あと9日。
その夜、俺はカレンダーを睨みつけながら考え込んでいた。
今日は2025年8月10日。
つまり、安城は8月19日に危険な目に遭うということだ。
俺は頭を掻きむしる。
「情報が足りないってわけでもない……」
息を吐く。
この悪霊については、もうわかっていることの方が多い。
カウントが“0”になったら――。
脳裏に嫌なイメージが浮かんで、俺は首を振る。
「弱気になるな。まだ時間はある」
夜半までそうして部屋の中でぐるぐると歩きまわりながら思索していると、ふいにドアがノックされた。
「何時まで起きてんのよ。早く寝なさい」
ドアの向こうから母が顔を出す。
彼女は珍しく家に帰って来ていた。
「母さん……ごめん、うるさかった?」
「うるさいわよ。明日から出張だから、早めに寝かせてちょうだい」
「ごめん……」
俺がしおらしく謝ると、母は目を丸くする。
「なに、体調悪いの?」
「そ、そういうわけじゃないけど」
俺はしげしげと母を見る。
あのフィボナッチ数列の悪霊がエレベーターを破壊して以来、なんとなく母との距離が縮まっている気がしていたが、まさか体調を心配される日がくるとは思わなかった。
俺は小首を傾げる。
なんとなく、いまなら母に相談してみてもいいような気がした。
「母さんってさ、友達いる?」
母は口角をひくつかせる。
「あんたってほんとうに人をなんだと思ってんのよ……」
「いるんだ?」
「そりゃあ、いるわよ」
「もしその友達がさ、ええと、危ない目に遭うってわかったら、どうする?」
「気を付けてって言ってあげればいいじゃない」
「気を付けても、友達ひとりではどうにもならならないとしたら?」
母はさらりと言う。
「ほんとうに大切な人なら、助けてあげれば?」
「助けるって?」
「危ないって瞬間に、こう、こうよ、こう」
母は腕を突き出しては引っ込めるという動作を繰り返す。
俺は頬を掻く。
「ええと、飛び込めってこと?」
「そうよ。飛び込んで助けるの」
「……はぁ」
なんというか。
母らしいといえばそうなのか。
何も考えていないというべきなのか。
「うまくいくかわからないじゃん」
俺が唇を尖らせても、母はあっけらかんとしている。
「でも、ただ見てるだけよりいいわよ」
「……そうかなぁ。もっといい方法があると思うけど」
ぐずぐず言う俺に、母は呆れたように言う。
「んもう、もうなんでもいいわ。ほら、寝なさい」
「うん……。おやすみなさい」
俺はベッドにもぐりこむ。
母はそれを確認すると「おやすみ~」と言って電気を消していった。
ひそかにベッドの中でため息をつく。
母の考えは俺にはよくわからない。
暗闇の中、目をつむってみるが、ちっとも寝られる気がしなかった。
*
8月11日。
今日は陸人の地元で夏祭りがある。
俺はそれに誘われていたので、補習終わりに陸人の地元へ向かう電車に乗った。
雲一つない青空の向こうに、太陽が傾いていく。
俺は流れていく景色を見ながら、じっと安城のことを考えていた。
駅に着くと、もう陸人が改札の外で待っていた。
「やっほー和弥、元気してた?」
久しぶりに会う陸人は、健康的に日焼けしていた。
どうやら彼はしっかり夏休みを楽しんでいるようだ。
俺はため息をついてみせる。
「俺は補習まみれで頭が痛いよ」
「ふふ、大変そうだね」
陸人の笑顔を見て、俺はひがむ。
「他人事だと思ってさ。ひどいよ。陸人も赤点だと思ってたのに」
「ごめんごめん。本番で勘が冴えわたっちゃったみたい。勘で書いたところが全問正解」
俺は顔を両手で覆う。
「ずるすぎる……!」
「ごめんって。ねぇ、補習、いつまで?」
「ずっとだよ。ひとまず明日からお盆休みだけど、17日からまたやるんだ。30日まで。信じられないよ」
陸人は頬に手をあて、大げさに喜んでみせる。
「うわぁ。逃れられてよかった」
「恨んでやる……!」
「まぁそう言わず。ほら、今日は花火、僕の奢りだから」
「花火?」
「うん。うちの裏に空き地があってさ。屋台で適当に食べて遊んだあと、そこで花火しようよ」
俺は目を瞬かせる。
友達と夏祭りに行くというだけでも俺の人生でははじめてのことだというのに、さらに花火まで加わるとは。
楽しみすぎて、どぎまぎしてしまう。
「あ、ありがとう」
俺がもごもごと言うと、陸人は小首をかしげた。
「あれ、花火、嫌い?」
「いや。その……楽しみで」
俺がにやにやしながら言ったからだろうか、陸人はとっさに俺と距離をとる。
「僕に向けちゃだめだからね!」
「わかってるよ!」
「嘘だ! その顔はやるつもりだ!」
彼の顔があまりにも必死なので、俺は噴き出した。
お祭り会場はとても広かった。そして人も多くて、屋台を周るのも一苦労だった。
しかし、なんとか俺はたこ焼きとイカ焼きを買うことができた。
陸人はベビーカステラと焼きトウモロコシ、そして焼きそばと冷やしキュウリを買っていた。
お昼ご飯をいっしょに食べるようになって気が付いたが、陸人は小柄なわりによく食べる。
陸人が言う。
「あっちの階段で食べる?」
「そうしよう」
そうして空いている場所に腰を下ろすと、汗が噴き出してきた。
夜とはいえ、これだけ人が集まれば熱気で暑い。
俺は流れる汗を乱暴に袖で拭う。
「夏祭りって過酷なんだな」
俺が言うと、陸人が噴き出す。
「そう。過酷。間違いないね。万理くんは今日は来ないの?」
「ん? あ、ああ。誘ったけど、来ないってさ」
「夏休み中、忙しいんだ? オープンキャンパスとか行ってるのかなぁ」
「うーん……たぶん、もっと他のことで忙しいのかも」
抗議文の執筆とかな。
事情を知らない陸人は無邪気に問う。
「え? なに? 万理くん、いまなにしてるの?」
俺はその無邪気な顔を見て、はたと気が付く。
「そういえば、陸人って、安城のこと、割と好きだよな」
「え? そう? ふつうじゃない?」
「安城のこと、けっこう知りたがるし、関わりたがるし……」
「クラスメイトなんだから、当たり前だよ」
「安城って、変人だから、割と賛否別れてないか?」
少しずつクラスになじみ始めて、俺なりに分析すると、安城への評価は賛が4割、否が6割だ。
ちなみに否の6割は「融通が利かない」という一点に尽きるが。
陸人は笑う。
「せっかく同じクラスになったんだもん。せっかくなら全員と仲良くなりたいよ」
「そうかぁ?」
「うん。万理くんとも。それに、和弥とも。そう思って話しかけ続けたおかげで、こうして和弥と夏祭りに来れたわけだし」
俺は鼻の頭を掻く。
「……なるほどなぁ。博愛主義っていうやつ? 陸人もけっこう変人だったんだな」
「ええ!? そんなの、はじめて言われたよ!?」
基本的に友達がいない俺からすると、ものすごい変人だ。
その夜、俺はカレンダーを睨みつけながら考え込んでいた。
今日は2025年8月10日。
つまり、安城は8月19日に危険な目に遭うということだ。
俺は頭を掻きむしる。
「情報が足りないってわけでもない……」
息を吐く。
この悪霊については、もうわかっていることの方が多い。
カウントが“0”になったら――。
脳裏に嫌なイメージが浮かんで、俺は首を振る。
「弱気になるな。まだ時間はある」
夜半までそうして部屋の中でぐるぐると歩きまわりながら思索していると、ふいにドアがノックされた。
「何時まで起きてんのよ。早く寝なさい」
ドアの向こうから母が顔を出す。
彼女は珍しく家に帰って来ていた。
「母さん……ごめん、うるさかった?」
「うるさいわよ。明日から出張だから、早めに寝かせてちょうだい」
「ごめん……」
俺がしおらしく謝ると、母は目を丸くする。
「なに、体調悪いの?」
「そ、そういうわけじゃないけど」
俺はしげしげと母を見る。
あのフィボナッチ数列の悪霊がエレベーターを破壊して以来、なんとなく母との距離が縮まっている気がしていたが、まさか体調を心配される日がくるとは思わなかった。
俺は小首を傾げる。
なんとなく、いまなら母に相談してみてもいいような気がした。
「母さんってさ、友達いる?」
母は口角をひくつかせる。
「あんたってほんとうに人をなんだと思ってんのよ……」
「いるんだ?」
「そりゃあ、いるわよ」
「もしその友達がさ、ええと、危ない目に遭うってわかったら、どうする?」
「気を付けてって言ってあげればいいじゃない」
「気を付けても、友達ひとりではどうにもならならないとしたら?」
母はさらりと言う。
「ほんとうに大切な人なら、助けてあげれば?」
「助けるって?」
「危ないって瞬間に、こう、こうよ、こう」
母は腕を突き出しては引っ込めるという動作を繰り返す。
俺は頬を掻く。
「ええと、飛び込めってこと?」
「そうよ。飛び込んで助けるの」
「……はぁ」
なんというか。
母らしいといえばそうなのか。
何も考えていないというべきなのか。
「うまくいくかわからないじゃん」
俺が唇を尖らせても、母はあっけらかんとしている。
「でも、ただ見てるだけよりいいわよ」
「……そうかなぁ。もっといい方法があると思うけど」
ぐずぐず言う俺に、母は呆れたように言う。
「んもう、もうなんでもいいわ。ほら、寝なさい」
「うん……。おやすみなさい」
俺はベッドにもぐりこむ。
母はそれを確認すると「おやすみ~」と言って電気を消していった。
ひそかにベッドの中でため息をつく。
母の考えは俺にはよくわからない。
暗闇の中、目をつむってみるが、ちっとも寝られる気がしなかった。
*
8月11日。
今日は陸人の地元で夏祭りがある。
俺はそれに誘われていたので、補習終わりに陸人の地元へ向かう電車に乗った。
雲一つない青空の向こうに、太陽が傾いていく。
俺は流れていく景色を見ながら、じっと安城のことを考えていた。
駅に着くと、もう陸人が改札の外で待っていた。
「やっほー和弥、元気してた?」
久しぶりに会う陸人は、健康的に日焼けしていた。
どうやら彼はしっかり夏休みを楽しんでいるようだ。
俺はため息をついてみせる。
「俺は補習まみれで頭が痛いよ」
「ふふ、大変そうだね」
陸人の笑顔を見て、俺はひがむ。
「他人事だと思ってさ。ひどいよ。陸人も赤点だと思ってたのに」
「ごめんごめん。本番で勘が冴えわたっちゃったみたい。勘で書いたところが全問正解」
俺は顔を両手で覆う。
「ずるすぎる……!」
「ごめんって。ねぇ、補習、いつまで?」
「ずっとだよ。ひとまず明日からお盆休みだけど、17日からまたやるんだ。30日まで。信じられないよ」
陸人は頬に手をあて、大げさに喜んでみせる。
「うわぁ。逃れられてよかった」
「恨んでやる……!」
「まぁそう言わず。ほら、今日は花火、僕の奢りだから」
「花火?」
「うん。うちの裏に空き地があってさ。屋台で適当に食べて遊んだあと、そこで花火しようよ」
俺は目を瞬かせる。
友達と夏祭りに行くというだけでも俺の人生でははじめてのことだというのに、さらに花火まで加わるとは。
楽しみすぎて、どぎまぎしてしまう。
「あ、ありがとう」
俺がもごもごと言うと、陸人は小首をかしげた。
「あれ、花火、嫌い?」
「いや。その……楽しみで」
俺がにやにやしながら言ったからだろうか、陸人はとっさに俺と距離をとる。
「僕に向けちゃだめだからね!」
「わかってるよ!」
「嘘だ! その顔はやるつもりだ!」
彼の顔があまりにも必死なので、俺は噴き出した。
お祭り会場はとても広かった。そして人も多くて、屋台を周るのも一苦労だった。
しかし、なんとか俺はたこ焼きとイカ焼きを買うことができた。
陸人はベビーカステラと焼きトウモロコシ、そして焼きそばと冷やしキュウリを買っていた。
お昼ご飯をいっしょに食べるようになって気が付いたが、陸人は小柄なわりによく食べる。
陸人が言う。
「あっちの階段で食べる?」
「そうしよう」
そうして空いている場所に腰を下ろすと、汗が噴き出してきた。
夜とはいえ、これだけ人が集まれば熱気で暑い。
俺は流れる汗を乱暴に袖で拭う。
「夏祭りって過酷なんだな」
俺が言うと、陸人が噴き出す。
「そう。過酷。間違いないね。万理くんは今日は来ないの?」
「ん? あ、ああ。誘ったけど、来ないってさ」
「夏休み中、忙しいんだ? オープンキャンパスとか行ってるのかなぁ」
「うーん……たぶん、もっと他のことで忙しいのかも」
抗議文の執筆とかな。
事情を知らない陸人は無邪気に問う。
「え? なに? 万理くん、いまなにしてるの?」
俺はその無邪気な顔を見て、はたと気が付く。
「そういえば、陸人って、安城のこと、割と好きだよな」
「え? そう? ふつうじゃない?」
「安城のこと、けっこう知りたがるし、関わりたがるし……」
「クラスメイトなんだから、当たり前だよ」
「安城って、変人だから、割と賛否別れてないか?」
少しずつクラスになじみ始めて、俺なりに分析すると、安城への評価は賛が4割、否が6割だ。
ちなみに否の6割は「融通が利かない」という一点に尽きるが。
陸人は笑う。
「せっかく同じクラスになったんだもん。せっかくなら全員と仲良くなりたいよ」
「そうかぁ?」
「うん。万理くんとも。それに、和弥とも。そう思って話しかけ続けたおかげで、こうして和弥と夏祭りに来れたわけだし」
俺は鼻の頭を掻く。
「……なるほどなぁ。博愛主義っていうやつ? 陸人もけっこう変人だったんだな」
「ええ!? そんなの、はじめて言われたよ!?」
基本的に友達がいない俺からすると、ものすごい変人だ。
