肌寒く感じたはずの外気が、今は暑い。心臓がバクバクと脈打って、背中を嫌な汗が伝っていく。
カバンがやけに重く感じる。中には遺書を書き殴ったノートが入っている。
俺が死んだとしたら、アレに殺されるのだ。
でも、一体誰が信じてくれるだろうか。
駅のホームにまで戻ると、やっと俺は息を吐くことができた。ここまで来たらもう大丈夫、と自分に言い聞かせる。
遠くで踏切の警報音がカンカンと鳴っている。
駅員さんがベンチに座って肩で息をしている俺を不思議そうに眺めている。
体は急速に冷えて、ガタガタと震え出す。
かつて、あの手の悪霊――と俺は呼ぶことにしている――が人を殺したとき、俺はそこに居合わせた。
手の悪霊は「次はお前だ」と俺にささやいた。
その低くてこの世のものならざる声を思い出して、再び大きく身震いする。
(いつ……)
いつだ。俺が殺されるのは。
少なくとも、今日ではないのか。
体を抱きしめる。
今日は、生きている。
空は快晴だった。
ホームに滑り込んだ電車から、朝練に向かうらしい何人かの生徒が降りてくる。
彼らにはあの手の悪霊は見えない。
信じられないことに、彼らは平然とその横をすり抜けていくのだ。
平和な生活を送る彼らと入れ替わるように、俺は電車に乗り込む。
電車の規則的な揺れに揺られていると、恐怖でぐちゃぐちゃになった頭が、少しずつ冷えていく。
スマートフォンを取り出して、アプリから欠席連絡を入れる。本来なら親がやることになっているが、俺は親のアカウントに自由にログインできた。
連絡を済ませると、今日はどこで時間を潰そうか、とぼんやりと考える。
家に帰って、学校に行かない理由を親に説明するような勇気はない。
今日も制服を脱いで、マックで時間を潰そう。
俺はパンパンのカバンをギュッと抱く。
目を閉じると、先ほど見た黒い腕がこちらに伸びてくるような気がした。
俺はぶるりと身震いした。
手の悪霊は毎日いるわけではない。
週に何度か、6時30分に現われる。
それは右手の日もあれば、左手の日もある。現れればその日1日はそこにいる。
何日に現れるのか、俺は全く予想ができない。
だからこうして毎朝確認して、出現していたら引き返してくるのである。
――6月7日。君は休むんだろう?
昨日言われた言葉が蘇る。彼の名前はなんといっただろうか。
「……安城万理」
俺は口の中でその名前を転がした。もしかしたら、彼は何かを知っているのだろうか。
その考えに至った瞬間、ぱあっと世界が明るくなった気がした。
もっと彼の話を強引にでも聞いておけばよかった。
そしたら――。
「助けてくれる……?」
自然と言葉が口から溢れた。生まれてはじめて、同じく視える人に出会えたかもしれないのだから。
