夏休みだ。
高校生活で、たった3回しかない、貴重な夏休みだ。
クラスメイトたちは通知表を受け取るやいなや、遊びに勉強に家族旅行に、夏休みのスケジュールを埋めるのに忙しい。
俺だって高校2年生。おまけに最近は陸人をはじめとして友人と呼べる存在が増えてきている。
スケジュールに遊びの予定のひとつやふたつ入れてもおかしくはない。
しかし――。
「赤点をとった科目は補習があるからそのつもりで」
担任の無情な言葉に、俺は顔を真っ青にした。
そう。3教科で赤点をたたき出した俺の夏休みのスケジュールは、補習で埋まってしまったのだった。
「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、まさか赤点とは」
午前中の補習を終えて教室でコンビニの弁当を広げていると、安城が乗り込んできて当然のように向かいの席に座った。
そして尊大に皮肉を言う。
「動物園のサルの方がまだいい点数が取れそうだな」
「うるさいなぁ……」
教室にいるのは補習を命じられた哀れな生徒十数名。
全教科で1位をたたき出した安城万理からするとサル以下に見えるのだろう。
「運動は苦手だが勉学に秀でる者が多い我がクラスの恥とは君のことだ」
「言いすぎだぞ」
「事実だ」
俺は言葉につまる。
事実、テスト終わりに「絶対に赤点だ」と騒いでいた陸人は赤点を逃れたどころか平均点以上あった。
友人の「全然勉強してない」というのを信じてはいけないとは、こういうことか。
「やってられないよ……ほんと」
俺は肩を落とした。
ため息とともに、俺はコロッケを口に運ぶ。
コンビニのコロッケとはいえ、最近のはなかなかクオリティが高い。
とはいえこんな場所で食べている以上「おいしい」という評価にはならないが。
俺はもそもそと咀嚼しながら「なんで今日も安城が学校にいるんだよ」と尋ねる。
「よくぞ聞いてくれた」
安城は両手を広げる。
「僕は同好会活動中だ」
「はぁ」
「具体的に聞きたいか?」
「遠慮しとくよ」
「だめだ。聞け」
「ちょっと」
俺の抗議むなしく、安城は誇らしげに語りだす。
「今日は抗議活動の日だ。ジェンダーレス制服導入の件で職員室に再抗議に行く。スカートを履いて、な」
「……聞かなきゃよかった」
安城のスカート姿を想像しそうになって、全力で首を振る。
安城は続ける。
「そもそもジェンダーレスをうたっておきながら、なぜ女子にだけ選択肢が与えられるのだ? おかしいだろう。もっと我々は怒らなければ――」
彼は差別についてつらつらと、多角的に語る。
歴史的にどうだ、地域的にどうだ……。その話はまとめれば一本の論文になるかもしれないくらいだ。
ぜひまとめて論文として発表してほしい――俺のいないところで。
俺はげんなりとしながら彼の話を聞いた。
短い付き合いだが、こうなった安城を止めるのは不可能だとわかっていた。
安城は気持ちよく語ったあと、いい笑顔で俺の肩を叩く。
「というわけだから、君も我が同好会に入会すると良い」
「遠慮しておきます」
俺が即答すると、安城は唇を尖らせる。
「なんだ、つまらん」
「入会は保留って決めただろ」
俺が入会するか否かは、次にまた悪霊を見つけたときの推理対決の結果に委ねられている。
安城は天を仰ぐ。
「悪霊というのも、探してみるといないものだな」
あれから、安城は妙な事件や事故のニュースを見つけてきては補習終わりの俺を現場に連れていくが、いまのところ悪霊には出くわしていない。
俺は肩をすくめる。
「いない方がありがたいよ」
マンションにいたあの女の悪霊は順当に部屋を移動していつの間にか消えていた。
そしてショッピングモールの悪霊もいまのところ次の犠牲者を出していない。
いま身近にいる悪霊といえば、学校の手の悪霊くらいだ。
俺は久しぶりに悪霊に怯えることのない快適な生活を送れている。ずっとこの生活が続くことを願うばかりだ。
しかし、安城はそうではないらしい。
彼はうなる。
「そうかもしれないが、いまばかりは、困る。勝負がつかない」
「まぁ、それはそれでいいことだよ。俺にとっては」
「ふん」
安城はぐっと体を伸ばすと、すっと立ち上がった。
「まぁ、いい。僕は忙しいから、もう行く」
「毎日毎日昼に来なくていいよ」
夏休みになってから補習続きの俺に、彼は毎日会いに来る。
彼は口角を上げた。
「それはだめだ。人間というものは自分より劣っている存在を見ることがひとつの愉悦なのだから」
「うわぁ嫌なやつぅ……」
「なんとでも言え」
そうして、安城は毒を吐くだけ吐いて去っていった。
まったく。
その日の補習は6限目までだった。
俺は教室を出ると、安城が同好会の活動場所にしている数学準備室に向かった。
約束しているわけではないが、毎日どちらともなく早く用事を終えた方が迎えに行って駅までいっしょに帰るようになっていた。
「安城~?」
覗き込むが、数学準備室には誰もいなかった。
「あれ」
しかし、別に約束しているわけでもないし、家の方向が同じというわけでもない。
俺は安城のことは放っておいて生徒玄関に向かった。
途中、職員室の前を通ると、そこに安城の姿があった。
複数の先生に囲まれ「まったくお前というやつは。いい加減にしなさい」と小言をもらっている。
彼の下半身がどうなっているか見ようとして、やめた。
見たら夢に出てきそうだ。
そのまま俺は職員室の前を通り過ぎようとしたとき、視界の端に妙なものを捕えた。
「あ……」
――職員室の中に、悪霊がいた。
俺は目を瞬かせる。
それは、見覚えのある悪霊だった。
両手で数を示す、その姿。
はじめて視たのは、はるか昔だったが――。
その悪霊の顛末を思い出した途端、背筋が凍った。
そして、その悪霊が一心に見つめているのは――安城万理だ。
「……どうしよう」
俺は奥歯を噛み締めた。
高校生活で、たった3回しかない、貴重な夏休みだ。
クラスメイトたちは通知表を受け取るやいなや、遊びに勉強に家族旅行に、夏休みのスケジュールを埋めるのに忙しい。
俺だって高校2年生。おまけに最近は陸人をはじめとして友人と呼べる存在が増えてきている。
スケジュールに遊びの予定のひとつやふたつ入れてもおかしくはない。
しかし――。
「赤点をとった科目は補習があるからそのつもりで」
担任の無情な言葉に、俺は顔を真っ青にした。
そう。3教科で赤点をたたき出した俺の夏休みのスケジュールは、補習で埋まってしまったのだった。
「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、まさか赤点とは」
午前中の補習を終えて教室でコンビニの弁当を広げていると、安城が乗り込んできて当然のように向かいの席に座った。
そして尊大に皮肉を言う。
「動物園のサルの方がまだいい点数が取れそうだな」
「うるさいなぁ……」
教室にいるのは補習を命じられた哀れな生徒十数名。
全教科で1位をたたき出した安城万理からするとサル以下に見えるのだろう。
「運動は苦手だが勉学に秀でる者が多い我がクラスの恥とは君のことだ」
「言いすぎだぞ」
「事実だ」
俺は言葉につまる。
事実、テスト終わりに「絶対に赤点だ」と騒いでいた陸人は赤点を逃れたどころか平均点以上あった。
友人の「全然勉強してない」というのを信じてはいけないとは、こういうことか。
「やってられないよ……ほんと」
俺は肩を落とした。
ため息とともに、俺はコロッケを口に運ぶ。
コンビニのコロッケとはいえ、最近のはなかなかクオリティが高い。
とはいえこんな場所で食べている以上「おいしい」という評価にはならないが。
俺はもそもそと咀嚼しながら「なんで今日も安城が学校にいるんだよ」と尋ねる。
「よくぞ聞いてくれた」
安城は両手を広げる。
「僕は同好会活動中だ」
「はぁ」
「具体的に聞きたいか?」
「遠慮しとくよ」
「だめだ。聞け」
「ちょっと」
俺の抗議むなしく、安城は誇らしげに語りだす。
「今日は抗議活動の日だ。ジェンダーレス制服導入の件で職員室に再抗議に行く。スカートを履いて、な」
「……聞かなきゃよかった」
安城のスカート姿を想像しそうになって、全力で首を振る。
安城は続ける。
「そもそもジェンダーレスをうたっておきながら、なぜ女子にだけ選択肢が与えられるのだ? おかしいだろう。もっと我々は怒らなければ――」
彼は差別についてつらつらと、多角的に語る。
歴史的にどうだ、地域的にどうだ……。その話はまとめれば一本の論文になるかもしれないくらいだ。
ぜひまとめて論文として発表してほしい――俺のいないところで。
俺はげんなりとしながら彼の話を聞いた。
短い付き合いだが、こうなった安城を止めるのは不可能だとわかっていた。
安城は気持ちよく語ったあと、いい笑顔で俺の肩を叩く。
「というわけだから、君も我が同好会に入会すると良い」
「遠慮しておきます」
俺が即答すると、安城は唇を尖らせる。
「なんだ、つまらん」
「入会は保留って決めただろ」
俺が入会するか否かは、次にまた悪霊を見つけたときの推理対決の結果に委ねられている。
安城は天を仰ぐ。
「悪霊というのも、探してみるといないものだな」
あれから、安城は妙な事件や事故のニュースを見つけてきては補習終わりの俺を現場に連れていくが、いまのところ悪霊には出くわしていない。
俺は肩をすくめる。
「いない方がありがたいよ」
マンションにいたあの女の悪霊は順当に部屋を移動していつの間にか消えていた。
そしてショッピングモールの悪霊もいまのところ次の犠牲者を出していない。
いま身近にいる悪霊といえば、学校の手の悪霊くらいだ。
俺は久しぶりに悪霊に怯えることのない快適な生活を送れている。ずっとこの生活が続くことを願うばかりだ。
しかし、安城はそうではないらしい。
彼はうなる。
「そうかもしれないが、いまばかりは、困る。勝負がつかない」
「まぁ、それはそれでいいことだよ。俺にとっては」
「ふん」
安城はぐっと体を伸ばすと、すっと立ち上がった。
「まぁ、いい。僕は忙しいから、もう行く」
「毎日毎日昼に来なくていいよ」
夏休みになってから補習続きの俺に、彼は毎日会いに来る。
彼は口角を上げた。
「それはだめだ。人間というものは自分より劣っている存在を見ることがひとつの愉悦なのだから」
「うわぁ嫌なやつぅ……」
「なんとでも言え」
そうして、安城は毒を吐くだけ吐いて去っていった。
まったく。
その日の補習は6限目までだった。
俺は教室を出ると、安城が同好会の活動場所にしている数学準備室に向かった。
約束しているわけではないが、毎日どちらともなく早く用事を終えた方が迎えに行って駅までいっしょに帰るようになっていた。
「安城~?」
覗き込むが、数学準備室には誰もいなかった。
「あれ」
しかし、別に約束しているわけでもないし、家の方向が同じというわけでもない。
俺は安城のことは放っておいて生徒玄関に向かった。
途中、職員室の前を通ると、そこに安城の姿があった。
複数の先生に囲まれ「まったくお前というやつは。いい加減にしなさい」と小言をもらっている。
彼の下半身がどうなっているか見ようとして、やめた。
見たら夢に出てきそうだ。
そのまま俺は職員室の前を通り過ぎようとしたとき、視界の端に妙なものを捕えた。
「あ……」
――職員室の中に、悪霊がいた。
俺は目を瞬かせる。
それは、見覚えのある悪霊だった。
両手で数を示す、その姿。
はじめて視たのは、はるか昔だったが――。
その悪霊の顛末を思い出した途端、背筋が凍った。
そして、その悪霊が一心に見つめているのは――安城万理だ。
「……どうしよう」
俺は奥歯を噛み締めた。
