「ちょっと待って、風間先輩……」
ベッドの上で身じろいだ。深見の胸元に唇を這わせていた風間が視線を上げる。
「ふたりのときは名前で呼ぶって約束は?」
「……謙太郎」
窘めるような口調に、深見は思わず体を震わせた。さっきから熱が上がって怖いくらいだ。風間に触れられるたび、囁かれるたびに。
「だめだって……」
快楽に溺れそうになる感覚を押しとどめ、自分でも体格のいい風間の胸に必死で腕を張って、顔を背ける。
「なんで」
「ご家族が……」
風間の肩越しに部屋のドアを見つめる。風間が住むマンションは広かったが、壁の厚みが気になった。そろそろ風間の母も帰ってくる頃ではないかと思うと集中できるものではなかった。
「親は夜中まで帰ってこないし、おれたちだけだから」
「でも……」
制服の裾を捲り上げて侵入してくる風間の指の感触に腰を浮かせながら、かろうじていった。
「ぼく、その……はじめてだし、心の準備が……」
「できてない?」
抵抗していた手をつかまれ、指先を吸われる。皮膚をねぶる舌の動きに背すじが震えた。
「好きだよ、眞琴」
耳元で囁かれる。熱い息がこめかみを掠める。
「ぼくも好き……」
心の底から好きな相手に求められ、抗えるはずがない。躊躇いながらも、深見は体の力を脱き、風間に身を任せた。
制服を脱がされ、全裸の体を重ね合わせる。風間の心臓が脈打つ音を自分の心臓で聞いた。風間の筋肉が蠢くのを腹で感じた。
「……いい?」
耳の裏に唇を圧しつけ、風間が囁く。永遠とも思えるような快感に吹き飛ばされそうな意識を必死に繋ぎ止め、何度も頷いた。汗まみれの体をぶつけるように風間にしがみついた。
「して、謙太郎。おれにして。お願い……」
呻くような声とともに、痛みを感じるほどつよく抱きしめられた。脚を大きくひらかれ、濡れて猛ったものが下腹に圧しつけられた。
「いくぞ、眞琴……」
低く抑えた声。深見の、だれにも侵入をゆるしたことのない部分に、風間が入ってきた。
深見の濡れた唇から声が漏れる。強烈に搾りつかれ、風間も眉間に皺を刻んだ。
「すげ……」
時間をかけ、すこしずつ体を進め、すべてを収めたときにはふたりとも全身で息をしていた。繋がったまま、唇を合わせる。快感を分けあい、愛おしさを確かめあうように舌を絡ませ、唾液を行き来させる。
「痛くないか……?」
唇の隙間から、風間が囁く。
「うん……気持ちいい」
深見の言葉に、内部の風間がさらに力づよく漲った。ゆっくりと、動きはじめる。
「あ、だめ……謙太郎、けん……」
烈しく揺さぶられながら、深見が声を上げる。
「眞琴、眞琴……」
「や……深いとこ、こわい……そこ、おかしくなっちゃう……」
奥を何度も穿たれ、深見の唇から唾液が漏れる。濡れた甘い声に、風間の興奮は頂点に追いやられた。
「気持ちい、気持ちいい……もういきそう……」
「眞琴、おれも……」
「なかに出して、ぼくのなかでいって、謙太郎……」
深見が叫び、風間は恋人の頭と腰をつかんでもっとも奥へ腰を打ちつけた。長く伸びる声とともに、ほぼ同時に上りつめていた。
腕から滑り落ちた頭が机に落ちて、額を思い切り打ちつけた。
思わず声を出して目を開けると、クラスのほぼ全員がおれを見ていた。
「堂々と寝過ぎだぞ、風祭」
初老の社会科教師が黒板を向いたまま冷ややかにいう。もともと意欲の薄いベテラン教員だ。怒っているわけではなく、面倒そうに教科書の文言をそのまま板の上に移していく。
「エロい夢でも見てたんじゃねえの」
隣の席の同級生に笑われ、おれは顔を真っ赤にしたが、反論はできなかった。実際、そのとおりだったからだ。
不真面目な生徒のせいで中断された授業が再開される。机の下でそっとスマホのディスプレイを覗いた。授業開始から30分は寝ていたようだ。
小説は10作だと聞いていたし、そう思い込んでいた。1作目となる「ラブコミ」の最終ページを最下部までスクロールすると、画面の右端に小さな点が浮かんでいるのが見えた。よく注意して見なければ気づかないほど小さなしるしをクリックすると、警告ページがひらいた。「18歳未満閲覧禁止」の警告文を無視して次のページにすすむと、新しい作品がさらに10作近く表示された。姉がいうところの「裏ページ」だ。
事前に警告されていただけあり、中身は表に公開されているものとは比較にならないほど性的で、露骨な性描写が頻出していた。全年齢対象の作品の続編として書かれているものもあればまったく新しい展開もある。共通しているのは、おれをモデルにした主人公「風祭謙太郎」と、どこか漆原を連想させるもうひとりのキャラクター。表で見せる清純さが嘘のように直接的な愛を表現していた。
目を覚ましたはいいが、現代社会の授業は退屈で、再び睡魔に襲われた。姉の忠告を無視して裏ページを発見した昨晩は、けっきょく夜明けちかくまで集中して読んでいた。おかげでいつも以上に朝から授業に身が入らない。
意味不明の文字が並ぶ黒板から視線を逸らし、窓の外に目を向けた。
校庭ではほかのクラスが体育の授業をしていた。測定でもしているのか、広い校庭をいくつかのスペースに区切り、走り幅跳びや棒高跳びをしている。
体操着の一団のなかに漆原の姿を見つけ、おれは咄嗟に顔を伏せた。
漆原のクラスだったのか……
おそるおそる顔を上げ、再び窓の外を見る。おれのいる教室は3階で、向こうからはほとんど見えないはずだが、それでも注意を払いながら窓枠に手をかける。
漆原はほかの生徒に混じってトラックをはしっていたが、相変わらず足が遅い。あっという間に距離を離され、ひとり置き去りにされている。フォームもめちゃくちゃで、体力不足からかあきらかに呼吸を乱しているのが遠くから見てもわかる。それでも一生懸命走り、なんとかゴールしたときには息も絶え絶えだった。
どうやったらあんな走りかたになるんだよ……
教師や同級生にばれないよう必死で笑いを堪える。
体力が完全に回復しないまま、肩で息をしながら、漆原はおなじチームらしい数人の塊に混じって移動する。走り高跳びに挑む漆原を、おれは教室の窓からぼんやり眺めていた。
漆原は走り高跳びでも無様な姿を見せ、記録なしに終わった。おれは掌で顔の下半分を覆い、表情の変化を隠した。
両脚で跳んでどうすんだよ。馬鹿だな……
声までは聞こえないが、体育担当教師が漆原を呼んだようで、脚を縺れさせながらふらふら歩いていく。細い手足がぶらぶら揺れるのを、苦笑いしながら見下ろした。
なんだその動き。生まれたての子鹿かよ……
「かわいいな」
無意識に、口の外に言葉が漏れてしまった。前の席の女子が怪訝そうな顔で振り返り、慌てて口を噤んだ。
「キモ」
女子が低い声で、しかしあからさまに呟いた。
おまえじゃねえよ。心のなかで舌打ちしながら、窓の外に向きなおる。視界から漆原が消えていた。思わず身を乗り出すと、教師にまた叱られた。
後片付けのためか、終了時刻よりもすこしはやめに切り上げたようで、漆原のクラスはすでに校庭を後にするところだった。数人の生徒が高跳びに使用したポールやマットをはこんでいる。漆原の姿は見当たらない。
今日に限ったことではない。校内にいる間、おれの目は無意識に漆原の姿を探していた。教室も離れているし、共通する活動もない。可能性は限りなく低いのにもかかわらず、廊下や校門で漆原と顔を合わせる偶然を期待していた。
授業中の漆原を見かけたことで、よけいに飢餓感を煽られた。漆原を見たいという気持ちがつよくなり、授業が終わってから4組の教室の前まで行ったが、バイトのためか、漆原の姿はすでになかった。
教室で談笑していた元野球部の3人組を適当にあしらって、おれも学校を後にした。校門を出る足は重かった。明日から塾がはじまる。夏休みになれば、漆原と会えるわずかなチャンスもなくなる。バイト先やアパートへ行けば会えるだろうが、漆原にとっては迷惑だろう。おれのことは好きでもなんでもないのだから。
胸が痛んだ。自業自得とはいえ、憂鬱な気分をもてあましていた。クラスの連中と遊んでも、気晴らしのバッティングセンターでバットを振っても、いっこうに気持ちは晴れなかった。
「くそ……」
帰路の途中で路肩にしゃがみこんだ。落ち込んでいたわけではない。股間が痛かった。
情けねえ……
生理現象とはいえ、羞恥と罪悪感でいたたまれなかった。昨日の夜も、裏ページの小説を読みながら何度も自分自身を慰めた。しかし、今こうして道ばたで動けずにいる理由は、小説ではなかった。
体操着でトラックを駆ける漆原。短いパンツから伸びた白い脚。汗で湿った首。紅潮した頬。
刺激的な小説の世界で、快楽に溺れる少年や会社員はいつも漆原の顔をしていて、「風間謙太郎」は欲望の限りに彼らの体を貪った。放課後の教室で、体育倉庫で、オフィスの設備室で、自宅のベッドやバスルームで。おれに抱かれて、漆原は快感に喘ぎ、全身をのたうたせ、何度も絶頂に達した。おれを好きだと、何度も叫んだ。おれのことを好きで、好きすぎて、どうにかなってしまいそうだと。
沈みはじめた太陽の朱を浴びながら、おれはアスファルトの地面を見下ろして膝を抱えた。空想のなかで漆原を汚す自分を憎みながら、やめられないこともわかっていた。このままではおれのほうがどうにかなってしまいそうだ。
せめてこのまま高校を卒業してべつの人生に踏み出すまでの数カ月、漆原とは顔を合わせないほうがいい。心底思った。漆原のためだけでなく、おれ自身のためにも。
ベッドの上で身じろいだ。深見の胸元に唇を這わせていた風間が視線を上げる。
「ふたりのときは名前で呼ぶって約束は?」
「……謙太郎」
窘めるような口調に、深見は思わず体を震わせた。さっきから熱が上がって怖いくらいだ。風間に触れられるたび、囁かれるたびに。
「だめだって……」
快楽に溺れそうになる感覚を押しとどめ、自分でも体格のいい風間の胸に必死で腕を張って、顔を背ける。
「なんで」
「ご家族が……」
風間の肩越しに部屋のドアを見つめる。風間が住むマンションは広かったが、壁の厚みが気になった。そろそろ風間の母も帰ってくる頃ではないかと思うと集中できるものではなかった。
「親は夜中まで帰ってこないし、おれたちだけだから」
「でも……」
制服の裾を捲り上げて侵入してくる風間の指の感触に腰を浮かせながら、かろうじていった。
「ぼく、その……はじめてだし、心の準備が……」
「できてない?」
抵抗していた手をつかまれ、指先を吸われる。皮膚をねぶる舌の動きに背すじが震えた。
「好きだよ、眞琴」
耳元で囁かれる。熱い息がこめかみを掠める。
「ぼくも好き……」
心の底から好きな相手に求められ、抗えるはずがない。躊躇いながらも、深見は体の力を脱き、風間に身を任せた。
制服を脱がされ、全裸の体を重ね合わせる。風間の心臓が脈打つ音を自分の心臓で聞いた。風間の筋肉が蠢くのを腹で感じた。
「……いい?」
耳の裏に唇を圧しつけ、風間が囁く。永遠とも思えるような快感に吹き飛ばされそうな意識を必死に繋ぎ止め、何度も頷いた。汗まみれの体をぶつけるように風間にしがみついた。
「して、謙太郎。おれにして。お願い……」
呻くような声とともに、痛みを感じるほどつよく抱きしめられた。脚を大きくひらかれ、濡れて猛ったものが下腹に圧しつけられた。
「いくぞ、眞琴……」
低く抑えた声。深見の、だれにも侵入をゆるしたことのない部分に、風間が入ってきた。
深見の濡れた唇から声が漏れる。強烈に搾りつかれ、風間も眉間に皺を刻んだ。
「すげ……」
時間をかけ、すこしずつ体を進め、すべてを収めたときにはふたりとも全身で息をしていた。繋がったまま、唇を合わせる。快感を分けあい、愛おしさを確かめあうように舌を絡ませ、唾液を行き来させる。
「痛くないか……?」
唇の隙間から、風間が囁く。
「うん……気持ちいい」
深見の言葉に、内部の風間がさらに力づよく漲った。ゆっくりと、動きはじめる。
「あ、だめ……謙太郎、けん……」
烈しく揺さぶられながら、深見が声を上げる。
「眞琴、眞琴……」
「や……深いとこ、こわい……そこ、おかしくなっちゃう……」
奥を何度も穿たれ、深見の唇から唾液が漏れる。濡れた甘い声に、風間の興奮は頂点に追いやられた。
「気持ちい、気持ちいい……もういきそう……」
「眞琴、おれも……」
「なかに出して、ぼくのなかでいって、謙太郎……」
深見が叫び、風間は恋人の頭と腰をつかんでもっとも奥へ腰を打ちつけた。長く伸びる声とともに、ほぼ同時に上りつめていた。
腕から滑り落ちた頭が机に落ちて、額を思い切り打ちつけた。
思わず声を出して目を開けると、クラスのほぼ全員がおれを見ていた。
「堂々と寝過ぎだぞ、風祭」
初老の社会科教師が黒板を向いたまま冷ややかにいう。もともと意欲の薄いベテラン教員だ。怒っているわけではなく、面倒そうに教科書の文言をそのまま板の上に移していく。
「エロい夢でも見てたんじゃねえの」
隣の席の同級生に笑われ、おれは顔を真っ赤にしたが、反論はできなかった。実際、そのとおりだったからだ。
不真面目な生徒のせいで中断された授業が再開される。机の下でそっとスマホのディスプレイを覗いた。授業開始から30分は寝ていたようだ。
小説は10作だと聞いていたし、そう思い込んでいた。1作目となる「ラブコミ」の最終ページを最下部までスクロールすると、画面の右端に小さな点が浮かんでいるのが見えた。よく注意して見なければ気づかないほど小さなしるしをクリックすると、警告ページがひらいた。「18歳未満閲覧禁止」の警告文を無視して次のページにすすむと、新しい作品がさらに10作近く表示された。姉がいうところの「裏ページ」だ。
事前に警告されていただけあり、中身は表に公開されているものとは比較にならないほど性的で、露骨な性描写が頻出していた。全年齢対象の作品の続編として書かれているものもあればまったく新しい展開もある。共通しているのは、おれをモデルにした主人公「風祭謙太郎」と、どこか漆原を連想させるもうひとりのキャラクター。表で見せる清純さが嘘のように直接的な愛を表現していた。
目を覚ましたはいいが、現代社会の授業は退屈で、再び睡魔に襲われた。姉の忠告を無視して裏ページを発見した昨晩は、けっきょく夜明けちかくまで集中して読んでいた。おかげでいつも以上に朝から授業に身が入らない。
意味不明の文字が並ぶ黒板から視線を逸らし、窓の外に目を向けた。
校庭ではほかのクラスが体育の授業をしていた。測定でもしているのか、広い校庭をいくつかのスペースに区切り、走り幅跳びや棒高跳びをしている。
体操着の一団のなかに漆原の姿を見つけ、おれは咄嗟に顔を伏せた。
漆原のクラスだったのか……
おそるおそる顔を上げ、再び窓の外を見る。おれのいる教室は3階で、向こうからはほとんど見えないはずだが、それでも注意を払いながら窓枠に手をかける。
漆原はほかの生徒に混じってトラックをはしっていたが、相変わらず足が遅い。あっという間に距離を離され、ひとり置き去りにされている。フォームもめちゃくちゃで、体力不足からかあきらかに呼吸を乱しているのが遠くから見てもわかる。それでも一生懸命走り、なんとかゴールしたときには息も絶え絶えだった。
どうやったらあんな走りかたになるんだよ……
教師や同級生にばれないよう必死で笑いを堪える。
体力が完全に回復しないまま、肩で息をしながら、漆原はおなじチームらしい数人の塊に混じって移動する。走り高跳びに挑む漆原を、おれは教室の窓からぼんやり眺めていた。
漆原は走り高跳びでも無様な姿を見せ、記録なしに終わった。おれは掌で顔の下半分を覆い、表情の変化を隠した。
両脚で跳んでどうすんだよ。馬鹿だな……
声までは聞こえないが、体育担当教師が漆原を呼んだようで、脚を縺れさせながらふらふら歩いていく。細い手足がぶらぶら揺れるのを、苦笑いしながら見下ろした。
なんだその動き。生まれたての子鹿かよ……
「かわいいな」
無意識に、口の外に言葉が漏れてしまった。前の席の女子が怪訝そうな顔で振り返り、慌てて口を噤んだ。
「キモ」
女子が低い声で、しかしあからさまに呟いた。
おまえじゃねえよ。心のなかで舌打ちしながら、窓の外に向きなおる。視界から漆原が消えていた。思わず身を乗り出すと、教師にまた叱られた。
後片付けのためか、終了時刻よりもすこしはやめに切り上げたようで、漆原のクラスはすでに校庭を後にするところだった。数人の生徒が高跳びに使用したポールやマットをはこんでいる。漆原の姿は見当たらない。
今日に限ったことではない。校内にいる間、おれの目は無意識に漆原の姿を探していた。教室も離れているし、共通する活動もない。可能性は限りなく低いのにもかかわらず、廊下や校門で漆原と顔を合わせる偶然を期待していた。
授業中の漆原を見かけたことで、よけいに飢餓感を煽られた。漆原を見たいという気持ちがつよくなり、授業が終わってから4組の教室の前まで行ったが、バイトのためか、漆原の姿はすでになかった。
教室で談笑していた元野球部の3人組を適当にあしらって、おれも学校を後にした。校門を出る足は重かった。明日から塾がはじまる。夏休みになれば、漆原と会えるわずかなチャンスもなくなる。バイト先やアパートへ行けば会えるだろうが、漆原にとっては迷惑だろう。おれのことは好きでもなんでもないのだから。
胸が痛んだ。自業自得とはいえ、憂鬱な気分をもてあましていた。クラスの連中と遊んでも、気晴らしのバッティングセンターでバットを振っても、いっこうに気持ちは晴れなかった。
「くそ……」
帰路の途中で路肩にしゃがみこんだ。落ち込んでいたわけではない。股間が痛かった。
情けねえ……
生理現象とはいえ、羞恥と罪悪感でいたたまれなかった。昨日の夜も、裏ページの小説を読みながら何度も自分自身を慰めた。しかし、今こうして道ばたで動けずにいる理由は、小説ではなかった。
体操着でトラックを駆ける漆原。短いパンツから伸びた白い脚。汗で湿った首。紅潮した頬。
刺激的な小説の世界で、快楽に溺れる少年や会社員はいつも漆原の顔をしていて、「風間謙太郎」は欲望の限りに彼らの体を貪った。放課後の教室で、体育倉庫で、オフィスの設備室で、自宅のベッドやバスルームで。おれに抱かれて、漆原は快感に喘ぎ、全身をのたうたせ、何度も絶頂に達した。おれを好きだと、何度も叫んだ。おれのことを好きで、好きすぎて、どうにかなってしまいそうだと。
沈みはじめた太陽の朱を浴びながら、おれはアスファルトの地面を見下ろして膝を抱えた。空想のなかで漆原を汚す自分を憎みながら、やめられないこともわかっていた。このままではおれのほうがどうにかなってしまいそうだ。
せめてこのまま高校を卒業してべつの人生に踏み出すまでの数カ月、漆原とは顔を合わせないほうがいい。心底思った。漆原のためだけでなく、おれ自身のためにも。



