「……落ちたな」
安城がぽつりと言った。
「……うん」
俺も頷く。エレベーターの扉はまるで何かに握りつぶされたかのように大きく歪んでいる。
「それで、悪霊は?」
「ここにいるよ」
それは悄然と扉の前に立ち尽くしている。
安城は言う。
「次に怪異を起こすのは、34日後だ」
「うん……このマンションにはもう34部屋も残っていないから……解決、でいいのかな」
「ひとまずは、な。万が一、妙な動きを見せたらそのときに考えればいい」
「……それもそうだね」
俺はじっとその異形を見つめた。
いままではそれを視界に捕えるだけで身震いをしたが、今となっては不思議とそれほど怖いように思えなかった。
機械仕掛けの人形――ふとそんな言葉が頭をよぎった。
決められた通りに、歯車の通りに動くだけの存在。
マンションの部屋から人が出てくるのが見えた。
きっと大きな音を聞きつけて不安に思ったのだろう。
俺は慌てて身を隠そうとしたが、安城に首根っこを摑まえられる。
「ああ、安城、あの、その、人が」
「落ち着け。逃げたら怪しまれる」
安城はポケットからスマートフォンを取り出すと、そのまま電話を掛ける。
「もしもし……ああ、はい、事故です。友人の家のマンションのエレベーターが……」
安城は冷静な声音で会話をして、それから様子を見に来た人たちに「今通報中です」と大声でアピールをした。
母も部屋から顔を覗かせた。
彼女は俺が人だかりの中心にいるのを見ると目を瞬かせて、パジャマ姿のまま飛び出してきた。
「なにやってんのよ……!?」
「ええと……その、なんか、友達が来たから、ちょっと立ち話してたら……エレベーターが壊れて……」
俺のしどろもどろな説明をどう思ったのか、母は眉を吊り上げる。
しかし、母が何かを言うより先に安城が割って入った。
「こんばんは。古屋くんのクラスの学級委員長の安城万理です」
「学級委員長……?」
「はい。古屋くんが忘れ物をしていたので、先生に頼まれて届けに来たんです。でも、思ったより話がはずんでしまって。夜遅くまで古屋くんを引き留めてしまってすみません」
「まぁ、そう……家は近いの?」
「はい。ひとりで帰れます」
母の眉が下がる。
俺はいまばかりは生真面目そうな安城の外見に感謝した。
母はつぶれたエレベーターを見て、それから問う。
「あんた、怪我は?」
「ないよ」
「そう……よかったわ」
母が胸を押さえる。
俺は目を丸くする。
「心配した?」
「あんた、ほんと、私をなんだと思ってんのよ」
「いや……うん。……ごめん」
「なんの謝罪? これ、あんたが壊したんじゃないわよね?」
「ち、ちがうよ! ただ、その、ごめんって思っただけ」
母は目を眇める。
俺はそんな母の視線を避けるようにうつむく。
自然とゆるむ口元を隠すために。
「母さん、いままで、ごめんね」
俺が言うと、母はさらに顔をしかめた。
「なによ、急に。気味悪いわね」
俺はさらに笑った。
安城は手を叩いてから言う。
「古屋、じゃあ、僕は終電がなくなる前に帰るよ」
「あ、うん。……ええと、母さん、ちょっと送って来る」
そうして俺たちは人だかりから抜け出すと、そのまま階段を使って下までおりる。
「……怪しまれないかな?」
1階までおりたところで俺が言うと、安城は鼻で笑った。
「エレベーターの壊れ方を見たか? 一介の高校生のいたずらでなんとかなるような壊れ方ではなかったぞ。それに……」
彼は顎で天井を示す。
「各フロアに防犯カメラがある。僕たちは夜半まで家のそばで語らっていた青春青年だ」
「なるほどね……」
深夜の道路は静まり返っているが、遠くからサイレンの音が聞こえて来た。
きっとここに向かっているに違いない。
俺たちは駅までの道を急いだ。
ちらりと隣の安城を見る。
彼は上機嫌のように見えた。
言うなら、いまだろう。
俺は勇気を出した。
「ええと、そのさ……安城の推理って間違えてたわけだよね」
「まったくの的外れ、というわけではないだろう」
「そうだけどさ。エレベーターを動かして待機したのは俺のアイデアだよな?」
安城が足を止める。
「……なにが言いたい」
「同好会の入会はキャンセルで頼むよ」
俺が言うと、安城は苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「……エレベーターを“部屋”と見なすのは盲点だったな」
してやったり、とひそかに俺は笑った。
「だが」と安城は言う。
「これは引き分けだ」
「なんで」
「なら訊くが、君はフィボナッチ数列を知っていたのか?」
「うっ……」
俺が顔を引きつらせると、安城はさらに身を乗り出す。
「引き分けだ」
自信満々にそう言われると、頷くほかにない。
「わかったよ……引き分けということで、同好会の入会はいったん保留で」
安城は頷く。
「入会は、次に繰り越しだな」
「次って?」
「さあ?」
安城は肩をすくめる。
俺はため息をともに言う。
「次がないことを祈るよ」
「それはどうだろうな」
安城は妖しく笑った。
安城がぽつりと言った。
「……うん」
俺も頷く。エレベーターの扉はまるで何かに握りつぶされたかのように大きく歪んでいる。
「それで、悪霊は?」
「ここにいるよ」
それは悄然と扉の前に立ち尽くしている。
安城は言う。
「次に怪異を起こすのは、34日後だ」
「うん……このマンションにはもう34部屋も残っていないから……解決、でいいのかな」
「ひとまずは、な。万が一、妙な動きを見せたらそのときに考えればいい」
「……それもそうだね」
俺はじっとその異形を見つめた。
いままではそれを視界に捕えるだけで身震いをしたが、今となっては不思議とそれほど怖いように思えなかった。
機械仕掛けの人形――ふとそんな言葉が頭をよぎった。
決められた通りに、歯車の通りに動くだけの存在。
マンションの部屋から人が出てくるのが見えた。
きっと大きな音を聞きつけて不安に思ったのだろう。
俺は慌てて身を隠そうとしたが、安城に首根っこを摑まえられる。
「ああ、安城、あの、その、人が」
「落ち着け。逃げたら怪しまれる」
安城はポケットからスマートフォンを取り出すと、そのまま電話を掛ける。
「もしもし……ああ、はい、事故です。友人の家のマンションのエレベーターが……」
安城は冷静な声音で会話をして、それから様子を見に来た人たちに「今通報中です」と大声でアピールをした。
母も部屋から顔を覗かせた。
彼女は俺が人だかりの中心にいるのを見ると目を瞬かせて、パジャマ姿のまま飛び出してきた。
「なにやってんのよ……!?」
「ええと……その、なんか、友達が来たから、ちょっと立ち話してたら……エレベーターが壊れて……」
俺のしどろもどろな説明をどう思ったのか、母は眉を吊り上げる。
しかし、母が何かを言うより先に安城が割って入った。
「こんばんは。古屋くんのクラスの学級委員長の安城万理です」
「学級委員長……?」
「はい。古屋くんが忘れ物をしていたので、先生に頼まれて届けに来たんです。でも、思ったより話がはずんでしまって。夜遅くまで古屋くんを引き留めてしまってすみません」
「まぁ、そう……家は近いの?」
「はい。ひとりで帰れます」
母の眉が下がる。
俺はいまばかりは生真面目そうな安城の外見に感謝した。
母はつぶれたエレベーターを見て、それから問う。
「あんた、怪我は?」
「ないよ」
「そう……よかったわ」
母が胸を押さえる。
俺は目を丸くする。
「心配した?」
「あんた、ほんと、私をなんだと思ってんのよ」
「いや……うん。……ごめん」
「なんの謝罪? これ、あんたが壊したんじゃないわよね?」
「ち、ちがうよ! ただ、その、ごめんって思っただけ」
母は目を眇める。
俺はそんな母の視線を避けるようにうつむく。
自然とゆるむ口元を隠すために。
「母さん、いままで、ごめんね」
俺が言うと、母はさらに顔をしかめた。
「なによ、急に。気味悪いわね」
俺はさらに笑った。
安城は手を叩いてから言う。
「古屋、じゃあ、僕は終電がなくなる前に帰るよ」
「あ、うん。……ええと、母さん、ちょっと送って来る」
そうして俺たちは人だかりから抜け出すと、そのまま階段を使って下までおりる。
「……怪しまれないかな?」
1階までおりたところで俺が言うと、安城は鼻で笑った。
「エレベーターの壊れ方を見たか? 一介の高校生のいたずらでなんとかなるような壊れ方ではなかったぞ。それに……」
彼は顎で天井を示す。
「各フロアに防犯カメラがある。僕たちは夜半まで家のそばで語らっていた青春青年だ」
「なるほどね……」
深夜の道路は静まり返っているが、遠くからサイレンの音が聞こえて来た。
きっとここに向かっているに違いない。
俺たちは駅までの道を急いだ。
ちらりと隣の安城を見る。
彼は上機嫌のように見えた。
言うなら、いまだろう。
俺は勇気を出した。
「ええと、そのさ……安城の推理って間違えてたわけだよね」
「まったくの的外れ、というわけではないだろう」
「そうだけどさ。エレベーターを動かして待機したのは俺のアイデアだよな?」
安城が足を止める。
「……なにが言いたい」
「同好会の入会はキャンセルで頼むよ」
俺が言うと、安城は苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「……エレベーターを“部屋”と見なすのは盲点だったな」
してやったり、とひそかに俺は笑った。
「だが」と安城は言う。
「これは引き分けだ」
「なんで」
「なら訊くが、君はフィボナッチ数列を知っていたのか?」
「うっ……」
俺が顔を引きつらせると、安城はさらに身を乗り出す。
「引き分けだ」
自信満々にそう言われると、頷くほかにない。
「わかったよ……引き分けということで、同好会の入会はいったん保留で」
安城は頷く。
「入会は、次に繰り越しだな」
「次って?」
「さあ?」
安城は肩をすくめる。
俺はため息をともに言う。
「次がないことを祈るよ」
「それはどうだろうな」
安城は妖しく笑った。
