――安城のことを、俺はよく知らない。
数学が好きで、学級委員長で、フェアじゃないことが嫌いで。
それ以上のことは知らない。
彼は俺の友達なのかもしれないし、ただのクラスメイトなのかもしれない。
でも、彼が寂しそうに笑う顔を見て、もっとなにか彼のためにできることがあるのではないかと思った。
安城は、俺を悪霊の恐怖から救ってくれた人だ。
恩返しと呼ぶほど大げさではないにしても、彼のためになにかをしなくてはいけない気がするのだ。
翌日、俺はその気持ちに突き動かされるように、例のショッピングモールに向かった。
ショッピングモールは相変わらず閑散としていて、どの店も閉店セールをしている。
安城の祖父の死因――悪霊につながりそうなものは何もない。
一通りショッピングモールを見て回ったあと、再びあのバーガーショップの2階席に座った。
やはり、そこからはよく悪霊が視える。
悪霊は一昨日と変わらず、同じ場所で同じように立ち尽くしている。
「足りないんだよな。情報が」
ストローを噛み潰しながら、俺は考えを巡らせる。
「防犯カメラには、被害者が自分からフェンスを越える様子が映っていた……。きっと悪霊が呼び寄せているんだ。なら、どう呼んでいるのかを知ることができたら……」
腕を組んで、背もたれに身を預ける。
悪霊が人を呼ぶ。
どうやって。
「たぶん、四六時中、呼んでいるわけじゃない」
それは、過去の悪霊の例から考えても妥当な推理だ。
悪霊たちは、みな人間を殺しすぎないように、一定の間隔があくようにして人間を殺していた。
それに、いまあの悪霊が人を呼んでいるようには視えない。
「うーん……そこまでの推理はあってると思うけど、それ以上は……」
安城ならもっと別の角度から推理をするだろう。
しかし、彼はもうこの件を終わらせるつもりみたいだった。
今日学校で彼に声をかけたが「今回は諦めることだな」と言われてしまった。
「諦めてもいいけどさ……あんな顔されたんじゃ、諦められないよ」
俺は目を抑えた。
「俺には、視るしかできないんだし」
カップに残ったジュースを一気に飲み干すと、俺は立ち上がった。
「――もっと近くで視てみよう」
それしかない。
バーガーショップから、国道を渡ってショッピングモールへ。
途中何度か見上げると、変わらず悪霊は人間にそっくりな姿でそこに立っていた。
(近くで視ても、なにも変わらないかも)
そう思っていたが、その悪霊を正面から見据えたとき、俺は凍り付いた。
スーツを着た、男。
その男が屋上のフェンスの外側で悄然と立ち尽くしている。
俺はその姿を見上げる。
いままで、横顔しか視えていなくて気が付かなかった。
俺はごくりと唾を飲み込む。
俺は信じられない気持ちでそれを見つめた。
男の顔の向こうに、青空が見えた。
――男の顔の中心には、穴が開いていたのだ。
恐ろしさで、どうにかなってしまったのが半分。
勉強しすぎて、ちょっと馬鹿になっていたのが半分。
「開管……」
ぽろりと口からこぼれ出たのは、物理で習った単語だった。
男の顔に開いた穴から、風が抜けていく気がした。
*
すべてのテストが終わった次の日は、早朝から強い北風が吹く日だった。
俺と安城は学校を休んでショッピングモールに来ていた。
時刻は午前9時。
開店時刻である。
「ほんとうにやるのか?」
隣を歩く安城は少しだけ不安そうだ。こんな彼は珍しい。
「大丈夫だよ。俺の目を信じてよ」
俺は胸を叩く。
しかし、実のところ俺も不安はある。
それでも俺は彼を説得して引っ張ってきた身なので、そんなそぶりは見せずにずんずんと足を進めた。
スーツ姿の悪霊は、今日も悄然と屋上の端に立ち尽くしている。
俺たちはそれを下から見上げる。
男の顔の中央にぽっかりと開いた穴。
その中を風が吹き抜け、振動が、音が生まれる。
それは思っていたよりもずっと――美しい音色だった。
俺はその音に導かれるようにして一歩目を踏み出す。
音はよりいっそう深い音色となって俺を誘う。
まるで人魚の歌声のように。
俺は夢見心地で足を進めた。
後ろで安城が何事かを叫んでいる。
しかし、もう俺は止められない。
誘われるまま、ショッピングモールに入り、2階にあがり、そして、屋上へ続く扉の前に立つ。
チェーンは、俺が手をかざすと簡単に地に落ち、鍵がかかっているはずのドアもたやすく開いた――俺を招き入れるように。
屋上に立つ。
風が吹き抜ける。
音はいっそう大きく鳴り響く。
悪霊は悄然と立っている。
そこに行かなければ。
俺がさらに足を出した瞬間。
――安城の手で耳栓を押し込められた。
途端、俺は歩みを止める。
世界がひどく静かになると、それまで俺を突き動かしていたものも消えた。
その隙に、安城は俺の手を引いてショッピングモールを出た。
数学が好きで、学級委員長で、フェアじゃないことが嫌いで。
それ以上のことは知らない。
彼は俺の友達なのかもしれないし、ただのクラスメイトなのかもしれない。
でも、彼が寂しそうに笑う顔を見て、もっとなにか彼のためにできることがあるのではないかと思った。
安城は、俺を悪霊の恐怖から救ってくれた人だ。
恩返しと呼ぶほど大げさではないにしても、彼のためになにかをしなくてはいけない気がするのだ。
翌日、俺はその気持ちに突き動かされるように、例のショッピングモールに向かった。
ショッピングモールは相変わらず閑散としていて、どの店も閉店セールをしている。
安城の祖父の死因――悪霊につながりそうなものは何もない。
一通りショッピングモールを見て回ったあと、再びあのバーガーショップの2階席に座った。
やはり、そこからはよく悪霊が視える。
悪霊は一昨日と変わらず、同じ場所で同じように立ち尽くしている。
「足りないんだよな。情報が」
ストローを噛み潰しながら、俺は考えを巡らせる。
「防犯カメラには、被害者が自分からフェンスを越える様子が映っていた……。きっと悪霊が呼び寄せているんだ。なら、どう呼んでいるのかを知ることができたら……」
腕を組んで、背もたれに身を預ける。
悪霊が人を呼ぶ。
どうやって。
「たぶん、四六時中、呼んでいるわけじゃない」
それは、過去の悪霊の例から考えても妥当な推理だ。
悪霊たちは、みな人間を殺しすぎないように、一定の間隔があくようにして人間を殺していた。
それに、いまあの悪霊が人を呼んでいるようには視えない。
「うーん……そこまでの推理はあってると思うけど、それ以上は……」
安城ならもっと別の角度から推理をするだろう。
しかし、彼はもうこの件を終わらせるつもりみたいだった。
今日学校で彼に声をかけたが「今回は諦めることだな」と言われてしまった。
「諦めてもいいけどさ……あんな顔されたんじゃ、諦められないよ」
俺は目を抑えた。
「俺には、視るしかできないんだし」
カップに残ったジュースを一気に飲み干すと、俺は立ち上がった。
「――もっと近くで視てみよう」
それしかない。
バーガーショップから、国道を渡ってショッピングモールへ。
途中何度か見上げると、変わらず悪霊は人間にそっくりな姿でそこに立っていた。
(近くで視ても、なにも変わらないかも)
そう思っていたが、その悪霊を正面から見据えたとき、俺は凍り付いた。
スーツを着た、男。
その男が屋上のフェンスの外側で悄然と立ち尽くしている。
俺はその姿を見上げる。
いままで、横顔しか視えていなくて気が付かなかった。
俺はごくりと唾を飲み込む。
俺は信じられない気持ちでそれを見つめた。
男の顔の向こうに、青空が見えた。
――男の顔の中心には、穴が開いていたのだ。
恐ろしさで、どうにかなってしまったのが半分。
勉強しすぎて、ちょっと馬鹿になっていたのが半分。
「開管……」
ぽろりと口からこぼれ出たのは、物理で習った単語だった。
男の顔に開いた穴から、風が抜けていく気がした。
*
すべてのテストが終わった次の日は、早朝から強い北風が吹く日だった。
俺と安城は学校を休んでショッピングモールに来ていた。
時刻は午前9時。
開店時刻である。
「ほんとうにやるのか?」
隣を歩く安城は少しだけ不安そうだ。こんな彼は珍しい。
「大丈夫だよ。俺の目を信じてよ」
俺は胸を叩く。
しかし、実のところ俺も不安はある。
それでも俺は彼を説得して引っ張ってきた身なので、そんなそぶりは見せずにずんずんと足を進めた。
スーツ姿の悪霊は、今日も悄然と屋上の端に立ち尽くしている。
俺たちはそれを下から見上げる。
男の顔の中央にぽっかりと開いた穴。
その中を風が吹き抜け、振動が、音が生まれる。
それは思っていたよりもずっと――美しい音色だった。
俺はその音に導かれるようにして一歩目を踏み出す。
音はよりいっそう深い音色となって俺を誘う。
まるで人魚の歌声のように。
俺は夢見心地で足を進めた。
後ろで安城が何事かを叫んでいる。
しかし、もう俺は止められない。
誘われるまま、ショッピングモールに入り、2階にあがり、そして、屋上へ続く扉の前に立つ。
チェーンは、俺が手をかざすと簡単に地に落ち、鍵がかかっているはずのドアもたやすく開いた――俺を招き入れるように。
屋上に立つ。
風が吹き抜ける。
音はいっそう大きく鳴り響く。
悪霊は悄然と立っている。
そこに行かなければ。
俺がさらに足を出した瞬間。
――安城の手で耳栓を押し込められた。
途端、俺は歩みを止める。
世界がひどく静かになると、それまで俺を突き動かしていたものも消えた。
その隙に、安城は俺の手を引いてショッピングモールを出た。
