視える系男子・古屋和弥は解かれたい


 安城は書類を取り出した。
「さて。なら約束だ。これに署名を」
「ああ、うん」
 と、返事をしたはいいが、その書類の表題には『入会届』とある。

 俺はボールペンを持つ手を止めた。
「……なんだ、これ」
 安城は引かない。
「早く署名したまえ」
「待って。カーディガンの色指定撤廃は? え?」
「言っただろう。賛成か反対かを問うときに、署名をものごとで釣るのはよくない」
「ええ? じゃ、じゃあこれは」
 安城は誇らしげに胸を張る。
「僕が立ち上げる『平等推進同好会』の入会届だ」
「騙したな!」
 俺は慌てるが、安城は平然としている。

「失礼な。君が署名と言ったのだ。恨むなら、なにに署名するかを指定しなかった自分を恨むんだな」
「俺、そんなあやしげな活動に参加するつもりは……!」
「あやしいとはなんだ、あやしいとは! 君がいま謳歌している民主主義でさえ多くの活動家の努力で得たものだぞ!」
「そうだとしても! 俺がやるのか!? その活動を!?」
「署名すると約束したではないか。君は嘘つきなのか。僕は命の恩人だぞ」
「う……うぅ……」
 凄まれて、俺は震える手で一字一字自分の名前を書く。

 気分は最悪だ。
「よし」
 しかし安城はたいへんご満悦である。彼はぽんと俺の肩を叩く。
「これから、頼むよ、副会長」
「副会長!? ほかにだれかいないのかよ!?」
「いない。君と僕のふたりだ。追加のメンバーは今から探す」
「嘘だろ!?」
 俺の悲鳴が、木霊した。
 俺はまずい契約を結んでしまったのかもしれない。



 安城安城と話した内容を母親に伝えるべきか否か。
 この答えは簡単だった。
 俺はスマートフォンのカレンダーを母親と共有していて、母親のスケジュールを視ることができる。
 それによると、7月11日、彼女は家にいないようだ。
 京都出張という文言がそこに入力されている。つまり、その日俺さえ外に出ていればすべて解決だ。

 帰り道で俺はそれを確認して、ほっと胸をなでおろした。
 もし母親が家にいたとしても、俺は絶対に悪霊のことを母に伝えられなかっただろう。
 母はかつて俺が「悪霊が視える」と騒いでも決して信じなかった人だ。
 あやうく病院にも連れていかれそうにもなった。

 あの時の母の目。あの目を、俺はいまだに覚えている。
 母との関係は良好なのかどうかもわからない。
 喧嘩をするわけでもないから悪くはないだろう。
 しかし、俺が遺書を書くほど追い詰められているときに相談できるほど良好でもない。
 父とは連絡先を交換しているが、離婚してから一度誕生日に連絡がきたきりだ。
 他人以上、家族未満。いまだに同じ苗字を名乗っているが、ただそれだけ。3人ばらばらに生きている。

 ――そしてついにその3人で住んでいた場所も失うのだ。
 ただ、それだけのことだ。