶ声の主を探して周りを見回す。自分が死んだと察した瞬間、同時に〝あいつにまた会えるかもしれない〟と予感していた。その〝あいつ〟の声だったから。
香神《かがみ》ミコトーーーーーーーーーーー数ヶ月前、俺と同じアイドルグループで一緒にデビューしたメンバー…、そして俺よりも先に薬物中毒で死んでしまった、メンバーカラー白のイメージ通りの純真で儚い男だった。
俺は今、自分が死んでしまったことよりも、またミコトに会える期待で頭がいっぱいだった。
「ミコト?…おい、ミコトだろ?どこにいんだよ…」
二歩、三歩と地団駄を踏む幼子のように行ったり来たり、心もとなく辺りを見渡すがあいつの姿は見えない。
そこはかとなく不安を感じながら、俺はミコトと共に勝ち抜いた、あの悪夢のオーディションを回想していた。
半年ほど前。
桜が漸く咲き始めたものの、まだ肌寒さの残る3月のある日、俺たち芸能事務所の研修生30名ほどが事務所からの〝緊急招集〟で中目黒のレッスンスタジオに呼び出されていた。研修生限定の説明会があるという。
本社は渋谷にあるのだが、新人オーディションやダンスレッスンなど大人数が集まる時には特定のレッスンスタジオが使われる。
とは言え、俺はこのレッスンスタジオに訪れるのは初めてだった。どうやら、事務所の古株の先輩達専用の場所らしく、ドラマの台本読みや個人練習用が主な用途だという。
目黒川の桜はまだ満開には程遠い。まばらな見物客の間を早足ですり抜け、俺は川沿いの古びたマンションに入った。
築40年は超えていそうなマンションは、2階より上は一般的な居住用の部屋が8部屋ほどあるが、勿論、現在は誰も住んでいない。事務所が買い上げ、地下をレッスンスタジオにリノベーションしていた。ぱっと見の外観は普通のマンションだった。
定員5人が限界の小さなエレベーターで地下へ降りる。ガコンと危なげな挙動で扉が開く。昼間だと言うのにやけに薄暗い廊下だった。外の平和な空気との落差に面食らう。俺は一歩足を踏み出す。ジーという蛍光灯の音が耳につく。短い廊下の先に、摺ガラスが張られた扉があった。ドアノブに手をかけゆっくりと扉をあけた。
「おはようございます。23期生の和泉蒼《いずみそう》です」
「おう、お疲れ!」
入口には研修生付きのマネージャーの山本さんが立っていた。
「これ書いてね。あ、印鑑持ってきたよね」
「はい」
手渡されたのは誓約書だった。簡単に言えば「本日、見聞した事は家族も含めて一切他言してはならない」という内容と、一般家庭では簡単には払えない額の違約金が記載されていた。
俺は記名欄に名前を書いて押印し、山本さんに手渡した。
「適当なところに座って待ってて」
山本さんに促され、靴を脱いで下駄箱に入れ、レッスンスタジオに入る。
スタジオ内の壁は全面鏡貼りで一部カーテンで目隠しされている。広さは50㎡ほどだろうか。天井にはマンション用の配管が走っていて、打ちっぱなしのコンクリートは年季が入っていたが、床は昨日にでも貼り替えたばかりだというようにピカピカつるつるで、俺はなんとなくほっとした。
そこにはすでに何人かの研修生が所在なげに床に座って待機していた。その一人が手招きしてきた。同期の槇《まき》だった。いそいそと近づき、俺は槇の隣に座る。
「なんか聞いてる?」
槇が小声で耳打ちしてきた。俺は首を横に振る。だよな、というように槇は眉を左右交互に動かしておどけた。
説明会が開始されるまで、まだ30分近くある。
手持ち無沙汰だったので、槇と小声で近況を話し合う事にした。槇は大学に進学して、この春の入学式のためのスーツを近々新調しないといけないなどと言った。
俺はと言うと、高校1年の時にたまたま出演できたドラマの仕事が楽しすぎて忘れられず、自分はゲーノージンの道をこのまま突き進んでいくものと無根拠に信じ込み、なおざりな高校生活を送っていた。
しかし、この業界は甘くない。挑むオーディションはことごとく落ちた。落ちに落ちて落ちまくった。良くて台詞のないエキストラ。それも凌ぎになるほどではなく、いわゆるアルバイトの延長のようなものだった。
俺が突き進むと思っていた〝俳優への入り口の門〟は、進んでも進んでも、俳優の世界の中には辿り着かない。ひたすら現在地は〝門〟であった。
鬱々とした日々が続く。焦りはあるが具体的にできることは、基礎トレーニングや演技の勉強くらい。みんなも最低限やっているから…でもみんなと一緒のことをしているだけでいいのか?正解がわからない。先も見えない。自分が成長できているのかも、わからない。
俺は、何者かにちゃんとなれるのか。
そんなこんなで中途半端な学生生活を送り、入試にも身が入らなかった。結局大学には落ちた。
ドラマには槇も一緒に出演していた。主人公の同級生役だった。ファンレターももらっていたようだが、アイドル志望の槇は早々に俳優のオーディションには見切りをつけて、好きなダンスと学業を両立させていたようだ。
そのうちに説明会の開始時刻に差し迫っていた。スタジオ内は10代〜20代前半の研修生で埋まっている。ふといつの間にか隣に座っていた研修生に気づく。そいつは、容姿の整った面々の中に紛れてさえ、一際目立っていた。目が離せない。
薄い唇はさっき見た桜の花びらを想起させた。通った鼻梁、長いまつ毛…アルビノかと思わせるような陶磁器のような白い肌。少し癖のあるシルバーアッシュの髪が神々しさに拍車をかけている。
かぐや姫の話にでてくる蓬莱の玉の枝を擬人化したらこんな風なんだろうなと思った。それがミコトだった。
一度だけ、入所オーディションの時に見かけたような気がした。でもその後はどのレッスンでも一緒になった事はなかったので、おそらく他のマネージャーの預かりだったのだろう。
ジロジロと見過ぎてしまったかもしれない。俺の視線に気づいたミコトは振り向いた。少しの間、視線が交差した後に、困ったようにミコトは目を伏せ、逸らした。
俺はなんだか悪い事をしてしまったような気分になって、少し狼狽えてしまった。
その時、チーフマネージャーの上條さんが入って来た。場の空気がピリッと引き締まる。上條司《かみじょうつかさ》さん。主に現役の俳優達を担当するマネージャーで、俺たち研修生の前に出てくるのは本当に珍しいことだった。
複数の番組のメイン出演の仕事やライブイベント、映画の仕事もどしどし獲得してくるいわば敏腕マネージャーで、その容姿も相まって〝氷の女王〟と呼ばれているとか何とか、槇が言っていたような気がする。
俺達の前にホワイトボードが設置される。上條さんの指示で山本さんが資料のようなものをホワイトボードに貼っていく。カラフルな四葉のクローバーのロゴと、年末までのスケジュールらしき一覧表だった。
「え?あれって…」
前の方に座っていた、古株の研修生達がざわついた。
上條さんが口を開いた。
「この中から4人、アイドルユニットとしてこの夏デビューしてもらいます」
今度は研修生全員がどよめいた。
「グループ名は4TuneLeaf(フォーチュンリフ)」
グループ名が発せられた瞬間、誰かがふひっと吹いた。めざとく上條さんは研修生の一覧表を確認したあと、その研修生を名指しする。
「28期生…木山くんね。君、もう帰っていいわよ。お疲れ様」
「え!?」
当たり前だ。空気を読めてなさすぎる。木山というやつは、おそらくこの甘ったるい名前に照れ隠しで吹き出してしまったのだろう。まだ仕事に直面したことがない研修生にありがちなことだ。
俺たちのような研修生に、本来こんな話は回ってこない。只事ではない事態が発生しているのだ。
某有名大手事務所のように、研修生時代からお披露目やファンのためのライブやイベントを俺たちの事務所ではやっていない。つまり、事務所側で厳選した実力のある現役の先輩に本来は振られる話なのだ。
後で知ることになるのだが、当初は既にメンバーの4人は決まっていて、現在ドラマやCMにも出演歴のある先輩の俳優や歌手が選抜され、本業の仕事と同時進行でこのレッスンスタジオでデビュー曲の歌唱やダンスの稽古に明け暮れていたのだという。
しかし現在、その4人ともが活動していない。
1人は出演中のドラマの撮影中の事故で現在も面会謝絶の入院中。これは確かニュースでも報じられたはずだ。他にも失踪、癲狂し長期休養に入った者、急病で若くして逝去した者…次々と斃れていき、あっという間に全滅した。
幸いにもこのプロジェクトはまだ公表されていないものだったので、方舟はそのまま、中身だけ入れ替えてしまおうという方針になったのだ。
しかし事務所所属の他のタレント達は年齢的に合わなかったり、スケジュールやスポンサーの契約上の都合がつかなかったりで、苦肉の策で俺たち研修生に白羽の矢がたったのだろう。
アイドルの定義とは、今や多種多様で一言では言い表せないが、それでも〝信念〟とでもいうべき概念がある。それは愛されることが生業ということだ。特に女の子たちに。だから俺らは彼女たちの目をひき、魅了させるために甘く可愛くあらゆるデコレーションをされる。その一つがグループ名だ。照れている場合ではないのだ。
だが俺たちはまだ下拵えもされていない材料だ。今からあらゆる方法で選別され、売り物になる個性がないか見出され磨かれ、商品になるか毛穴の隅々まで吟味されていく。その覚悟が必要だった。
木山はトボトボとスタジオを出て行く。山本さんにくれぐれも同意書忘れないでねと声をかけられていた。
扉が閉まったのを確認してから、上條さんが話を続ける。スケジュール表には今日から半年後の8月に開催されるデビューライブまでの日程が書かれていた。この後すぐに契約書を交わして、上のマンションを寮がわりに入居、明日から早速ダンスレッスンや歌唱訓練、演技訓練が1日14時間休みなく組まれている。2ヶ月後の5月にメンバー選定オーディション、同月に外部オーディションの文字もあった。その後もデビュー曲の歌唱・ダンスの練習、インタビューや告知の練習などなど8月までみっちりと文字が埋まっていた。
「これはかなり過酷なスケジュールだと思う。プロ並みのね。でも私も全力でサポートするから」
上條さんの声は力強い。研修生達は大いに色めきたった。
研修生の一人から手が挙がる。
「あの、質問いいですか?5月の外部オーディションっていうのはなんでしょうか?」
上條さんは一度研修生達を見渡し、少し思案してから話し始めた。
「これは、本当はデビュー組だけに伝えるつもりだったけど…、デビュー曲とは別に、もう一つ映画のタイアップ曲が決まっています。また、メインではないけどメンバーにはその映画にも出演してもらいます。そのオーディションです。クランクインは6月。映画の公開は12月。8月のデビューの会見の時に、映画公開の告知もします」
つまり、デビュー組メンバーは6月からデビューライブの練習に加え、映画の撮影、場合によっては演技の稽古、デビュー後には映画の告知まわり、映画が始まった後も番宣のため、TV出演に駆け回ることになるのだろう。
とにかく時間がなさすぎる。それでもこの強行軍を進めるのには理由があるはず。
「うちの事務所も、その映画の製作委員会に入っているってことですか?」
「察しがいいわね」
製作委員会とは、映画やドラマを制作する際に複数の企業が出資して共同で作品を作り上げる方式を指す。
楽曲のタイアップ、タレントの出演を条件に映画制作に参画したのだろう。そのため、厳選したメンバーが選ばれていたはずだ。そのメンバーが再起不能になったからと言って、デビューを延期したり白紙にできなかった理由かここにあった。他の企業も巻き込んでプロジェクトはすでに動き出している。
上條さんは続けた。
「今日この後、グループ分けをします。今週中には上のマンションに入居してもらい、そのメンバーで共同生活をしながらオーディションに向けて缶詰で特訓してもらいます。ただし、このグループは固定ではありません。これからの成績を見て組み替えや合併して、最終的には5月のオーディションで正式決定します」
概要を聞いたあと、5名ほど辞退の声があがった。残った研修生達でグループ編成の微調整がなされ、各々名前が呼ばれて行く。
絶対にこのオーディションを勝ち取って、何がなんでもデビューしたい!
俺の名前が読み上げられる。
俺は、何者かになれる期待に胸躍らせながら、大きく返事をした。
俺は確信していた。音楽番組の収録スタジオでの本番直前、落ちてきた照明器具を頭に受けて死んだのだと。
「こんな古典的な死に方あるかよ」
声に出してみたものの、そこはまるで録音ブースの中のように無音に包まれた空間で、発した言葉は自分の耳に届く前にか細く彼方へ消えていった。無音が耳に痛い。空気が重く体に巻き付いている。目の前は霧に包まれたように霞んでいる。一歩、足を踏み出してみた。
「そっちじゃないよ、蒼《そう》」
俺の名前を呼ぶ声の主を探して周りを見回す。自分が死んだと察した瞬間、同時に〝あいつにまた会えるかもしれない〟と予感していた。その〝あいつ〟の声だったから。
香神《かがみ》ミコトーーーーーーーーーーー数ヶ月前、俺と同じアイドルグループで一緒にデビューしたメンバー…、そして俺よりも先に薬物中毒で死んでしまった、メンバーカラー白のイメージ通りの純真で儚い男だった。
俺は今、自分が死んでしまったことよりも、またミコトに会える期待で頭がいっぱいだった。
「ミコト?…おい、ミコトだろ?どこにいんだよ…」
二歩、三歩と地団駄を踏む幼子のように行ったり来たり、心もとなく辺りを見渡すがあいつの姿は見えない。
そこはかとなく不安を感じながら、俺はミコトと共に勝ち抜いた、あの悪夢のオーディションを回想していた。
半年ほど前。
桜が漸く咲き始めたものの、まだ肌寒さの残る3月のある日、俺たち芸能事務所の研修生30名ほどが事務所からの〝緊急招集〟で中目黒のレッスンスタジオに呼び出されていた。研修生限定の説明会があるという。
本社は渋谷にあるのだが、新人オーディションやダンスレッスンなど大人数が集まる時には特定のレッスンスタジオが使われる。
とは言え、俺はこのレッスンスタジオに訪れるのは初めてだった。どうやら、事務所の古株の先輩達専用の場所らしく、ドラマの台本読みや個人練習用が主な用途だという。
目黒川の桜はまだ満開には程遠い。まばらな見物客の間を早足ですり抜け、俺は川沿いの古びたマンションに入った。
築40年は超えていそうなマンションは、2階より上は一般的な居住用の部屋が8部屋ほどあるが、勿論、現在は誰も住んでいない。事務所が買い上げ、地下をレッスンスタジオにリノベーションしていた。ぱっと見の外観は普通のマンションだった。
定員5人が限界の小さなエレベーターで地下へ降りる。ガコンと危なげな挙動で扉が開く。昼間だと言うのにやけに薄暗い廊下だった。外の平和な空気との落差に面食らう。俺は一歩足を踏み出す。ジーという蛍光灯の音が耳につく。短い廊下の先に、摺ガラスが張られた扉があった。ドアノブに手をかけゆっくりと扉をあけた。
「おはようございます。23期生の和泉蒼《いずみそう》です」
「おう、お疲れ!」
入口には研修生付きのマネージャーの山本さんが立っていた。
「これ書いてね。あ、印鑑持ってきたよね」
「はい」
手渡されたのは誓約書だった。簡単に言えば「本日、見聞した事は家族も含めて一切他言してはならない」という内容と、一般家庭では簡単には払えない額の違約金が記載されていた。
俺は記名欄に名前を書いて押印し、山本さんに手渡した。
「適当なところに座って待ってて」
山本さんに促され、靴を脱いで下駄箱に入れ、レッスンスタジオに入る。
スタジオ内の壁は全面鏡貼りで一部カーテンで目隠しされている。広さは50㎡ほどだろうか。天井にはマンション用の配管が走っていて、打ちっぱなしのコンクリートは年季が入っていたが、床は昨日にでも貼り替えたばかりだというようにピカピカつるつるで、俺はなんとなくほっとした。
そこにはすでに何人かの研修生が所在なげに床に座って待機していた。その一人が手招きしてきた。同期の槇《まき》だった。いそいそと近づき、俺は槇の隣に座る。
「なんか聞いてる?」
槇が小声で耳打ちしてきた。俺は首を横に振る。だよな、というように槇は眉を左右交互に動かしておどけた。
説明会が開始されるまで、まだ30分近くある。
手持ち無沙汰だったので、槇と小声で近況を話し合う事にした。槇は大学に進学して、この春の入学式のためのスーツを近々新調しないといけないなどと言った。
俺はと言うと、高校1年の時にたまたま出演できたドラマの仕事が楽しすぎて忘れられず、自分はゲーノージンの道をこのまま突き進んでいくものと無根拠に信じ込み、なおざりな高校生活を送っていた。
しかし、この業界は甘くない。挑むオーディションはことごとく落ちた。落ちに落ちて落ちまくった。良くて台詞のないエキストラ。それも凌ぎになるほどではなく、いわゆるアルバイトの延長のようなものだった。
俺が突き進むと思っていた〝俳優への入り口の門〟は、進んでも進んでも、俳優の世界の中には辿り着かない。ひたすら現在地は〝門〟であった。
鬱々とした日々が続く。焦りはあるが具体的にできることは、基礎トレーニングや演技の勉強くらい。みんなも最低限やっているから…でもみんなと一緒のことをしているだけでいいのか?正解がわからない。先も見えない。自分が成長できているのかも、わからない。
俺は、何者かにちゃんとなれるのか。
そんなこんなで中途半端な学生生活を送り、入試にも身が入らなかった。結局大学には落ちた。
ドラマには槇も一緒に出演していた。主人公の同級生役だった。ファンレターももらっていたようだが、アイドル志望の槇は早々に俳優のオーディションには見切りをつけて、好きなダンスと学業を両立させていたようだ。
そのうちに説明会の開始時刻に差し迫っていた。スタジオ内は10代〜20代前半の研修生で埋まっている。ふといつの間にか隣に座っていた研修生に気づく。そいつは、容姿の整った面々の中に紛れてさえ、一際目立っていた。目が離せない。
薄い唇はさっき見た桜の花びらを想起させた。通った鼻梁、長いまつ毛…アルビノかと思わせるような陶磁器のような白い肌。少し癖のあるシルバーアッシュの髪が神々しさに拍車をかけている。
かぐや姫の話にでてくる蓬莱の玉の枝を擬人化したらこんな風なんだろうなと思った。それがミコトだった。
一度だけ、入所オーディションの時に見かけたような気がした。でもその後はどのレッスンでも一緒になった事はなかったので、おそらく他のマネージャーの預かりだったのだろう。
ジロジロと見過ぎてしまったかもしれない。俺の視線に気づいたミコトは振り向いた。少しの間、視線が交差した後に、困ったようにミコトは目を伏せ、逸らした。
俺はなんだか悪い事をしてしまったような気分になって、少し狼狽えてしまった。
その時、チーフマネージャーの上條さんが入って来た。場の空気がピリッと引き締まる。上條司《かみじょうつかさ》さん。主に現役の俳優達を担当するマネージャーで、俺たち研修生の前に出てくるのは本当に珍しいことだった。
複数の番組のメイン出演の仕事やライブイベント、映画の仕事もどしどし獲得してくるいわば敏腕マネージャーで、その容姿も相まって〝氷の女王〟と呼ばれているとか何とか、槇が言っていたような気がする。
俺達の前にホワイトボードが設置される。上條さんの指示で山本さんが資料のようなものをホワイトボードに貼っていく。カラフルな四葉のクローバーのロゴと、年末までのスケジュールらしき一覧表だった。
「え?あれって…」
前の方に座っていた、古株の研修生達がざわついた。
上條さんが口を開いた。
「この中から4人、アイドルユニットとしてこの夏デビューしてもらいます」
今度は研修生全員がどよめいた。
「グループ名は4TuneLeaf(フォーチュンリフ)」
グループ名が発せられた瞬間、誰かがふひっと吹いた。めざとく上條さんは研修生の一覧表を確認したあと、その研修生を名指しする。
「28期生…木山くんね。君、もう帰っていいわよ。お疲れ様」
「え!?」
当たり前だ。空気を読めてなさすぎる。木山というやつは、おそらくこの甘ったるい名前に照れ隠しで吹き出してしまったのだろう。まだ仕事に直面したことがない研修生にありがちなことだ。
俺たちのような研修生に、本来こんな話は回ってこない。只事ではない事態が発生しているのだ。
某有名大手事務所のように、研修生時代からお披露目やファンのためのライブやイベントを俺たちの事務所ではやっていない。つまり、事務所側で厳選した実力のある現役の先輩に本来は振られる話なのだ。
後で知ることになるのだが、当初は既にメンバーの4人は決まっていて、現在ドラマやCMにも出演歴のある先輩の俳優や歌手が選抜され、本業の仕事と同時進行でこのレッスンスタジオでデビュー曲の歌唱やダンスの稽古に明け暮れていたのだという。
しかし現在、その4人ともが活動していない。
1人は出演中のドラマの撮影中の事故で現在も面会謝絶の入院中。これは確かニュースでも報じられたはずだ。他にも失踪、癲狂し長期休養に入った者、急病で若くして逝去した者…次々と斃れていき、あっという間に全滅した。
幸いにもこのプロジェクトはまだ公表されていないものだったので、方舟はそのまま、中身だけ入れ替えてしまおうという方針になったのだ。
しかし事務所所属の他のタレント達は年齢的に合わなかったり、スケジュールやスポンサーの契約上の都合がつかなかったりで、苦肉の策で俺たち研修生に白羽の矢がたったのだろう。
アイドルの定義とは、今や多種多様で一言では言い表せないが、それでも〝信念〟とでもいうべき概念がある。それは愛されることが生業ということだ。特に女の子たちに。だから俺らは彼女たちの目をひき、魅了させるために甘く可愛くあらゆるデコレーションをされる。その一つがグループ名だ。照れている場合ではないのだ。
だが俺たちはまだ下拵えもされていない材料だ。今からあらゆる方法で選別され、売り物になる個性がないか見出され磨かれ、商品になるか毛穴の隅々まで吟味されていく。その覚悟が必要だった。
木山はトボトボとスタジオを出て行く。山本さんにくれぐれも同意書忘れないでねと声をかけられていた。
扉が閉まったのを確認してから、上條さんが話を続ける。スケジュール表には今日から半年後の8月に開催されるデビューライブまでの日程が書かれていた。この後すぐに契約書を交わして、上のマンションを寮がわりに入居、明日から早速ダンスレッスンや歌唱訓練、演技訓練が1日14時間休みなく組まれている。2ヶ月後の5月にメンバー選定オーディション、同月に外部オーディションの文字もあった。その後もデビュー曲の歌唱・ダンスの練習、インタビューや告知の練習などなど8月までみっちりと文字が埋まっていた。
「これはかなり過酷なスケジュールだと思う。プロ並みのね。でも私も全力でサポートするから」
上條さんの声は力強い。研修生達は大いに色めきたった。
研修生の一人から手が挙がる。
「あの、質問いいですか?5月の外部オーディションっていうのはなんでしょうか?」
上條さんは一度研修生達を見渡し、少し思案してから話し始めた。
「これは、本当はデビュー組だけに伝えるつもりだったけど…、デビュー曲とは別に、もう一つ映画のタイアップ曲が決まっています。また、メインではないけどメンバーにはその映画にも出演してもらいます。そのオーディションです。クランクインは6月。映画の公開は12月。8月のデビューの会見の時に、映画公開の告知もします」
つまり、デビュー組メンバーは6月からデビューライブの練習に加え、映画の撮影、場合によっては演技の稽古、デビュー後には映画の告知まわり、映画が始まった後も番宣のため、TV出演に駆け回ることになるのだろう。
とにかく時間がなさすぎる。それでもこの強行軍を進めるのには理由があるはず。
「うちの事務所も、その映画の製作委員会に入っているってことですか?」
「察しがいいわね」
製作委員会とは、映画やドラマを制作する際に複数の企業が出資して共同で作品を作り上げる方式を指す。
楽曲のタイアップ、タレントの出演を条件に映画制作に参画したのだろう。そのため、厳選したメンバーが選ばれていたはずだ。そのメンバーが再起不能になったからと言って、デビューを延期したり白紙にできなかった理由かここにあった。他の企業も巻き込んでプロジェクトはすでに動き出している。
上條さんは続けた。
「今日この後、グループ分けをします。今週中には上のマンションに入居してもらい、そのメンバーで共同生活をしながらオーディションに向けて缶詰で特訓してもらいます。ただし、このグループは固定ではありません。これからの成績を見て組み替えや合併して、最終的には5月のオーディションで正式決定します」
概要を聞いたあと、5名ほど辞退の声があがった。残った研修生達でグループ編成の微調整がなされ、各々名前が呼ばれて行く。
絶対にこのオーディションを勝ち取って、何がなんでもデビューしたい!
俺の名前が読み上げられる。
俺は、何者かになれる期待に胸躍らせながら、大きく返事をした。
