蛇婿入り(仮題)


 日も落ちてきた頃、双刃は素麺の載った盆を持って離れに現われた。双刃は、未だぼんやりしている誠を食卓に座らせると、テキパキと薬味を用意した。
「昼は様子を見に来られなくて申し訳ありませんでした。体調はどうですか?」
「良くなってきました。もう大丈夫ですよ」
 ずっと眠っていたせいか、電灯の明かりがやけに眩しい。見上げると、丸い電灯に羽虫が数匹群がっていた。
「それは良かったです」双刃はふわりと微笑んだ。
「今夜、花火でもしてみませんか」唐突に双刃が言った。
「花火ですか?」誠は素麺を啜りながら聞き返した。
「昼間、実家の物置を整理していたら線香花火が出てきたんです」
「……俺とするより、妹さんとかとした方がいいんじゃないですか」
 双刃は怪訝な顔をした。
「なぜ、私に妹がいることを」
 誠は内心頭を抱えた。そうだ。
 彼の妹───「ミコトちゃん」には今日出会ったことは秘密にしてくれと言われていたんだった。
「このこと、言いましたっけ?」双刃はいつもの調子で小首を傾げた。
「……ええ、言っていましたよ」誠は目を泳がせた。
 幸いなことに、双刃はそれで納得したようだった。
「でも、あなたとしたいんです、花火」
 双刃はくすりと笑って麦茶を口に運んだ。
 グラスと触れ合う薄く形の良い唇に、妙にどぎまぎした。
 彼には引力がある。
 思わず釘付けになるような。
 衝動を掻き立てずにはいられないような。
 食事が済むと双刃は電灯の明かりを絞り、誠を中庭へと促した。月明かりの他に、光はない。蛇入の夜はひどく静かだ。
 月明かりにぼんやりと照らされた双刃以外、この世界に人間は存在しないかのようだった。
 双刃はライターで線香花火に火をつけた。
 赤く弱々しい光が明滅する。
 二人は、花火に風が当たらないよう寄り添った。
 双刃からは、ほんのり煙草の匂いがした。誠は双刃の横顔を盗み見た。
 双刃は、狼狽えるほど真っ直ぐな目で誠を見ていた。
「誠さん」
「な、なんですか」
「ずっとここに居たいと思いませんか?」
「え?」
「私は、あなたにずっとここに居て欲しいと思っているんです」
「……いや、俺は……」
「だって、他に行くところもないんでしょう?」
 双刃がぐいと距離を詰めてきた。
 出会ったときと同じように。
 膝と膝が触れた衝撃で線香花火の火が落ちた。
 月に雲が掛かり、中庭に一瞬闇が満ちた。
 唇に柔らかな感触。
「おやすみなさい、誠さん」
 双刃は、誠の肩をするりと撫でてから去っていった。