蛇婿入り(仮題)


「さっきの、分家の坊ちゃんね。久しぶりにお顔を見たわ」
 相良和夫は、「定食さがら」の厨房で皿を拭きながら、声の方をちらりと見た。店内は、設置しているテーブルが全て埋まりそうなほど賑わっていた。
 本家の事件に、トンネル事故。この穏やかな村にはあまりにも似つかわしくない事件だ。
 今話していたのは、村で最も古い商店の奥方だ。この暑いのに、きっちりと着物を着込んでいる。普段この店に来るような人物ではない。事件もトンネルの事故もなければ、彼女はその生涯を終えるまでこの店の敷居をまたぐことはなかったに違いない。
 その向かいに座って、先ほどから炒り卵をつついているのはその隣家の米農家の妻だ。
「分家の旦那様にはちっとも似ていないわね」
「女見てぇな面だよな」口を挟んだのは、彼女たちの隣のテーブルに座っていた電気技師の男だ。村の電気設備のほとんどはこの男が修理している。
「大学に上がってから、あまり村では見かけなかったわよね」
「そうか?分家に行くといつも対応してくれたのは坊っちゃんだったぜ。家にこもってばっかりいるからあんな生白いんだ」
「それより、本家の……見た?」
「ああ。見た。村に来たとき双刃坊っちゃんと車に乗ってるところも見たぜ。あの女にそっくりだったよな」
「フン……あの女にね」
「あの女は金で雇われてきたようなものなのよ。自ら、進んで。それなのに……!」
「それにしても、生きていたなんて、正直驚きだわ」
「そうだなぁ。それにしてもなんで今頃……お跡目だって決まっているというに」
 本家の嫡男だった入洲丑満が、その妻と共に出奔したのが今から18年ほど前のことになる。
 和夫は、丑満のことはよく覚えていた。入洲の子供にしては活発な子供で、この店にも出入りしていた。丑満は、よく味噌ラーメンを注文していた。店に出しておいて何だが、このラーメンはどこからどう見たってインスタントで、味は企業努力の味といったところだった。しかし、丑満は喜んで食べていた。
 その後の本家の跡継ぎは、たしか分家の中から選ばれることになっていた。
「全くだわ。双刃坊っちゃんは何を考えているのかしら」
「昔からよく分らないところがある子だったからなぁ……今じゃ分家を背負って立つお立場だけど」