ぼくらの恋には込み入った事情が。

「漆原?」
 フライドポテトを数本まとめて口に放り込みながら、波多野が眉を顰める。
「うちのクラスにそんな奴いたか?」
 隣でチーズバーガーを頬張る美馬も首を傾げる。
「あいつじゃん? ほら、いつも寝ててあんましゃべんない」
 おれの隣に座っていた森井が口を挟んだ。
「ああ、あいつ漆原つったっけ」
 野球部員のなかで漆原とおなじクラスの3人だ。漆原のあの様子では期待できないと思ったが、予想以上にクラス内で存在感が薄いようだ。3年になってから半年以上になるというのに、名前さえ覚えられていない。
 学校に近いファストフード店にはおなじ制服のグループが何組もいた。おれたちが陣取る4人掛けの大きなテーブルは、ハンバーガーの袋やナゲットの箱で埋め尽くされている。食べ盛りの男子高校生4人とはいえ、大量すぎる。おれの奢りだからといって、遠慮を知らない連中だ。
「どんな奴つっても、全然わかんないよな。帰宅部で授業終わったらすぐ帰るし、休み時間もずっと本読んでるし」
「バイトしてるって聞いたけど」
「あ、なんか家が貧乏ってのは聞いたことあるよ。クラス委員が1回家行って、ボロアパートすぎてドン引きしたつってたわ」
 波多野がいって、ほかのふたりが笑う。
「学食の金払えなくて、毎日弁当持ってきてんだって」
「だから昼いつもいないのか」
「どこでメシ食ってんだろ」
「トイレじゃね?」
「トイレでメシかよ。おれ絶対無理だわ」
 また笑いが起きる。おれは笑う気になれず、ポテトの端をつまんだまま、考えこんでいた。
 波多野の話が事実だとすれば、漆原は困窮する家庭環境でバイトをしながら高校に通っているらしい。眠っていることが多いのは深夜まで働いているせいだろう。ほしいものがあるのかなどつまらない質問をしてしまったことを後悔した。
「なんで漆原のこと気になんの?」
 食べ終わったバーガーの箱を手のなかで潰しながら、美馬が聞いてくる。
「風祭、漆原となんかつながりあったっけ?」
「べつにないけど……おれもバイトしたいと思ってさ」
 咄嗟に出たいいわけにしてはリアリティがあった。元部員3人が一斉に頷く。
「たしかに、引退して暇になったけど、遊ぶのにも金いるしな」
「家が貧乏ってことにすればいいんじゃね」
「すぐバレんだろ、そんなもん」
「わかんねーぞ。案外いけるかも」
「ひょっとしたら漆原もごまかして申請してるかもしれないしな」
 こめかみの血管がわずかに震える感覚。理由ははっきりしないが、今日はやけに神経が敏感になっているようで、わけもなくイライラする。
「風祭んとこは金持ちだから無理だろ」
「……べつに金持ちじゃねえよ」
「嘘つけ。でかい家住んでんだろ」
「そういや風祭の姉ちゃんテレビ局で働いてんだろ? ドラマの撮影現場とか入れたりしねえの?」
「コンサートのチケットとかコネで取れんじゃねえの?」
「取れるわけねえだろ。馬鹿かよ」
 自分でも驚くほど冷めた昏い声が漏れた。笑い声がやみ、おれたちのテーブルの周辺だけが沈黙に包まれる。
「なに怒ってんだよ。冗談だろ」
「べつに本気でチケット取ってほしいなんていってねえじゃん」
 和やかだった空気が一転して張りつめたものになっていた。おれはテーブルの下で両拳を握りしめた。短く息をつき、顔を上げた。満面の笑みを張り付けた顔面を巡らせた。
「わかってるって。こっちも冗談だから」
 自分がどんな顔をしているのか、想像するだけで吐きそうになった。空気を読み、周囲に合わせて、当たり障りない言葉でその場をやり過ごす。何度も繰り返してきた作業なのに、どういうわけか、やけに苦労していた。
「なんだよ。びっくりさせんなよ」
「すげえ怖い顔してたぞ。シスコンか、おまえ」
「なわけないだろ」
 苛立ちの原因は姉ではなかった。考えるより先に席を立った。食べかけのバーガーが乗った自分のトレイをつかむ。
「もう帰んの?」
「カラオケ行かね? 風祭の奢りで」
「馬鹿。調子乗んな」
 再び笑いが起きる。どうでもいい会話。どうでもいい笑い。これ以上聞いていると頭がおかしくなりそうだった。
 ファストフード店を出たとたん、深呼吸した。息がくるしい。屋外に出てもすこしも楽にならない。胃液が逆流する感覚。食べたばかりのハンバーガーを吐きそうだった。
 どうにかしなければ。恐怖を感じるのと同時に、足が勝手に動き出していた。