視える系男子・古屋和弥は解かれたい

 翌日、俺はいつもどおり学校へ行き、いつもどおりに陸人と会話をして、いつもどおり授業を受けていた。
 いや、いくつかはいつもどおりとは言えない。
 陸人は昨日あれから安城とどんな会話をしたのか知りたがったし、クラスメイトもどこか好奇の視線を向けてきている。
 俺は「なにもない! 安城万理が変人だからそんなことを言いだしただけ!」と大声で叫んでアピールする必要があった。

 そしてそれを何度か叫びながら、俺は内心ではずっと機をうかがっていた。
 安城は俺の叫び声など届かない様子で、澄ました顔で過ごしている。
 何度か話しかけに行ってみたが、「君とはいまはライバルだから会話しない」の一点張りであった。
 ――つまり、彼の情報を得るには、やるしかない。

 しかしいつまで経っても決心がつかず、ぐずぐずとためらっていた。
 すると、あっという間に今日最後の授業になってしまった。
 今日最後の授業は、体育だった。
 試合形式でテニスをするという内容だ。
 7月、蝉も鳴かないほどの暑さだ。
 俺たちはみんな汗びっしょりになりながら、だらだらとラケットを振っていた。
 俺はラケットをじっと見つめた。
 これは、ちょうどいい気がした。
 そう。
 ちょっと悪さをして、ちょっとだけ生徒指導室送りにしてもらうのにちょうどいい。

 俺は自分の試合を終えてひとまず体育の点数を稼いだあと、ついに作戦の決行を決意した。
 俺はラケットを握りしめると、その場で「あああああ!」と奇声を上げた。
 隣にいた陸人は仰天する。
「和弥!? ちょ、どうしたの!?」
 彼を無視して、俺は地面をラケットでめちゃくちゃに叩いて回る。
 クラスメイトや教師たちは「なんだなんだ」と俺に視線を向ける。
 しかし、俺はそれに頓着しない。
 激しくラケットを振り回して、地面にネットに、ベンチに、人以外のものを片っ端から叩いていく。

 そして、ひととおり思いつく悪事をやり切ったところで、俺は体育教師に首根っこを文字通り掴まれて――生徒指導室ではなく、保健室に運び込まれてしまった。
 保健室に同行してくれた陸人はずっと俺のことを心配していた。
「和弥、大丈夫……?」
 ベッドに横になって、ぼんやりと天井を眺めながら、俺は頷く。
「うん」
 計画失敗もいいところだ。
 俺は意気消沈していた。
 陸人はさらに問う。
「どこか打った?」
「いや……なんでもないんだよ」
 かすれた声で答えると、養護教諭が顔を覗かせる。
「熱中症かもしれないから、水を飲んでね」
「あ、はい」
 陸人が尋ねる。
「熱中症で急に暴れることってあるんですか?」
 養護教諭は肩をすくめる。
「さぁね。それか、試合に熱くなりすぎちゃったのかもね」
「ああ……和弥、ストレート負けだったもんね」
 哀れっぽい視線を向けられて、俺はすぐさま否定した。
「いや、その、試合はなんにも関係ないんだけど」
 しかし、陸人の耳には届かない。
「悔しかったのかぁ。和弥って意外と負けず嫌い?」
「聞いてよ」
「ストレート負けでも、自棄になっちゃだめだよ」
「なってないよ」

 そうこう言い合っていると、保健室のドアがノックされた。
「2年B組の安城万理です。古屋の荷物を持ってきました」
 養護教諭が振り返る。
「あら、ありがとうね。もう7限目だからこのまま家に帰すから、担任の先生にもそう伝えておいてくれる?」
「はい」
 安城はいかにも学級委員長といった様子で頷いたあと、首を傾げた。
「僕、もしよければ古屋を家に送りますよ」
「ええ? でも」
「古屋の家の人、忙しいから迎えに来られないですよね?」
 養護教諭は黙る。
 そう、先ほど母親に電話したが、あいにく母はいつものように海外出張中で電話がつながらなかったのだ。
 養護教諭はおずおずと俺を見る。
「古屋くん、どうする? 安城くんがそう言ってくれているけど……」
「……お願いします」
 俺がぺこりと頭を下げると、養護教諭はほっとしたように息を吐いた。

 いっしょに帰ると言い張る陸人をなんとかなだめて別れたあと、俺と安城は連れ立って校門をくぐった。
 俺は手ぶらで、安城は後ろに彼自身のリュック、そして右手に俺のバッグを持っている。
 はた目から見れば、甲斐甲斐しく体調不良のクラスメイトの世話をする学級委員長だ。
 しかし、それも学校を離れれば態度が急変する。
 駅に着いた瞬間、彼はバッグを俺に押し付けて、片眉を跳ね上げた。
「それで? 生徒指導室に行きたかった理由はなんだ?」
「……ばれてるのかよ」
「なんの情報目当てだ?」
 俺は顔をしかめる。

 対照的に、安城は得意げだ。
「生徒指導室には生徒の個人情報が書かれた書類があると教えたのはこの僕だからな。しかし、もっとうまくやるべきだったな。保健室では、たいした情報は盗めない」
「好きで保健室に運ばれたわけじゃない……」
「はっきり言うが、ストレート負けしたあとに暴れるなんて、保健室以外に運ぶ場所なんてない。計画が杜撰だ」
「……あっそう」
「それで? なにを調べようとした」
 ぐっと身を乗り出して尋ねられて、俺は観念した。
「安城の……お父さんの名前、とか」
「僕の父の名前は千道だ」
 あっさりと言われて、俺は肩の力が抜けた。
「……そっか」
 それは、俺が予想した名前ではなかった。
 安城はさらに言う。
「祖父の名前は、安城十証だ。この名前を聞きたかったんだろう?」
 俺は唾を飲み込んだ。

 その名前は、10年前の最初の被害者の名前だ。
 俺は安城を見つめる。
「だから、俺に調べられたくなかったんだな。ご丁寧に情報をまとめた紙まで俺に渡してさ」
 淡々と、安城は言う。
「そうだ。別に隠すほどのことではないがな。君にそんな同情の目を向けられたくなかったというだけの話だ」
「……同情の目なんて向けてないけど」
「どうだか」
 安城に言われて、俺は自分の目をこする。
 彼を可哀そうに思わなかったと言えば、嘘になる。

「ええと」
 なにかを言おうと思ったが、言葉が続かない。
 そんな俺を見て、安城はふっと笑う。
「僕はただ……祖父の死の真相を知りたかったんだ」
「それは……」
 安城は前髪をかき上げて、話しだす。
「10年前、僕は祖父と喧嘩をしたんだ」
 駅に電車が滑り込んできて、同じ制服を着た生徒たちが吸い込まれていく。
 俺たちはその波に取り残されるようにして向き合う。

「今思うと、くだらない言い合いだった。僕はまだ7歳で、いろいろなことを理解していなかったんだ。……その日、言い合いの果てに、僕は祖父に向かって「いなくなれ」と叫んだんだ」
「あ……」
 安城の目は、か細く揺れる。
 彼は息を吐く。痛みをごまかすかのように。
「ずっと、祖父の死は、僕のせいなのではないかと」
 その声は震えている。
 俺は思わず彼の肩に手を伸ばす。
 俺よりも頭ひとつぶん身長が高いが、いまは彼はずっと小さく見えた。
 彼は俺の手に手を重ねると、力を抜いた。
「今回、違うと分かった。祖父の死は、悪霊のせいだった。それを知れただけでも、十分だ――感謝している」
「……安城」
 安城はすっと背筋を伸ばした。
「祖父は数学者だったんだ。大学で教鞭をとっていた。僕を偉大な数学者にするのが、祖父の夢だった。僕はいまから、その夢をしっかり叶えてやることにする」
「うん。安城なら、できるよ。だって、俺を数学で救ってくれた人なんだから」
 安城はくしゃりと笑った。
 それは、めずらしい笑い方だった。

 しかし、一瞬後にはいつもの不愛想な表情に戻る。
「さて。話は終わりだ。君は体調に問題はないのだから、ここから先はひとりで帰るんだぞ」
「……うん」
 俺はバッグを持ち直す。
 電光掲示板に目をやると、次の電車まで30分ある。
 俺がベンチに腰掛けると、安城も隣に座った。
 電車が来るまでいっしょに待っていてくれるようだ。
 彼は相変わらず感情が読めない表情をしているが、なんども前髪を直して、鼻の下をこすっている。
 安城が、急にただの高校生に見えた。
 俺は彼の背をそっと叩いた。
 安城は何も言わなかった。
 でも、俺は何度も叩いた。
 安城は「しつこい」と俺の手を振り払った。
 俺は勇気を出した。
「おじいさんを殺した悪霊について、もっと調べよう」
 安城は首を振る。
「十分調べた。結論から言うと、あの悪霊の規則性を見出すのは現時点では不可能だ」
 そのときの彼の顔は、どこか寂しそうだった。